第11話「過去の傷と竜の誓い」
洞窟の奥にある広大な部屋に、乾燥した薪が炎に包まれて弾ける鋭い音が響き渡る。
魔法薬の調合で使った大釜はすでに片付けられ、今は手頃な大きさの石の炉で、ドラグレスが夕食の準備を進めていた。
言葉が通じるようになってから初めての食事である。
エリアルは毛皮の寝床に座ったまま、火の前に立つ大きな背中をじっと見つめていた。
村にいた頃は、食事の準備といえば冷たい水で泥まみれの野菜を洗い、誰かの残した硬いパンをかじるだけの惨めな時間でしかなかった。
しかし今、目の前にいる竜王は、エリアルのために丹念に獣肉を切り分け、香草をまぶして火加減を調整している。
香ばしい脂の匂いが空気に溶け込み、エリアルの胃の腑が空腹を訴えて小さく鳴った。
その音は炉の前にいるドラグレスの耳にも届いたようで、彼の背後で揺れる太い尾が、嬉しそうに床を掃くような動きを見せる。
「もうすぐできる。今日は少し香草を多めにしてみたが、人間の口に合うといいんだが」
ドラグレスが肩越しに振り返り、少しだけ心配そうな声で告げる。
エリアルは急いで立ち上がり、自分も手伝おうと炉の方へ歩み寄ろうとした。
しかし、ほんの数歩踏み出したところで、ドラグレスが慌てたように駆け寄ってきて、エリアルの肩をそっと押さえて元の寝床へと座らせる。
「駄目だ。お前はここでゆっくり休んでいなければならない。細い足で無理に歩き回れば、怪我をしてしまうかもしれないだろう」
「でも、私ばかりがこんなふうに何もしないで待っているなんて、申し訳なくて。村では、働かない者は食事をもらう資格がないと言われていましたから」
エリアルがうつむき加減でそう告げると、ドラグレスの顔からふっと表情が消え去った。
彼の周囲の空気が急激に密度を増し、呼吸が苦しくなるほどの重い圧力が洞窟内に立ち込める。
それはエリアルに向けられた怒りではなく、エリアルを虐げてきた村の者たちに対する、明確で冷酷な殺意の表れだった。
黄金の瞳が剣呑な光を帯び、漆黒の髪の間から覗く角がかすかに震えている。
「……その村の者たちは、この小さな身体のどこに働ける余力があると考えていたのだ。お前のような脆く美しいΩを、ただの労働力として扱い、挙句の果てに雪山へ捨てるなど、到底許されることではない」
ドラグレスの低い声は地鳴りのように響き、彼の背後にある影が大きく揺らめいて見える。
彼から放たれる濃密なαのフェロモンが、保護欲と怒りでひどく尖った匂いに変化していた。
このままでは彼が村を滅ぼしに行ってしまうのではないかという不安に駆られ、エリアルは慌てて手を伸ばし、ドラグレスの硬い拳を両手で包み込んだ。
熱い皮膚の下で、彼の筋肉が怒りで限界まで張り詰めているのがわかる。
「ドラグレス、怒らないで。私はもう、あの村には戻りません。あなたが見つけてくれたから、今の私はちっともつらくないんです」
エリアルが必死に言葉を紡ぎ、彼の目を見上げて微笑みかけると、張り詰めていた空気が嘘のように霧散していった。
ドラグレスは大きく息を吐き出し、強張っていた筋肉からゆっくりと力を抜く。
彼はエリアルの小さな手を己の大きな手のひらで包み返し、ひざまずいて視線の高さを合わせた。
「すまない、お前を怖がらせるつもりはなかった。ただ、お前が受けてきた痛みを思うと、腹の底から業火が込み上げてくるのを止められないのだ。俺の巣にいる限り、お前に指一本触れさせることはないし、ひもじい思いなど二度とさせない」
その誓いは、どんな魔法よりも確かな力を持ってエリアルの心に響いた。
村で受けてきた悪意の記憶は、この温かい手のひらと真摯な瞳によって、少しずつ過去の残滓へと上書きされていく。
やがて、炉の方から肉が焼き上がる心地よい音が聞こえ、ドラグレスは立ち上がって熱い木の皿を運んできた。
香草の香りが食欲を刺激し、エリアルは手渡された肉を一口かじって、あまりの美味しさに目を丸くする。
肉汁が舌の上で弾け、冷え切っていた身体に生きるための熱が満ちていく。
「美味しいです」と心からの感想を伝えると、ドラグレスはこれまでで一番誇らしげな顔をして、背後の尾をバサバサと激しく揺らした。
言葉が通じることで、二人の間に流れる時間はより濃密に、そしてどこまでも甘く変化していくのを、エリアルは確かな実感として噛み締めていた。




