第85話 強さの代償
五日目の朝は、風が強かった。旗もない広場に、それでも目に見えない線が引かれている。誰がどこに立つかで、その人間の考えが分かった。
マルタは、最初から中央に立っていた。
「時間がない」
そう言う声に、迷いはない。
「決めなきゃいけない。代表固定で連合加入。それでいい」
はっきりとした声だった。
「一人に戻るのか」
輪のどこかから、押し殺したような問いが飛ぶ。
「戻るんじゃない」
マルタは即答した。
「守る形を変えるだけだ」
彼女の視線が、まとめ役の男へと流れる。男は口を開きかけ、言葉を探すように一度閉じた。
「俺は」
一拍おいて、彼は肩を落とした。
「やれと言われればやる」
その言葉に、周りの空気がふっとゆるむ。安堵の広がり方が速い。このまま決まってしまう――そう思わせる速さだった。
私は、輪の外から見ていた。戻るなら、今しかない。ここで口をつぐめば、誰も私を責めないだろう。むしろ、歓迎されるくらいだ。
「やると言えば、終わる」
隣で、レオンが低く言った。
「終わらない」
私は答え、一歩、前に出た。この五日間で、初めてのことだった。
「集中は強い」
声は静かに保つ。
「防衛も、交渉も、速い」
マルタが、認めるように小さく頷いた。
「ですが」
私はそこで息を継ぐ。
「強い構造は、壊れる時も速い」
「壊れなければいい」
マルタの返しは短い。
「壊れない保証は?」
「分散にもない」
その通りだった。否定はできない。私は指先を握り込んで、次の言葉を選ぶ。
「守りたいのは、今日」
マルタが言う。
「あなたの構造は、明日を守る。……それだけの話だ」
私は彼女を正面から見た。
「今日を守るために、明日を壊しますか」
輪のあちこちで、ざわめきが起きる。
「代表が潰れたら、町は二度壊れる」
その音を割るように、私は続けた。
「一度目に構造が壊れ、二度目に信頼が壊れる」
「じゃあ、何もしないのか」
苛立ちのにじむ声。私は首を振った。
「違う。集中の一部を、借りる」
空気が、ぴたりと止まった。
「どういうことだ」
まとめ役が、身を乗り出して問う。
「代表は固定しない。だが、緊急時の即断権限だけは、期間を限って置く」
「連合は認めない」
誰かが遮る。
「交渉する」
私は引かなかった。
「個人の責任ではなく、町の責任で、と」
マルタが眉をひそめる。
「通るのか」
「分からない」
嘘をつく気はなかった。正直に答えて、それでも私は言い足した。
「だが、試さずに戻れば、二度と分散には戻れない」
沈黙が落ちる。
そこへ、レオンが初めて声を強めた。
「一度集中を選べば、楽さは戻らない」
「楽さが悪いのか」
誰かが食ってかかる。
「楽は、依存を生む」
レオンの声は静かなのに、妙に重かった。
風がひときわ強く吹いて、足元の砂を舞い上げる。まとめ役の男が、その砂に目を細めながら、ゆっくりと口を開いた。
「俺は、固定にはなりたくない」
言葉の途中で、彼は喉の奥で一度言い淀む。
「だが、守りたい」
「なら、交渉だ」
私は、その二つを結ぶように言った。
こうして、六日目の朝にクラウスを呼ぶことが決まった。
夜になっても、焚き火の炎は小さいままだった。決断はまだ、誰の口からも出ていない。町は揺れている。それでも、まだ割れてはいなかった。
残り二日。明日、クラウスが来る。彼が示す条件次第で、この広場の均衡はどちらへでも傾く。私は火のそばで、掛ける言葉の順番を、一つずつ組み直していた。
「今日を守る」マルタと「明日を壊すのか」と返すアルテミシア、どちらの言い分も正しくて、書きながら私まで唸ってしまいました。
輪の外から一歩前に出る彼女を、思わず背中を押す気持ちで綴った回です。
理屈の応酬が続く硬派な五日目、ここまで付き合ってくださるあなたに、火のそばの席をひとつ空けておきます。




