第4話「輝石と花の寝床」
深い眠りの底から、ゆっくりと感覚が輪郭を取り戻していく。
凍てつくような寒さに脅かされることのない、柔らかな温もりに全身を包み込まれたまま、エリアルは閉じていたまぶたをわずかに震わせた。
肺に吸い込まれる空気はほんのりと暖かく、どこか甘い草花の香りが混ざっている。
ゆっくりと目を開くと、淡い緑色の光を放つ苔に覆われた岩肌が視界に広がった。
そこが冷たく暗い村の納屋ではなく、昨日連れてこられた竜の洞窟の奥深くであることに思い至り、エリアルは小さく息を吐き出す。
毛皮の布団から身を起こそうとして、エリアルは周囲の異変に気がついた。
自分が眠っている円形の寝床を囲むように、数え切れないほどの美しい品々が規則正しく並べられていたのだ。
手のひらほどの大きさがある赤い石は、内側に炎を閉じ込めたように揺らめく光を放っている。
深い海の色を切り取ったような青い結晶や、星屑を固めたようにきらめく透明な鉱石が、寝床の縁を縁取るように敷き詰められていた。
鉱石の間を縫うように配置されているのは、雪山の過酷な環境では決して育つはずのない、色鮮やかな花々だった。
分厚く瑞々しい花びらを持つ大輪の白い花や、複雑な模様を描く紫色の蔓草が、まるでひとつの芸術作品のように配置されている。
起き上がったエリアルのわずかな動きに反応して、石の表面が細かな光の粒を弾き返し、洞窟の壁に美しい波紋のような影を描き出した。
『これは、いったい何の儀式なんだろう』
エリアルは息を呑み、己を囲む豪華な装飾と毛皮の山を交互に見つめた。
生贄として捧げられたのだから、竜の食事の前に体を清めたり、神聖な儀式を行ったりする手順があるのかもしれない。
村の長老はそんなことについて一言も触れていなかったが、美しい花と宝石に囲まれて食べられるのだとすれば、それはひどく残酷で滑稽な光景だと思えた。
エリアルが毛皮の端を強く握りしめていると、背後の暗がりから静かな足音が近づいてくる。
振り向くと、巨大な体躯を持つ男が、両手になにかを抱えるようにして歩み寄ってくるところだった。
男の漆黒の髪の間からは鋭い角が覗き、黄金の瞳が寝床の中央に座るエリアルを真っ直ぐに捉えている。
男の大きな手のひらには、朝焼けの空を溶かしたような、美しい薄紅色の花がいくつも握られていた。
男はエリアルのすぐそばでひざまずくと、手にした花を寝床の空いている隙間へ慎重に置き始める。
太く無骨な指先と鋭い爪は、一歩間違えれば細い茎などたやすくへし折ってしまいそうだった。
しかし、男の動作は驚くほど繊細であり、花びらの一枚すら傷つけることなく、色彩のバランスを確かめるように配置を微調整している。
その真剣な横顔には、冷酷な捕食者の面影は微塵も存在しなかった。
最後の花を置き終えた男が、ふと顔を上げてエリアルを見つめる。
至近距離で交わる黄金の瞳に、エリアルは反射的に肩をすくませて身を固くした。
男は低い唸り声を一つ漏らすと、足元に置いてあった薄紅色の花をもう一輪手に取り、ゆっくりとエリアルへ手を伸ばしてくる。
逃げ出したい衝動を必死に押さえ込みながら、エリアルは固く目をつむった。
しかし、予想される痛みはいつまで経っても訪れず、代わりに柔らかな何かが耳元の髪にそっと触れる。
恐る恐る目を開けると、男がエリアルの耳に薄紅色の花を飾り付け、その出来栄えを確認するようにじっと見つめていた。
男の顔はひどく真剣で、どこか誇らしげな色が瞳の奥に揺らいでいた。
「えっと……」
かすれた声が喉から漏れると、男はわずかに目元を和らげた。
エリアルは己の耳元を飾る花にそっと指先で触れ、その滑らかな手触りと甘い香りに戸惑いを深める。
男の背後へと視線をずらすと、床を這うように伸びた太く逞しい竜の尾が、昨日よりもさらに大きく、機嫌良さそうに左右に揺れ動いていた。
尾が床の毛皮を擦るたびに、かすかな摩擦の音が洞窟内に響く。
怒りや飢えを抱えている生き物が、こんなにも穏やかで弾むような動きをするはずがない。
『私を、喜ばせようとしている……?』
エリアルはその信じがたい仮説に行き当たり、心臓が早鐘のように肋骨を叩くのを感じた。
村では誰一人として、エリアルに美しいものを与えようとした者などいなかった。
落ちた麦の穂を拾うことすら許されず、いつも誰かの残飯や泥水にまみれた野菜の切れ端を与えられてきたのだ。
それなのに、恐ろしい怪物であるはずのこの男は、自分自身の寝床を宝石と花で満たし、エリアルをその中心に座らせて満足そうに尾を揺らしている。
これが餌付けのための装飾だとしたら、あまりにも手間がかかりすぎている。
男が放つα特有の重い気配も、昨日感じたような息苦しさはなく、今はただ陽だまりのような暖かさとなってエリアルの肌を包み込んでいた。
エリアルは耳元の花から手を離し、ゆっくりと男の顔を見上げる。
言葉は通じない。
彼がなぜ自分にここまで尽くしてくれるのか、その真意を測るすべはない。
それでも、男の不器用な優しさがエリアルの胸の奥にこびりついた氷を少しずつ溶かしていくのを感じながら、エリアルはただ小さく首を傾げて、その黄金の瞳を見つめ返すことしかできなかった。




