第72話 責任の所在
三日という期限は、思ったよりも短い。その事実を、町はゆっくり理解し始めていた。
倉庫の中で、声が低く交わされる。「小麦、二十袋だろ」「今あるのは……十七、か」足りない。致命的ではないが、“何とかなる”と言い切れる量でもなかった。
麻袋を数え直す手が、途中で止まる。「他の分と回せば」「いや、冬用の備蓄は崩せない」議論は小さく、慎重で、それでいて結論は出ない。
やがて「……どうする?」という問いが、自然と一人へ向かった。調整役の男だ。
彼は手元の紙を見ていた。昨日書いた整理表。そこに、小麦二十袋という数字が書き足されている。自分の字だった。
「不足分は、南の畑から回せるかもしれない」指先で数字をなぞりながら、彼は続ける。「ただ、あちらの収穫予定が……」言いかけて、口をつぐむ。これは相談ではない。決断を求められている――そう理解していた。
「名は、あなたになっているんだ」誰かが静かに言った。責める声ではなく、事実の確認だった。
男は一度、目を閉じる。名を書いたのは自分だ。今日だけのつもりだった、という言い訳が喉まで上がってきて、そこで止まった。
「……南から回す」短い判断だった。「代わりに、今月の配分を少し削る」
「大丈夫か?」「足りるのか?」問いが飛ぶ。彼は頷いた。「足りなければ、俺の判断ミスだ」
その言葉が、場を静めた。誰も反論しない。責任を引き受ける者が現れると、議論はそこで止まる。
私は入口近くで、それを聞いていた。“俺の判断ミスだ”。同じ言葉を、以前にも聞いた覚えがある。別の口から。
午後、不足分の運搬が始まった。南の畑の者が、少し困った顔をする。「予定より早いな」「事情があって」調整役の男が説明する。理由は簡潔だったが、その背後には契約があった。
「じゃあ、次の配分は?」「調整する」即答だった。迷いは見せない。
夕方、使者が戻ってくる。確認だけだと言う。「準備は整いましたか」穏やかな声だった。「三日後、確実に」調整役の男が答える。その瞬間、彼は町の代表だった。
「安心しました」使者は頷き、「では、契約通りに」と、再び名を確認して去っていく。巻物に記された名は消えない。
夜、焚き火のそばで、誰かが言った。「代表がいると、話が早いな」「説明も簡単だ」頷きが広がっていく。
レオンは、火を見つめていた。その横顔は静かだ。
「……どう思う」誰にともなく、調整役の男が呟く。レオンは少し間を置いてから言った。「外は、名前を求める」それだけだった。肯定も否定もしない。
私は火の向こう側から、二人を見た。分散は内部の合意で成り立つ。外部は契約で動く。契約には名がいり、名には責任がつく。
町は今日も壊れなかった。だが、責任は一箇所へ集まり始めている。名を書いた男の手元に、次の配分も、その次の判断も、当たり前のように回されていく――その流れが、焚き火の熱の中で静かに形を固めつつあった。
今日はちょっと理屈っぽい回。
分散でやってきた町に、外の世界は「名前を出せ」と迫ってきます。
書きながら私も一緒に唸りました。
"足りなければ俺の判断ミスだ"と引き受けた男の背中、地味だけど嫌いじゃないです。
火の向こうで黙って見ているアルテミシアも、たぶん同じことを考えている気がします。




