第41話 正しさは、手放される
連合拠点の朝は、もう私を中心には回っていない。
会議の予定表が私の机に届くことはなくなった。報告書も、必要な時にだけ共有される。机の上はいつも片づいていて、私が開くべき書類はもう残っていない。それで、何ひとつ困らなかった。
中庭を歩く。行き交う人影は、以前より目に見えて少ない。それでいて、すれ違う誰の足取りも軽かった。
「その案、急がなくていい」
「失敗したら、戻せばいい」
肩の高さで、そんな言葉が当たり前のように交わされていく。正解を急がない空気だ。かつてこの場所に、最も欠けていたもの。
私は立ち止まらずに歩いた。声をかけられることも、袖を引かれることもない。振り向かせるだけの名前を、もう誰も私に求めていなかった。それが少しだけ寂しくて、そのぶん、いつもより深く息が吸えた。
昼。簡素な食事を挟んで、マリアンヌと向かい合う。
「……本当に、行くのですね」
「ええ」
それ以上の言葉は、私たちのあいだにいらなかった。
「連合は?」
「回ります」
即答だった。私が抜けたくらいで回らなくなるようなものなら、そもそも作った意味がない。
「あなたは」
マリアンヌが言いかけて、それから少しだけ言葉を選んだ。
「これから、何をするのですか」
私は一度、天井のほうへ視線を逃がしてから、正直に答えた。
「……決めていません」
はぐらかしたわけでも、隠したわけでもない。本当に、まだ何も決まっていないのだ。
「必要な場所へ行って、必要なことだけをします。肩書きも、役職も持たずに」
午後。拠点の外れで、最後にもう一度だけ地図を広げた。連合の範囲、そこから離れていった領。塗り分けられた色が、卓の上でいくつも隣り合っている。
どの色も正しく、そして、どの色も不完全だった。だからこそ、こうして並び立っていられる。
門の前で、一度だけ振り返る。見送る者は、誰もいない。それでいい。
英雄の退場でも、象徴の引退でもない。ただ、役割がひとつ終わっただけだ。
私は一歩、門の外へ踏み出した。背後で、世界は何事もなかったように今日も動いている。
正しさを、誰かに預けて済ませることはしない。だからといって、正しさを考えることをやめもしない。それでいい。
かつて完璧であることを求められた令嬢は、その役を、自分の手で降りた。悪役でもなく、英雄でもなく。ただ、考え続けるひとりの人間として。
正しさは、もう誰のものでもない。だからこそこの世界は、今日も続いていく。
見送りゼロで門を出ていく主人公を書きながら、私だけこっそり手を振っていました。
「決めていません」とこんなに堂々と言える人、なかなかいません。
肩書きを全部置いていく背中、書くのは少し寂しくて、少し誇らしかったです。
ここまで並走してくれたあなたに、そっと★を預けてもらえたら跳ねて喜びます。




