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断罪された公爵令嬢は、完璧であることをやめました  作者: 月影 すずり


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3/13

第3話 規則という名の壁

 王立学院には、目に見えない境界線がある。


 それは壁でも柵でもない。

 生まれと立場、そして「守られているかどうか」で自然と引かれる線だ。


 昼休み。

 中庭に面した回廊は、談笑する生徒たちで賑わっていた。


 私は、その光景を少し離れた場所から見ていた。


「……あ」


 小さな声が耳に届く。


 視線を向けると、エリナ=ミルフォードが、戸惑った様子で立ち尽くしていた。

 彼女の足元は、貴族専用区域。


 王立学院では、区域ごとに使用が分けられている。

 それは差別ではなく、秩序だ。


(気づいていない……)


 私は一瞬、躊躇した。


 昨日、すでに注意はした。

 だが、ここで見過ごせば――


 周囲の視線が、すでにこちらを窺っているのを感じる。


 私は歩み寄った。


「エリナ=ミルフォード」


 彼女は、びくりと肩を震わせて振り返った。


「は、はい……?」


「ここは、貴族専用区域です。使用許可は出ていません」


 声は低く、静かに。

 感情を挟まないよう、細心の注意を払った。


 エリナは、きょろきょろと周囲を見回し、顔を赤らめる。


「す、すみません……知らなくて……」


「知らなかったでは済みません」


 言い切った瞬間、空気が変わった。


 ざわり、と。


 背中に、無数の視線が突き刺さる。


(……それでも)


「学院では、規則を守れない者が最初に排除されます。それは、あなたが平民だからではありません」


 私は、一歩も引かなかった。


「特別扱いは、あなたを守りません。むしろ――」


「アルテミシア」


 聞き慣れた声が、私の言葉を遮った。


 レオナルト殿下だった。


「そのくらいでいいだろう」


 彼は、穏やかな口調で言った。

 まるで、私が言い過ぎたかのように。


「殿下……?」


 胸の奥が、ひくりと揺れる。


「彼女はまだ慣れていない。最初から完璧を求めるのは酷だ」


 そう言って、殿下はエリナに向き直った。


「大丈夫だよ。次から気をつければいい」


 エリナは、ほっとしたように息を吐いた。


「は、はい……ありがとうございます……」


 その瞬間だった。


 ――私が、悪者になった。


 周囲の生徒たちが、露骨に私を見る目を変えたのが分かった。


「厳しすぎない……?」


「そこまで言わなくても……」


 小さな囁きが、確かに私へ向けられている。


(違う……)


 違う。

 これは、彼女のためだ。


 だが、その言葉は喉まで上がって、飲み込まれた。


 ここで感情的になれば、

 「やはり高慢だ」と言われるだけだ。


「……殿下」


 私は、静かに頭を下げた。


「ご判断、承知しました」


 それ以上、何も言わなかった。


 言えなかったのではない。

 言わないことを選んだ。


 エリナは、私をちらりと見たあと、すぐに視線を逸らした。


 怯えたような、困ったような、

 そして――どこか、救われたような顔。


(壁を作ったのは、私?)


 胸が熱くなる。


 否。

 私は、最初から壁のこちら側に立たされている。


 授業開始の鐘が鳴り、生徒たちは散っていく。


 私は、誰とも視線を合わせず、教室へ向かった。


 背中に、はっきりとした孤立を感じながら。


 正しさは、いつも孤独だ。


 けれど――

 それでも私は、引くわけにはいかなかった。


 王太子の婚約者として。

 この国の秩序を守る者として。


 その覚悟が、

 やがて私自身を追い詰める刃になることを、

 この時の私は、まだ知らなかった。

本話もお読みいただき、ありがとうございました!


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