エピソード12:紅の空と、割れた異形の核
翌朝。
キョウノが目を覚ますと、胸元に心地よい重みと温もりを感じた。
視線を落とすと、そこにはヒカリがいた。彼女はキョウノの胸に頭を預け、すやすやと寝息を立てている。
キョウノの瞳に宿るのは、愛おしさではなく——氷のように冷ややかな光だった。
彼は無言のままヒカリの頭をそっと持ち上げ、枕の上へと移すと、朝食をとるためにベッドを抜け出そうとした。
その時。
「……アイリス……行かないで……私を一人にしないで……」
寝言にしてはあまりにも切実な声。
眠ったままのヒカリの手が、キョウノの袖を強く掴んでいた。
「っ……!?」
キョウノの身体が硬直する。
その瞳には、隠しきれない【恐怖】と【困惑】が入り混じっていた。なぜ彼女が、あの禁忌の名を——異形の存在の名を知っているのか。
「ん……ふぁあ……。あ、キョウノ、もう起きてたの……?」
ヒカリが大きなあくびをしながら目をこすり、体を起こした。先ほどの切迫した表情は消え失せ、ただの無邪気な少女に戻っている。
「うぅ……なんか頭が痛いや……」
頭を押さえるヒカリを冷たい目で見つめ返しながらも、キョウノは何も追及せず、ただ短く息を吐いた。
◇
二人は宿屋の一階へと下りていった。
階下ではすでに朝食が用意されており、テーブルには先客であるラオが座っていた。彼は二人をちらりと見やると、黙って席を促した。
三人が静かに食事を進めていると、宿屋の主人が気さくに声をかけてきた。
「お客さんたちも行くのかい? 『紅蓮の空』を見にさ」
「ああ、そのつもりだ」
キョウノが答えると、主人は満足そうに頷いた。
「なら、最高の観賞スポットを教えてやるよ。あそこから見る景色は絶品だからな」
「感謝する」
◇
——そして、時が過ぎた。
あっという間に陽が落ち、あたりは深い闇に包まれた。
街の広場や小高い丘には、数年に一度と言われる天体現象『紅蓮の空』を一目見ようと、大勢の人々が集まり、熱気に包まれていた。
やがて、夜空の紺碧がじわじわと侵食され、不気味なほどの紅蓮色へと染まり始める。
「おお……!」「すごい……!」
群衆から歓声が上がる。
しかし——その歓喜の渦の中で、ただ二人だけが異変に見舞われていた。
「ガッ……!?」
キョウノとラオの全身の血液が、一瞬で凍りついたかのように激しく脈打った。
二人の体を包み込んだのは、見る者を拒絶するような不吉な紅蓮のオーラ。
「アァァァッ……!!」
二人は耐えかねてその場に膝をついた。
皮膚の至る所から血が噴き出し、まるで全身の肉が内側から引き裂かれるような激痛に悶絶する。
激痛の中で、二人は吸い寄せられるように空を見上げた。
そこには——染まりきった紅の空から生み出されようとしている、地獄の化身の姿があった。
(——アイリス・ローデン。)
かつて世界を滅亡の淵に追いやった、あの異形の存在が空に顕現しようとしていた。
しかし、異変はそれだけに留まらなかった。
顕現しかけたその巨大な漆黒の佇まいが、突如として激しい亀裂とともに二つに裂けたのだ。
二つの独立した異形へと分かたれた瞬間、空間全体を揺るがつほどの『赤ん坊の泣き声』に似た絶叫が響き渡った。
探していたうちの一つが、空間の歪みの中に消え去る。
遺されたもう一つのアイリス・ローデンは、圧倒的な傲慢さと威厳を纏い、ただ気高く頭を掲げて空に君臨していた。
やがて、紅蓮の空が静かに褪せていくとともに、呪われし異形もまた露のように霧散していった。
「ハッ……! ハッ……! ガハッ……!」
金縛りが解けたように、キョウノとラオは地上へ倒れ込み、荒い息を吐いた。全身は冷や汗と血で濡れている。
静寂が戻った夜空の下。
ラオがゆっくりと体を起こし、キョウノへ視線を向けた。その瞳は、いつになく冷徹で、全てを悟ったかのような深淵を宿していた。
「……そうか。俺とオマエの『繋がり』が……ようやく分かった気がするぜ、キョウノ……」
——つづく
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いつも『地獄の化身ヘル・エンティティ』をお読みいただき、本当にありがとうございます!
実は私、毎日15時間という非常に長い勤務時間の中で働きながら、なんとか時間を作り出して執筆を続けております。仕事の疲れはありますが、この物語への情熱と読者の皆様に楽しんでいただきたいという一心で、日々全力で書き上げています。
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