第44話 迷わない人
判断が下されたのは早朝だった。川沿いの倉庫群をどう使うか――老朽化が進み、修繕に回す人手は足りない。かといって放置すれば、物流に響く。本来なら数日の議論を要する案件だ。
「……では、倉庫は一部を閉じ、残りを集約しましょう」
静かな声だった。命令でも提案でもなく、確認に近い言い方。それだけで、周囲は自然に頷いた。
結果は良好だった。物流は滞らず、管理の手間も減った。作業に関わった者たちは、疲労を口にしながらもどこか満足げだ。
「早く決まって助かったよ」
「無駄がなかった」
評価は概ね好意的だった。
私は少し遅れて現場を見に行った。整理された倉庫に、無駄のない動線。数字も確かに改善している。
「問題は?」
現場監督に尋ねると、彼は即座に首を振った。
「ありません」
その答えに、迷いはなかった。
だが倉庫の裏手で、一人の若者が立ち尽くしていた。運搬役の少年だ。
「……どうかしましたか」
声をかけると、彼は肩を小さく跳ねさせた。
「あ……いえ」
否定は早かった。
「仕事が減っただけです」
不満ではない。事実を告げる声だった。
「減って、困りましたか」
私が静かに聞くと、彼は一瞬だけ視線を落とした。
「……今は、大丈夫です」
即答ではなかった。
「でも」
続けようとして、少年は言葉を呑んだ。
「いえ、問題ありません」
そう言って、深く頭を下げた。
倉庫を離れ、私は町の外れに立った。今回の判断は正しかった。否定する理由は一つもない。それでも、選ばれなかった選択肢は、最初から俎上にすら上がっていない。議論は短かった。短すぎた。
夜、宿の食堂で別の話を聞いた。
「早いよな、あの人」
「ああ、迷わない」
「だから皆ついていく」
言葉はどれも賞賛で、疑念の色はない。
「……迷わないのは、そんなに良いことか?」
誰かが冗談めかして言った。一瞬、卓に沈黙が落ちる。だが、すぐに笑い声がそれを押し流した。
「今さら迷われても困るだろ」
それで話は終わった。
私は杯を置いた。迷わない人は安心を与える。不確かな世界では、それだけで価値になる。だが、安心はたやすく依存に変わる。
部屋に戻り、灯りを落とす。この町は今日も問題なく終わる。誰も傷つかず、誰も怒らない。だが、問いも残らない。問いが残らないこと――それこそが、一番の異変だった。
その決断の主を、私は思い浮かべた。まだ一度も顔を合わせていない男。迷わない人。彼は何を見て、何を切り捨てているのだろう。それとも、切り捨てている自覚すらないのか。
私はまだ動かない。だが、目を逸らすことだけはしなかった。
「迷わない人」は頼もしい――のに、その静けさに一人だけ引っかかっているアルテミシア。
倉庫裏で言葉を呑んだ少年のことを、私もしばらく忘れられそうにありません。
何も起きないのに落ち着かない回を書くのは、じつは結構すきなんです。




