第39話 設計者の責任
夜の作業室は静かだった。
人の出入りが減ったせいか、灯りの数もいつもより控えめだ。私は一人で机に向かい、広げた紙の上に指先を滑らせていた。地図。循環図。連合の記録。どれも私が関わった痕跡で、こうして並べると、通り過ぎてきた道がそのまま形になって残っているようだった。
「……まだ起きていたのですね」
背後でドアが小さく鳴り、マリアンヌの声がした。
「ええ」
振り返らずに答える。
「少し、整理をしていました」
彼女は向かいの椅子を引き、腰を下ろした。それきり、しばらく言葉は続かない。急ぐ話ではなかった。結論もすぐに出るものではない。それを互いに分かっているから、沈黙は気詰まりにならなかった。
「……連合は」
やがてマリアンヌが、ぽつりと口を開いた。
「思っていたより、壊れませんでした」
「ええ」
私は小さく頷く。
「縮みましたが、壊れてはいない」
それが成功なのか失敗なのか、その判断さえ難しかった。
「正直に言っても、いいですか」
「どうぞ」
「私は、もっと酷いことになると思っていました」
彼女の声は静かだった。
「誰かが責任を取らされ、誰かが糾弾され……あなたが、その中心に立つと」
私は手元の紙から目を上げた。
「……それを、避けたかったのです」
嘘ではなかった。本音だった。
「でも」
マリアンヌは指を組み、言葉を続ける。
「完全には、避けられませんでした」
「ええ」
私は否定しなかった。
「いくつかの領は、苦しい選択をしました。救われなかった人も、いました」
部屋の空気が少し重くなる。それでも、私は目を逸らさなかった。
「……私は」
言葉を一つひとつ確かめるように話す。
「自分が“正しい仕組み”を作っていると思っていました。けれど、それは違った。実際に置いたのは、“壊れにくい形”だっただけです」
正解ではない。救済でもない。ただ、一極に集中しない構造。それだけのものだった。
「設計者の責任は」
私はゆっくりと言った。
「結果を保証することでは、ありません。選択肢を残すことです」
言い切ってしまってから、それでも責任が消えるわけではないと思い直す。
「選択肢を残した結果、誰かが苦しむなら――それは、設計者の責任でもあります」
私はその重さを、そのまま引き受けた。
マリアンヌが、少し驚いたように私を見る。
「……後悔は?」
その問いに、私はすぐ答えられなかった。しばらく指先で紙の端をなぞってから、ようやく口を開く。
「後悔は、ありません」
だが、と私は続けた。
「反省は、あります」
それが、今の私に言える精一杯の答えだった。
「もし、もう一度やり直せたら」
マリアンヌが静かに聞く。
「同じことを、しますか」
私は少しだけ微笑んだ。
「……分かりません」
即答はしなかった。
「同じ設計は、選ばないかもしれません。ですが」
そこだけは、声に力を込めた。
「誰かに正しさを預ける形は、選びません」
それだけは確かだった。
夜が深まっていく。作業室の外に、もう人の気配はない。
「……あなたは」
マリアンヌが言いかけて、言葉を止めた。それから、確かめるように言い直す。
「もう、前に立つ気はないのですね」
「ええ」
私は静かに答えた。
「設計者は、いつまでも中心にいるべきではありません」
中心にいる限り、思想はその一人に依存してしまう。それでは、また誰かに背負わせるのと変わらない。
私は机の上の地図を閉じた。そこに描かれているのは、まだ未完成な世界だ。だが、完成させる気はなかった。世界は、完成しない方がいい。
完璧であることをやめた私は、ようやく、設計者としても未完成であることを受け入れられた。それが、今の私の責任だった。
後悔はない、けれど反省はある――アルテミシアのこの答えを書いていて、私まで背筋が伸びました。
正しさを誰かに預ける形だけは選ばない、そこは絶対に折れない子です。
理屈っぽい夜の回でしたが、ここまで静かに付き合ってくださるあなたが、私はとても好きです。




