第7話 積み上がる噂
噂というものは、音もなく広がる。
翌朝、王立学院に足を踏み入れた瞬間、
私はそれを肌で感じた。
――静かすぎる。
挨拶は返ってくる。
礼も、形式通りだ。
だが、視線が合わない。
言葉の後に、必ず一拍の間がある。
(……始まった)
廊下を歩くたび、背後で声が止まる。
「……昨日の実習、見た?」
「泣いてたよね、エリナ」
「アルテミシア様、怖すぎない……?」
聞こえないふりをするには、
あまりにもはっきりしすぎていた。
教室に入ると、空気がさらに重くなる。
いつもなら自然に空いていた、
私の周囲の席。
今日は、誰も座らなかった。
まるで、
そこだけが触れてはいけない場所であるかのように。
(慣れている)
そう、思った。
嫌われることにも。
距離を取られることにも。
それでも――
胸の奥が、じくじくと痛む。
授業が始まる直前、
小さな紙片が、机の上に落ちた。
――誰かが、投げた。
拾い上げる。
『冷酷』
『平民いじめ』
『王太子殿下が可哀想』
紙を握りつぶし、静かに机の中へしまう。
(……子供じみている)
だが、子供じみているのは紙切れだけではない。
事実よりも、
涙の方が重い世界。
正しさよりも、
“可哀想”が勝つ空気。
休み時間。
私は、職員室へ向かった。
昨日の実習の件――
正式な報告と、再発防止策の提出。
それが、私の役目だ。
「失礼します」
教師たちは、一斉にこちらを見た。
その反応だけで、
すでに話が回っていることが分かる。
「アルテミシア様……」
魔法実習を担当した教師が、困ったように言った。
「今回は、もう少し柔軟な対応も……」
「柔軟とは、規則違反を黙認することですか?」
淡々と問い返す。
「いえ、そうでは……」
教師は言葉に詰まった。
――誰も、私が間違っているとは言えない。
けれど、
誰も、私を支持もしない。
「分かりました」
私は頭を下げた。
「今後は、私からの指導を控えます」
その瞬間、
教師たちの表情が、明らかに安堵した。
(……それでいいのですね)
責任を負う者が、
口を閉ざすこと。
それが、皆の望みなのだ。
廊下に出ると、
遠くで人だかりが見えた。
中心には、エリナがいる。
顔色は青白く、
誰かに肩を支えられている。
「大丈夫?」
「無理しないで」
その声の合間に、
私の名前が、囁かれる。
「……アルテミシア様のせいで……」
私は、立ち止まらなかった。
見れば、
“私が悪者”になる。
目を向ければ、
“睨んだ”と言われる。
すでに、
選択肢は奪われている。
放課後。
王太子レオナルト殿下から、
呼び出しがあった。
場所は、
学院内の応接室。
そこは、
「公式の話」をする場所だった。
「アルテミシア」
殿下は、私を見て言った。
その声には、
もう、迷いよりも疲労が滲んでいた。
「最近、君に関する声が多い」
――でしょうね。
「学院の空気が、少し荒れている」
「原因は、把握しています」
私は、真っ直ぐ答えた。
「私の行動が、気に入らないのですね」
殿下は、否定しなかった。
「……皆が、傷ついている」
皆。
また、その言葉。
「では、殿下」
私は、静かに問い返した。
「誰が、責任を負うのですか?」
殿下は、答えなかった。
沈黙が、
その場を支配する。
「少し……」
殿下は、苦しそうに言った。
「少し、距離を置こう」
その言葉で、
すべてが決まった。
距離を置く。
それは、婚約者としての後退。
そして――
断罪への準備。
「承知しました」
私は、深く頭を下げた。
部屋を出た瞬間、
足元が、わずかに揺れた。
(……ああ)
理解してしまった。
噂は、もう噂ではない。
空気は、すでに“結論”を持っている。
私が何をしたかではない。
誰が泣いたかだ。
夕暮れの校舎を、一人歩く。
影が、長く伸びる。
その影の中で、
私は確信していた。
次に呼ばれる時は、
弁明のためではない。
裁かれるためだ。
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