第10話「重なる吐息と誤解の行方」
言葉が通じたことによる衝撃と、ドラグレスから発せられた真っ直ぐな愛情の告白に、エリアルの思考はすっかり飽和していた。
分厚い胸板に抱きすくめられたまま、鼓膜を打つ力強い心音だけが、今のエリアルにとって唯一の現実の輪郭である。
ドラグレスの体温はあまりにも高く、冬の雪山で凍えかけていた小さな身体を、芯の奥底から溶かしていくような錯覚を覚えた。
どれほどの時間、そうして抱き合っていたのかわからない。
やがて、ドラグレスが名残惜しそうに腕の力をわずかに緩め、エリアルの肩を支えて少しだけ身体を離した。
至近距離で交わる黄金の瞳は、まるで貴重な宝物を鑑定するように、エリアルの顔の隅々までを熱っぽい視線でなぞっている。
その瞳の奥に宿る深い熱量に当てられ、エリアルはいたたまれなくなって視線を足元へと落とした。
視界の端に映り込んだのは、寝床の縁を彩る数え切れないほどの美しい宝石と、瑞々しい色彩を放つ花々である。
それらはすべて、この恐ろしい容姿を持つ竜王が、エリアルのために不器用な手つきで一つひとつ並べてくれたものだ。
言葉が通じなかった数日間の光景が、まったく新しい意味を持ってエリアルの脳裏に蘇ってくる。
「あの、ドラグレス……この花や、綺麗な石は……」
エリアルが消え入るような声で問いかけると、ドラグレスは不思議そうに首を傾げた。
漆黒の髪の間から突き出た二本の角が、発光する苔の光を受けて鈍く輝く。
彼は己の背後で機嫌良く揺れていた太い尾の動きをぴたりと止め、少しだけ困ったように太い眉を寄せた。
「竜族には、己の魂の番を見つけたとき、その者のために世界で最も美しく快適な巣を作り上げるという本能がある。俺の領地にある美しいものをすべてかき集めてきたつもりだが、人間の感性には合わなかっただろうか。お前が少しでも喜んでくれるかと思ったのだが、俺はこういう細やかな装飾というものがどうにも苦手でな」
ドラグレスは言い訳をするように早口で語り、大きな手のひらで自身の顔の下半分を覆い隠す。
その耳の先端がほんのりと赤く染まっているのをみて、エリアルは胸の奥で何かが弾けるような感覚を覚えた。
彼は本気で、この美しい装飾の出来栄えに自信がなく、エリアルに嫌われないかと心配しているのだ。
自分が太らせてから食べられるための装飾だと勘違いして怯えていたことなど、彼の思考の片隅にも存在していない。
あまりの純粋さと、己の勘違いの滑稽さに、エリアルは思わず両手で口元を覆い、小さな笑い声を漏らしてしまう。
クスクスというかすかな音が静かな洞窟内に響くと、ドラグレスは驚いたように顔を上げ、目を丸くしてエリアルを見つめた。
「エリアル……? 笑って、いるのか」
「ご、ごめんなさい。違うんです、あまりにも私が……ばかなことを考えていたと気づいて。私、あなたが私に温かいスープや甘い果物をくれて、この綺麗な寝床を用意してくれたのは、全部……私を美味しく食べるための準備だとばかり思っていて」
エリアルが涙を拭いながら正直に告白すると、今度はドラグレスが雷に打たれたように石のように硬直した。
黄金の瞳が見開かれたまま固定され、数秒の沈黙の後、彼の喉の奥から地鳴りのような深いため息が漏れ出す。
彼は頭を抱えるようにしてその場にしゃがみ込み、大きな背中を丸めて深くうなだれた。
「食べ……。いや、確かに、人間の目から見れば、得体の知れない怪物が自分を囲い込んでいるのだから、そう勘違いするのも無理はない。だが、俺がお前を傷つけるなど、天地がひっくり返ってもあり得ないことだ。俺の行動が、結果的にお前を深く怯えさせていたとは……俺はなんという愚か者か」
心底打ちひしがれたような声でつぶやく竜王の姿は、とても恐ろしい怪物には見えない。
エリアルはしゃがみ込んだドラグレスの前に膝をつき、彼の分厚い手首にそっと自分の小さな手を添えた。
驚いて顔を上げたドラグレスに、エリアルは今度こそ、はっきりとした微笑みを向ける。
「怯えていたのは最初だけです。言葉は通じなくても、あなたが私を大切に扱ってくれているのは、ちゃんと伝わっていました……嬉しかったんです。誰かにこんなに優しくされたのは、生まれて初めてでしたから」
その言葉を聞いた瞬間、ドラグレスの瞳に再び強い光が宿る。
彼は立ち上がり、エリアルを抱き上げると、今度は寝床の中央にある一番柔らかい毛皮の上へと優しく座らせた。
そして自らもその隣に腰を下ろし、エリアルの小さな手を両手で包み込むようにして握りしめる。
ごつごつとした指先から伝わる熱が、エリアルの冷えやすい指先を芯まで温めていく。
互いの体温が混ざり合い、ドラグレスの放つ甘く重いαの気配が、エリアルのΩとしての本能を心地よく刺激する。
言葉が通じ合ったことで、二人の間にある見えない壁はすっかり崩れ去り、ただ甘く穏やかな時間だけが洞窟の奥深くに静かに流れていった。




