第8話 断罪前夜
夜の王立学院は、昼間とは別の顔を持つ。
灯りの落ちた回廊。
静まり返った中庭。
昼間に渦巻いていた感情が、嘘のように沈んでいる。
私は、その静けさの中を一人歩いていた。
――呼び出しは、まだ来ない。
だが、分かっている。
これは“嵐の前”だ。
寮の部屋に戻ると、机の上に封書が置かれていた。
王家の紋章。
指先が、わずかに冷たくなる。
開かなくても分かる。
正式な場に出席せよ――
そういう類の文書だ。
私は、静かに封を切った。
『明日、王立学院大講堂にて、
関係者立ち会いのもと、事情聴取を行う』
事情聴取。
その言葉が、ひどく白々しく思えた。
(……形式だけは、整えるつもりなのね)
机に手を置き、深く息を吸う。
逃げることは、できる。
公爵家の権限があれば、
理由をつけて欠席することも、
王都を離れることも可能だ。
それでも。
――それでも、私は逃げない。
扉を叩く音がした。
「お嬢様」
メイド長、マリアンヌの声。
「入って」
彼女は、いつも通りの所作で部屋に入り、
しかし、いつもより深く頭を下げた。
「……噂は、すべて耳にしております」
「そう」
それだけで、十分だった。
「お嬢様」
マリアンヌは、少しだけ声を落とした。
「今夜のうちに、屋敷へ戻ることもできます」
逃げ道。
はっきりと示された、唯一の安全策。
私は、首を横に振った。
「逃げれば、
『後ろめたいから逃げた』と言われるだけ」
マリアンヌは、唇を噛みしめた。
「それでも……!」
「それでも、です」
私は、彼女を見た。
「私は、何一つ恥じることをしていません」
声は、驚くほど落ち着いていた。
怖くないわけがない。
震えていないわけがない。
けれど、
それ以上に、譲れないものがある。
「……かしこまりました」
マリアンヌは、深く頭を下げた。
「最後まで、お仕えいたします」
最後まで。
その言葉が、胸に染みた。
夜更け。
私は、一人で机に向かっていた。
明日のために、
弁明の言葉を用意することはできる。
事実。
規則。
結果。
すべて、揃っている。
それでも――
それが受け入れられないことも、分かっている。
(彼らは、結論を決めている)
必要なのは、真実ではない。
**納得できる“悪役”**だ。
私は、その役に選ばれた。
ふと、手が止まる。
鏡に映る自分の顔は、
驚くほど静かだった。
涙もない。
怒りもない。
あるのは、覚悟だけ。
――完璧であることを、
私は求められてきた。
だが、完璧であったからこそ、
切り捨てられる。
ならば。
明日、
私は“完璧な悪役令嬢”として立とう。
泣かず、
叫ばず、
媚びず。
最後まで、
正しさを手放さずに。
それが、
私に与えられた役目の、
最終章の始まりだとしても。
窓の外で、鐘が鳴った。
深夜零時。
断罪まで、
あと一日。
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