第40話 引き継がれる思想
連合拠点に、以前ほどの人の出入りはない。だが、動きが止まったわけでもなかった。少し不格好なまま、以前よりもよく回っている。
朝、作業室の前を通りかかると、聞き覚えのある声が廊下まで漏れてきた。
「その判断は、“効率”じゃなくて“回復余地”を優先すべきだ」
「でも、それだと数値が下がりますよ」
「下がっていい」
若い技術者たちが言い合っている。私は思わず足を止めた。開いた戸の隙間から覗くと、数人が地図を囲んでいる。私の姿に気づいた者もいたが、誰も口をつぐまなかった。言葉が途切れないまま、議論はそのまま続いていく。それが、少しだけ新鮮だった。
「……その考え方、誰に教わったの」
近づいて問いかけると、一人が首をかしげた。
「教わった、っていうより」
別の若者が地図から顔を上げて、続きを引き取る。
「記録を、読んで。連合初期の設計思想です」
私は息を吐いた。“私の考え”ではない。記録の中に残った思想だ。そう言い直すように、指先が資料の端をなぞる。
「でも、正直」
最初の技術者が肩をすくめた。
「読んでも、よく分かりません。万能でもないし、正解が書いてあるわけでもない」
それでも、と別の者が地図に視線を戻したまま、少し笑う。
「決めつけない、っていう一点だけは、信用できます」
私は何も言えず、ただ小さく頷いた。それで十分だった。
昼、中庭でマリアンヌと並んで歩いた。
「最近、あなたの名前が出なくなりましたね」
「ええ」
私は頷く。
「質問は、設計思想のほうに向かっています。人ではなく」
彼女はわずかに目を見開いて、こちらを見た。
「……それは」
「理想的です」
言い切ると、マリアンヌは何か言いかけて、結局黙って歩調を合わせた。
午後、連合の簡易会合が開かれた。私は呼ばれていない。それでも議論は進んでいく。時に迷い、時に止まり、時に回り道をしながら、それでも前へ動く。誰も、「アルテミシアならどう言うか」とは口にしない。その一言が出ないことが、何よりの証明だった。
夕方、一人の若い領主が私を見つけて、深く頭を下げた。
「……ありがとうございます」
「何に対して」
そう返すと、彼は言葉を探して、少し困った顔になった。
「考え方を、残してくださったことに」
私は静かに首を振る。
「残したのではありません。置いていっただけです。使うかどうかは、あなたたちが決める」
夜、部屋で荷物を整理した。古い資料と、もう使わなくなった地図。その多くを一つずつ箱に収めていく。持ち出すつもりはない。ここに置いていく。思想は所有できない。だからこそ、次の手に渡っていく。
窓の外に目をやると、灯りはまばらだった。それでも、それぞれの場所でちゃんと灯っている。完璧ではない。統一もされていない。それでも、回っている。
それなら、もう私が前に立つ必要はない。正しさは、誰か一人のものではなくなった。今はただ、静かに手放されていく。
今日は珍しく、アルテミシアが一歩引いて見守る回。
若い子たちに「決めつけない、その一点だけは信用できる」と言われた場面は、書きながら親戚のおばさんみたいに誇らしくなってしまいました。
思想は置いていくだけ、と言い切る彼女の強がりが、いちばん優しいところなのですよね。




