第8話「大釜を回す不器用な手」
洞窟の奥にある広大な部屋へと戻ると、エリアルはすぐに分厚い外套や重い長靴を脱がされ、再びふかふかの毛皮の寝床へと戻された。
外の世界の澄んだ空気も十分に心地よかったが、やはりこの淡い緑色の苔の光に満ちた空間は、エリアルに格別の安心感を抱かせてくれる。
ドラグレスは部屋に到着するなり、休む間もなく魔法薬の調合準備に取り掛かった。
彼が部屋の奥にある窪みから引きずり出してきたのは、大人がすっぽりと入れるほどの大きさを持つ、重厚な黒い金属で作られた釜である。
表面には複雑な紋様が彫り込まれており、長い間使われていなかったのか、かすかに埃を被っていた。
ドラグレスは手際よく乾燥した薪を釜の下に積み上げると、指先を軽く弾く。
その直後、小さな赤い炎が走り、薪へと燃え移って一瞬で勢いよく火を熾した。
乾燥した木材がはぜる心地よい音が静かな室内に響き渡り、かすかな木煙の香りが高い天井へと立ち上っていく。
彼は小川で汲んできた清らかな水を釜に満たし、それが沸騰するのをじっと待ちながら、採ってきたばかりの素材を布の上へと丁寧に並べた。
エリアルは毛皮の布団に身を包んだまま、その一連の作業を息を潜めて見守っている。
釜の水が小さな泡を立て始め、やがて表面が激しく波打ち始めると、ドラグレスはまず、深い青色の葉を手に取った。
彼はその大きな指先で葉を一枚ずつ丁寧にちぎりながら、煮え滾る湯の中へと投入していく。
葉が湯に触れた瞬間、透明だった水が瞬く間に鮮やかなエメラルドグリーンへと色を変え、爽やかなハッカに似た香りが部屋いっぱいに広がった。
その香りは鼻腔を通り抜けて脳の奥をすっきりとさせ、森を歩き回ったエリアルの疲労を不思議と和らげていく。
続いて、ドラグレスは懐から取り出した銀色のキノコを、すり鉢のような石の器に入れ、太い石の棒で細かくすり潰し始めた。
彼の手はあまりにも大きいため、小さな道具を握る姿はどこか窮屈そうで滑稽に見える。
しかし、その表情は真剣そのものであり、黄金の瞳は石の器の中身から一切逸らされることはない。
すり潰されたキノコのペーストが釜へと加えられると、緑色だった液体は一転して、深い夜空のような紺色へと急激に変化した。
粘り気を帯びた液体の中で、銀色の斑点が星のようにも明滅を繰り返し、不思議な光の渦を描き出している。
ドラグレスは柄の長い木製のヘラを持ち、釜の中身をゆっくりと一定の速度でかき混ぜ始める。
炎の熱気が彼の顔を照らし、とき折はぜた火の粉が黒い衣服をかすめるが、本人は全く気にする様子がない。
ただひたすらに、均等な力でヘラを動かし続け、液体の状態を鋭い視線で観察している。
◆ ◆ ◆
どれほどの時間が経過しただろうか。
液体の量が半分ほどに減り、とろりとした艶を帯び始める。
部屋の中に満ちていた青い葉の爽やかな香りと、キノコの放つ独特な土の匂いが一つに混ざり合い、どこか甘く、それでいて胸がすっとするような未知の匂いへと変わっていった。
ドラグレスは薪を足で蹴り退けて火力を弱めると、釜からヘラを引き上げ、調合が成功したことを確信したように短く頷く。
彼は壁際の棚から小さな一組の素焼きの杯を取り出し、そこに完成した紺色の液体を慎重に注ぎ分けた。
湯気が立ち上る二つの杯を両手に持ち、ドラグレスはゆっくりとエリアルの待つ寝床へと歩み寄ってくる。
至近距離まで近づいた男の身体からは、熱い釜の前に立ち続けていたためか、いつもよりさらに高い熱が放たれていた。
男はエリアルに一つの杯を差し出し、もう一つの杯を自分の手元に残す。
杯の中の液体は、発光する苔の光を反射して、まるで生き物のように怪しく、けれど美しく揺らめいていた。
エリアルは震える手で杯を受け取ったものの、その見慣れない色合いと粘度に、かすかなためらいを覚えて唇へ運ぶ手を止める。
本当にこれを飲めば、言葉の通じないこの竜の男と意思疎通ができるようになるのだろうか。
もしもこれが、自分の身体を内側から作り変えてしまうような、あるいは痛みを伴わずに命を奪うための毒薬だったとしたら。
村で受けてきた悪意の記憶が蘇り、そんな暗い疑念が頭をよぎった瞬間、ドラグレスはエリアルの心の揺らぎを察したように動いた。
彼は自身の持つ杯を迷いなく口元へと運び、喉を大きく鳴らして一気に液体を飲み干す。
そして、空になった杯をひっくり返してエリアルに見せ、口元を手の甲で拭った。
その黄金の瞳には、一切の偽りも欺瞞もなく、ただお前を害することはないという真っ直ぐな証明だけが込められている。
エリアルは己の浅はかな疑いを恥じるように深く息を吐き出すと、両手でしっかりと杯を握り直し、意を決して唇を当てた。
液体は見た目の不気味さに反して驚くほど苦味がなく、舌の上でとろけるような甘い果実の風味がした。
喉を通り抜ける瞬間に、胸の奥が炎を飲み込んだようにカッと熱くなり、その熱が血液に乗って全身へと心地よく広がっていくのを感じる。
エリアルが最後の一滴まで飲み干して顔を上げると、ドラグレスは至近距離でその様子をじっと見つめていた。
男の喉仏が小さく上下に震え、何かの音を紡ごうと薄い唇が動くのを、エリアルはまばたきすら忘れて見つめ返した。




