第3話「甘い果実と揺れる尾」
熱いスープを満腹になるまで飲まされたことで、エリアルの身体は内側から芯まで温まっていた。
あれほどガタガタと震えていた四肢の痙攣は収まり、凍傷になりかけていた指先にも血の気が戻っている。
柔らかな毛皮に包まれ、極上の温度に保たれた洞窟の中で過ごす時間は、村の冷たい納屋での生活よりもはるかに快適だった。
男はエリアルに食事を与えた後も部屋から出て行く気配はなく、少し離れた場所に座り込んで、じっとこちらを観察している。
鋭い角と逞しい体躯を持つ捕食者がすぐそばにいるというのに、エリアルは不思議と恐怖を感じなくなっていた。
男の黄金の瞳には、飢えた獣の持つ殺気や冷酷さは微塵もなく、むしろ大切な宝物を見守るような穏やかな色が宿っている。
しばらくして、男がふらりと立ち上がり、部屋の隅に置かれていた大きな籠を持って戻ってきた。
籠の中には、エリアルが見たこともないような色鮮やかで奇妙な形をした果実が山のように積まれている。
赤や紫、鮮やかな緑色をした皮は瑞々しく光り、甘く濃厚な香りが部屋中に広がった。
男は籠の中からひときわ大きな紫色の果実を取り出すと、鋭い爪先を器用に使って分厚い皮をくるくると剥き始める。
巨体に似合わない繊細な手つきで果肉を一口大に切り分けると、男はそれをエリアルの口元へと差し出した。
「……」
エリアルは困惑して男の顔を見上げた。
先ほどのスープで腹は十分に満たされている。
これ以上食べればお腹が破裂してしまうと思いながらも、口元に差し出された果肉からは抗いがたい甘い匂いが漂っていた。
男は急かすこともなく、ただエリアルが口を開くのを辛抱強く待っている。
断れば機嫌を損ねて食べられてしまうかもしれない。
そんな強迫観念に駆られ、エリアルは恐る恐る口を開いて果肉をくわえ込んだ。
噛み締めた瞬間、口の中いっぱいに弾けるような甘い果汁が広がる。
雪国の痩せた土地では決して味わえない、とろけるような甘さと芳醇な香りに、エリアルは思わず目を丸くした。
『美味しい……』
その感情が顔に出てしまったのか、男はわずかに目元を和らげ、次々と新しい果実を剥いてはエリアルの口へと運んでくる。
まるで雛鳥に餌を与える親鳥のような熱心さに、エリアルは戸惑いながらも次々と甘い果実を飲み込んでいった。
『こんなに甘やかして、いったい私をどうするつもりなんだろう』
咀嚼を繰り返しながら、エリアルは男の背後へ視線を向ける。
太く長い竜の尾は、先ほどよりもさらに大きく、嬉しそうに左右に揺さぶられていた。
床に敷かれた毛皮を擦るたびに、かすかな摩擦音が洞窟内に響く。
言葉は一切通じないし、男が何を考えているのかも正確にはわからない。
ただ一つ確かなのは、この恐ろしい容姿を持った竜の男は、エリアルを喜ばせるために全力を尽くしているということだった。
最後に与えられた赤い果実を飲み込むと、エリアルは小さく首を振って満腹であることを伝えた。
男はそれ以上無理強いすることはなく、汚れた自分の指先を布で丁寧に拭い去る。
そして、ゆっくりと距離を詰めると、男の大きな手がエリアルの頭へ伸びてきた。
反射的に身をすくめたエリアルだったが、頭頂部に触れた手のひらは驚くほど優しく、乱れた髪をすくようにゆっくりと撫で下ろしてくる。
ごつごつとした指先から伝わる熱が心地よく、張り詰めていた緊張の糸がぷつりと切れる音がした。
極度の疲労と、満腹感と、暴力とは無縁の優しい手当て。
すべてが合わさって、エリアルの思考は急速に鈍っていく。
まぶたが鉛のように重くなり、抗えない睡魔が波のように押し寄せてきた。
『食べられる前に、少しだけ眠ろう』
自分が生贄であるという現実は変わらない。
いつかこの男の牙が己の喉笛を噛み千切る日が来るのかもしれない。
それでも、今この瞬間だけは、誰にも虐げられることのない暖かく安全な場所にいる。
男の規則正しい呼吸音と、床を掃くような尾の動きを子守唄代わりに聞きながら、エリアルはふかふかの毛皮の海へとゆっくりと意識を手放していった。
眠りに落ちる直前、額に柔らかく熱いものが触れたような気がしたが、それを確かめる前にエリアルの意識は深い闇へと沈んでいった。




