第34話 誰も悪くない、だから止まらない
事故の報告は、連合内で正式に共有された。北部第七領、医療魔力の一時不足、死者なし。添えられた評価は一文だけだった。
『制度上、想定内の事象』
その言葉に、誰も異を唱えなかった。
定例会議は、いつもより空気が軽かった。深刻な被害がなかったことが、そのまま安心材料になっている。
「適切な判断だったと考えます」
誰かが言い、別の者が頷いた。
「夜間対応を削減した分、全体の安定性は向上しています。結果として、被害は最小限に抑えられた」
正しい。論理としては、非の打ちどころがなかった。
「……もし、あの判断がなければ?」
マリアンヌが静かに問いを投げると、視線が一斉に彼女へ向いた。
「もっと多くの地域で、供給が不安定になっていた可能性があります」
即座に答えが返る。
「ならば、どちらが正しいのか」
短い沈黙が落ちた。だが、答えは出ている。多数を取る。それだけのことだった。
「……責任は?」
別の者が、誰に向けるでもなくぽつりと聞いた。議長がわずかに顔を上げ、淡々と答える。
「個人の判断ではありません。連合基準に基づいた、集団の選択です」
その一言で、責任が輪郭を失っていくのがわかった。誰のものでもなくなる。私は手元の議事録に落ちた自分の視線を、しばらく動かせなかった。
会議のあと、廊下で若い領主がすれ違いざまに言った。
「不幸ではありましたが、失敗ではありません」
失敗ではない。だから次に活かす必要もない。改善点が議題に上がることは、ついになかった。
自室に戻り、一人で資料を広げた。事故の詳細、判断の経緯、代替案。どの頁にも、“やらなかった理由”がきちんと書き込まれている。やらなかったことは、責められない。指先で代替案の欄をなぞりながら、そこに書かれていない一行を探した。やらなかった結果は、どこにも記されていなかった。
夜も遅く、扉が控えめに叩かれた。マリアンヌだった。
「……皆、納得しています」
その報告こそが、一番の問題だった。
「誰も、間違えたと思っていない」
「ええ」
私は椅子の背にもたれ、天井を仰いだ。
「正しさで、納得してしまった」
言葉はそこで途切れた。マリアンヌも、続く言葉を持ち合わせていないようだった。
連合は、まだ機能している。数字も秩序も保たれている。だが、誰かが小さく削られたとき、それを“仕方ない”で終わらせる癖が、この場所には根を張り始めていた。王都で見た悪意よりも、よほど厄介だった。悪意には名指しできる相手がいる。ここには、それがない。
誰も悪くない。悪者がいなければ断罪もなく、断罪がなければ変える理由もない。そうして正しさは今日も更新される。少しずつ、取り返しのつかない方向へ。
窓の外へ目をやると、街の灯りは安定して並んでいた。誰も困っていないように見える。けれど、このまま進めば、いつか必ず「仕方なかった」では済まない夜が来る。そのとき、私はまだ「裁かない」と言えるのだろうか。
答えは出ないまま、私は机上に広げた資料を一枚ずつ束ね直し、明日の議題に載せるための余白へ、代替案の欄を写し始めた。誰も書かなかった一行を、今度は自分が置くために。
悪意なら名指しできるのに、「仕方ない」には掴む手がかりがない。
今日はそのやりきれなさを書くのがしんどくて、でも書きたくて仕方ありませんでした。
誰も書かなかった一行を、今度は自分の手で置きに行くアルテミシア。
相変わらず損な役回りですが、私はこの背中がいちばん好きかもしれません。




