第73話 一時的な代表
三日後の朝は、妙に澄んでいた。空は高く、雲は薄い。こういう日に限って、物事ははっきりする。
小麦は二十袋、きっちり揃っていた。南の畑から回した分に、倉庫の在庫を調整した分。いくつかの予定を後ろ倒しにして、ようやく数が合った。「……間に合ったな」誰かが袋のひとつを軽く叩き、その手つきに安堵がにじむ。
使者は約束通りに現れた。まっすぐ小麦へ視線を向け、「確認します」と袋を一つずつ数えていく。丁寧に、淡々と。指の動きに無駄がない。
「問題ありません」使者が巻物を開いた。「では、受領の証として」――再び、名を求められる。
調整役の男は、少しだけ息を吸った。昨日より、迷いは少ない。もう一度書けばいいだけだ。炭が紙を擦り、同じ名が同じ場所に並んだ。
「今後も、同条件でよろしいですね」使者は、ごく自然にそう言った。
炭を握る男の手が止まる。「……今後、とは」
「継続的な取引です。安定している町とは、長く付き合いたい」穏やかな笑み。声に棘はなく、悪意もない。
背後で小さなざわめきが起きた。“安定している”――その評価は誇らしく、同時に、肩にのしかかってくる。
「一度、持ち帰って」男が言いかけた。だが、周りの視線が一斉に集まる。今、ここで決めろと。
「……本日と同じ条件で」考えるより先に、口が動いていた。
「ありがとうございます」使者が深く頷く。「次回も、あなたに」その一言が、場の空気を固定した。
使者が去ったあと、広場に静けさが残った。成功だ。問題はない。町は利益を得た。
「うまくいったな」「さすがだ」賞賛が男に向かう。彼は「たまたまだ」と笑ってみせたが、その声はどこか乾いていた。
私は、広場の端からその様子を見ていた。“今日だけ”は終わり、代わりに“次回も”が生まれた。
午後には、もう次回の準備の話が始まっていた。「前回と同じでいい?」「細かい条件は?」――誰も、他の選択肢を口にしない。問いはすべて彼へ向かい、自然と、彼が輪の中心にいる。
レオンは近づかない。だが、視線は外さなかった。
「……なあ」調整役の男が、誰にともなく小さく漏らす。「これ、俺でいいのか」独り言に近い声だった。
「今は、あなただろ」誰かが即答した。優しさであり、信頼であり――そして、固定だった。
代表は選挙で決まらない。権力で奪われもしない。成功によって、自然に固定されていく。私はそう思った。
夜。焚き火が、いつもより明るく見えた。町は潤っている。物資も、評価も。
「安定してきたな」その言葉が、火のまわりで何度も交わされた。安定、安心、信頼――どれも悪くない言葉だ。
だが、安定は集中の上に成り立つ。集中は疲労を生み、疲労はある日、前触れもなく表に出る。
調整役の男は、火を見つめていた。その背中に、かつてレオンが背負っていたものと同じ影が差している。まだ小さい。だが、確実にそこにある。
町は今日も壊れなかった。焚き火の向こうで、男はまた明日の段取りを問われ、当たり前のように頷き返す。“一時的”だったはずの代表は、誰の決定もないまま、正式な代表の椅子へと座らされようとしていた。
今日はちょっと理屈っぽい回でした。
悪人が奪うのではなく、みんなの善意で人がそっと椅子に座らされてしまう――この瞬間がどうしても書きたかったのです。
「これ、俺でいいのか」とこぼす彼の背中を、書いていて少し切なく見ていました。
端で黙って見ているアルテミシアの目、私は嫌いじゃないです。




