自問自答
10分間におよぶ地獄の苦痛から解放された時、俺は己の爪で全身を掻きむしり、血だらけになって倒れ込んでいた。改めてB級魔法の恐ろしさを骨の髄まで思い知らされた。
「ガマちゃん、今日はもうゆっくり休むっす」
死を覚悟した恐怖と、激痛レベルの全身の不快感。精神も肉体も限界を迎えていた俺の情けない状態を察し、クロエは王都自然公園行きの中止を提案した。
「あぁ……そうしよう……」
俺はクロエの気遣いを素直に受け入れることにした。今はもう、一歩も動きたくなかった。あの絶望の森の光景、サイクロプスの生々しい捕食シーンが、目をつむるたびに脳裏へフラッシュバックして俺を苛む。
「ガマちゃん、もう大丈夫っすよ。2度と離れないっすから」
クロエは俺の血に染まった手をしっかりと握り締め、真っ直ぐで愛くるしい瞳でじっと見つめてくれた。俺が恐怖に怯えているのを察して寄り添ってくれているのだ。
「……クロエ……ッ」
情けない話だが、彼女の温かさに触れた瞬間、またしても目頭が熱くなり涙が溢れ出してきた。俺の顔は再び、涙と鼻水が混ざり合った汚い面へと成り下がる。
「……ごめん。キモイ、よな……」
ただでさえ不快なガマガエル顔が、ぐちゃぐちゃに崩れてさらに醜くなる。さっきだって、プラタに「キモい」と一蹴されてB級魔法のお仕置きを食らったばかりだ。クロエだって本当は、この醜悪な顔に吐き気を催しているに違いない。どうせ俺は、救いようのないブサメンなのだから。
「キモくないっす!!」
かきむしって血に濡れた身体、涙と鼻水まみれの不細工な顔。そんな汚らわしいはずの俺を、クロエは躊躇することなくぎゅっと優しく抱きしめてくれた。怯えた心を包み込むクロエの心地よい体温。人の温もりというものは、どんな薬よりも心を穏やかにしてくれる最良の治療薬だった。胸に顔をうずめるうちに、あれほど俺を苛んでいたサイクロプスの恐怖はすーっと消え去り、荒れていた心が静まり返っていく。
「ありがとう……クロエ」
「ガマちゃんが元気になってよかったっす! ……なんだか、お腹が減ってきたっすね。お昼ご飯でも食べに行くっす!」
「ああ、そうだな」
精神が落ち着くと、急激な空腹感が押し寄せてきた。しかし俺たちには懐の余裕がないため、格安な値段の食事が摂れる冒険者ギルドへ向かうことにした。ギルドの扉をくぐると、すぐに冷ややかな視線と刺すような陰口が俺たちを襲った。それもそうだろう。俺は安全圏の依頼(生活クエスト)をたった1回達成しただけの新人だ。命を削って王都の外へ出で魔獣を狩る討伐クエストこそが花形とされるこの世界で、安全地帯でぬくぬくと過ごす俺が格安の飯にありついているのが気に入らないのだ。
荒くれ者の冒険者たちは、あえて俺に聞こえるような大声で蔑みの言葉を浴びせてくる。
「ハッ、安全圏で楽してる腰抜け野郎が飯食いに来たぜ」
「バカバカしいな。俺たちが命がけで魔獣を間引いてるから平和に飯が喰えてるってのによ」
「感謝の言葉くらい述べたらどうだ、おい?」
「つーかキモっ! なんだあのカエルの獣人は?」
「おいおい、獣人に失礼だろ! あれは討伐対象の魔獣ガマガエルだぜ?」
「ガハハハハ! よーし、俺が今ここで討伐してやろうか!?」
俺は臆病者だ。言い返す勇気などあるはずもなく、ただ下を向いてジッと耐えることしかできない。一方、隣のクロエは今にも彼らに飛びかからんばかりに髪を逆立て、殺気立った瞳で怒りを露わにしていた。だが、冒険者の1人が「おい待て、昨日の奴だ……昨日、一瞬で冒険者を返り討ちにした獣人と一緒だぞ」と囁くと、彼らは急に静まり返り、不機嫌そうに自分たちの席へと戻っていった。
情けない。俺は怯えて縮こまることしかできなかった。本当に、惨めで醜い。
「ガマちゃん……気にすることないっすよ」
重苦しい雰囲気を払拭しようと、クロエが努めて明るく声をかけてくる。
「いいんだ。あいつらの言っていることは……全部本当のことだから」
醜いのは悪で、カッコいいのは正義だ。そんなことは言われなくても分かっている。現に俺だって、パートナーに可愛いクロエを選んだ。もしクロエが醜い獣人だったらパートナーとして選ぶことはないだろう。もし俺が容姿端麗なイケメンだったら、絶対に俺のようなブ男を心のどこかでバカにしていただろう。あの冒険者たちは鏡と同じだ。俺の腹底にある浅ましい本性をそのまま代弁してくれているだけに過ぎない。
こんな見た目も心も醜い俺と一緒にいるクロエの方が、客観的に見れば異常なのだ。美しさを愛で、醜悪さを排斥する。それは生き物の脳に刻まれた抗えない本能だ。たまに脳のバグで醜いものを愛おしいと勘違いする異端者もいるが、そんなものはごく稀な例外でしかない。
「ガマちゃん! 僕は……僕は、ガマちゃんのこと、すごくカッコいいと思ってるっす! 他の奴らが何を言おう関係ないっす!」
このオルデンの獣人たちは、誰もが彫刻のように洗練された肉体と美しい毛並みを持つ美男美女ばかりだ。そんな美しい存在であるクロエの優しい言葉も、惨めさに打ちのめされた今の俺には、哀れみゆえの皮肉にしか聞こえなかった。
「同情なんていらない……。俺は、自分が醜いことくらい、ちゃんと理解してるからさ」
「ガマちゃん……」
クロエは胸を痛めたような寂しげな瞳を浮かべ、それ以上何も言えずに俯いてしまった。俺は黙々と味の薄いスープとパンを腹に流し込んだ。そして食事が終わると、ギルドの隅にある薄暗い壁際に座り込み、惨めな現実から逃避するように深い眠りへと落ちていった。
サイクロプスの恐怖、B級魔法の激痛、そして己の不甲斐無さ……。すり減った俺の精神と体力が、限界を告げていたのだった。




