九死に一生を得る
その時だった。
ドズゥンッ! ドズゥンッ! と、絶望の森全体を揺るがす強烈な地響きが巻き起こった。地震ではない。あの巨木のようなサイクロプスが、まるで狂ったように頭を抱えてのたうち回り、ダンスを踊るように暴れ出したのだ。一体何が起きたというんだ……!?
「おいガマガエル、何をしているの! 早くこっちへ来なさいッ!」
怒気を含んだ声が聞こえる方へ視線を向けると、そこには扉を背景に仁王立ちする残念エルフ・プラタの姿があった。
「今のうちに逃げるわよッ!」
プラタが俺を助けに来てくれたのだ。サイクロプスが狂乱していたのは、プラタのB級魔法【モスキートシンフォニー】が放つ狂おしい音波に耳元を極限まで苛まれていたからだった。
「あぁぁぁああああッ!!」
俺は意味をなさない奇声を上げながら、必死の思いで扉へと飛び込んだ。
次の瞬間、視界が切り替わる。そこに広がっていたのは、すっかり片付いて綺麗な更地となった、王都南区の大図書館の地下倉庫だった。
「ガマちゃんッ! 無事だったんすね! 本当に、本当に良かったっすぅぅぅ……ッ!」
勢いよく飛び込んできたクロエが、ボロボロと涙をこぼしながら俺を抱きしめてきた。いつもの俺なら、彼女の柔らかく暖かい肌の感触にニヤケ顔を浮かべ、よだれを垂らして喜ぶところだ。だが、今はそれどころではなかった。死を覚悟した極限状態からの生還。俺の精神は、まともな意識を保つのが精一杯なほど磨耗しきっていたのだ。
「フン……命拾いしたわね、ガマガエル。今回はその獣人が泣き叫びながら助けを求めてきたから、特別に手貸してあげただけよ。……ただし、タダだと思わないことね。余の所望する新たなB級魔導書をすぐに見つけてきなさい!」
俺が目の前で突然消え去った直後、クロエはすぐさま行動を起こしていたのだった。気まぐれ令嬢セレスティナ自身も、自分が飛ばした相手がどこへ転移したかは把握できない。そこでクロエは最後の賭けとして、プラタに助けを求めることにしたのだ。だが、すでに南区の地下倉庫にプラタはいない。一刻を争う事態の中で、残り3箇所の図書館を順に探している時間などなかった。
そこでクロエは一か八か、この地下倉庫で声を張り上げて叫び続けたのだという。
「残念エルフのぺちゃパイ! うすらとんかち! お前のかぁちゃんでべそッ!!」
【オクタ・ゲート】は、8つの空間を繋ぐ扉だ。扉の隙間を通じて、その惨めすぎる悪口がプラタの元へとしっかり届けられたらしい。激怒して扉から現れたプラタに対し、クロエは即座に頭を下げて謝罪し、涙ながらに俺の救出を懇願したのだった。幸いにも、プラタは俺がB級魔導書を見つけた瞬間にすぐ回収できるよう、俺の影の中に扉の出口を1つ潜ませていた。その強欲な仕込みが、奇跡的に俺の命を繋いだのだ。
「あぁぁぁ……あぁぁ……っ」
未だ恐怖のフラッシュバックに支配され、まともな言葉が出てこない。
「ガマちゃん! ガマちゃん! もう大丈夫っすよ! ここは安全っす!」
朦朧とする俺の肩を、クロエが激しく揺さぶる。脳に血液が巡り、俺はついに現実へと意識を呼び戻された。
「俺は……生きている……っ。生きているんだ……ッ!」
自分の手のひらを見つめ、震える指を一本ずつ折ってみる。生を実感した瞬間、目から一気に涙があふれ出してきた。
「おい、余の話をちゃんと聞いているのかしら!?」
「プ……プラタ……ッ! 俺を助けに来てくれたのか……ッ! 本当に、本当にありがとう……ッ!」
俺は改めて、プラタが命の恩人であることを理解した。条件付きとはいえ、あの時強引に彼女をパーティーに引き入れたことが俺の命運を分けたのだ。もし彼女がいなければ、俺は間違いなく肉塊となっていた。
「ひっ……!? 余に近づくんじゃないわよ! 気持ち悪いッ!」
「プラタぁぁぁッ! ありがとうぉぉぉッ!」
嫌がるプラタに対し、俺は溢れ出す感謝と安堵を抑えきれず、涙目ですり寄っていった。
「キモいのよッ!!」
ただでさえ醜いガマガエル顔に、涙と鼻水がグチャグチャに混ざり合い、醜悪さに磨きがかかった俺の顔。本能的な恐怖と嫌悪感で身の危険を感じたプラタは、嗚咽しながらB級魔法【イリュージョンイッチ】を発動させた!
【イリュージョンイッチ】。それは、対象の健康な皮膚に猛烈かつ幻覚的な痒みを発生させ、どれほど患部を掻きむしっても絶対に収まらないという恐怖の不快魔法である。
「か、かゆいッ!? かゆいかゆいかゆいッ!! かゆすぎるぅぅぅッ!!」
全身を無数の蚊に刺されたかのような劇烈な症状に襲われ、俺は床を転がりながら必死に皮膚をかきむしった。
「クロエ! そのガマガエルに、早急に次のB級魔導書を持ってくるよう言い聞かせておきなさいッ!」
1秒たりとも俺の視界に入りたくないプラタは、クロエに捨て台詞を残すと、すぐさま【オクタ・ゲート】の向こう側へと逃げていった。
こうして俺は生還の感動も束の間、その後十分間にわたって、全身を襲う狂おしい地獄の痒みと戦い続けるハメになったのだった。




