第38話 残る者、去る者
連合拠点は、以前よりも静かだった。人が減ったわけではない。仕事が減ったわけでもない。ただ、張りつめていた何かが抜けて、足音や紙をめくる音までが前より遠く聞こえた。
朝の会議。長机に着いた顔ぶれは、半分ほどになっている。空いた椅子を、誰も引き寄せようとはしなかった。
「今日は、この議題から始めましょう」
議長が落ち着いた声で告げると、意見はすぐに出た。反対も、同じくらい出た。それでも誰も急がない。結論を今日出す必要がないことを、この場の全員が分かっている。
会議のあと、資料をまとめていた私の手元を覗き込んで、マリアンヌが息をついた。
「……少し、楽になりましたね」
「ええ」
私は否定しなかった。決めなくても、責められなくなった。それがこの数日の、いちばん大きな変化だった。
昼は中庭で、簡単な食事を取る。以前なら情報交換と打ち合わせで埋まっていた時間に、今はただパンを口へ運んでいる。
「離脱した領から、連絡は?」
マリアンヌの問いに、私は首を横に振った。
「必要な時だけ、来ます。それでいいんです」
無理につなぎ止める関係は、もう手放していい。そう口にしてみて、思ったより軽く言えたことに自分で気づく。
午後、連合に残ることを選んだ領の代表が、若い足取りで私を訪ねてきた。膝の上で指を組んだり解いたりしながら、彼は切り出した。
「……正直に言います。我々は、決断が遅い」
それは弁解ではなく、自覚の口ぶりだった。
「効率だけを見れば、離脱した領の方が正しいのかもしれません」
私は黙って聞いた。彼は視線を落とし、それから、ゆっくり顔を上げた。
「それでも――迷いながら決めるこの形を、手放したくなかった」
声は小さかったが、語尾は揺れなかった。
「……後悔は?」
私が尋ねると、彼は首を振った。
「不安はあります。でも、納得しています」
納得。それは正解とは違う。けれど人が前を向いて生きるには、それで十分な理由になる。彼の組んだ指は、いつのまにか静かにほどけていた。
夕方、拠点の外れで地図を広げた。連合の範囲は以前より狭い。だが色分けははっきりして、同じ色で塗りつぶされていた頃より、ずっと見やすくなっている。指先で境界をなぞりながら、これでいい、と思った。
夜。作業室で一日の記録をまとめる。特別な成果はない。目立つ事件もない。それでも、あの圧は消えていた。正しさが一つに集まろうとする力が弱まっただけで、この場所は随分と健全になった。
私はペンを置いた。残る者がいる。去る者もいる。どちらも自分で選んだ。それが連合の、新しい形だった。完璧な統一はない。けれど考える余白は、確かにこの場所へ戻ってきている。
窓の外へ目を向けると、点々と灯る明かりは控えめで、けれど揺らがない。それで十分だった。明日また、残ると決めた者たちが、遅い足取りで机に着く。
派手な事件のない、静かな回でした。
書いている私まで肩の力が抜けて、パンをかじる中庭の時間がやけに愛おしかったです。
「不安はあります。でも、納得しています」――このひと言を言わせたくて、この回を書いたようなものでした。
残る人も去る人も、自分で選んだ。
それでいい、と地図をなぞるアルテミシアに、私もそっとうなずいています。




