第2話 平民特待生の入学
王立学院の講堂は、朝からざわついていた。
貴族の子女ばかりが集うこの場所で、「平民特待生の編入」という報せが持つ意味は、決して小さくない。
私は最前列の指定席に腰を下ろし、背筋を正したまま壇上を見ていた。視界の端で、令嬢たちが扇の陰から囁きを交わしている。好奇と、かすかな警戒。その温度が、壁を伝って伝わってくる。
特待制度そのものは、珍しくない。
だが今回は、経緯が違う。
「本年度より、特例として一名。平民出身の生徒を迎える」
学院長の声に、ざわめきが一度、ぴたりと止んだ。
「彼女は魔力測定において、これまでにない反応を示した」
止まった空気が、今度は逆向きに波打つ。
これまでにない反応――その一語が何を意味するのか、この場にいる誰もが理解している。賞賛であると同時に、火種でもある、と。
「前へ」
学院長の呼びかけに応じて、一人の少女が壇の袖から進み出た。
淡い色の髪。仕立ての簡素な制服。伏せがちな睫毛が、緊張に細かく震えている。
エリナ=ミルフォード。
名を告げられても、彼女はうまく顔を上げられずにいた。
「平民……?」
「本当に、ここにいて大丈夫なの」
囁きが、さざ波のように席を伝う。エリナは両の拳を握りしめ、その波をまともに浴びていた。
次の瞬間だった。
壇上の魔力測定用の水晶が、ふっと灯った。
最初は蛍火ほどの淡さで。それが、みるみる白く冴えていく。講堂の高い天井まで、澄んだ光が立ちのぼった。
「――聖属性」
誰かの声が、震えて漏れた。
その一語で、講堂の空気が質を変える。息を呑む音、椅子を引く音、隣と目を見交わす気配。ざわめきは、もう好奇ではなかった。畏れだった。
私は、膝の上で指を組み直した。
聖属性。この国において、特別中の特別。
宗教が担ぎ、王権が欲しがり、民心がすがる力。一人の少女に宿るには、あまりに重すぎる意味だ。
この国の魔力は、中央に集めた聖属性を核にして巡っている。王都が明るく回るぶん、遠い土地から順に魔力は薄く痩せていく――統治を学ぶ過程で、私はその歪んだ流れを図で叩き込まれた。核がひとつきりの循環は、その核が倒れれば残らず道連れにする。誰もが見て見ぬふりをしている、設計そのものの欠陥だ。中央から最も遠い辺境だけが、その核に頼らず、細々と自前で灯りを保っていると聞く。
そして、核に据えられた聖属性の持ち主が、どう扱われるのかも知っている。祈りのたびに削られ、それでも代わりはいくらでも探せると囁かれ、器が空になるまで使い切られる。
――学院だけで収まる話ではない。
教会がどう動くか。派閥がどう色めき立つか。壇上のあの子は、まだ何も知らないまま、国家を揺らしかねない駒として――いずれ空にされる器として、盤の上に置かれた。
「落ち着いて」
声を上げたのは、レオナルトだった。すぐに壇の下へ歩み出て、ざわめきを手のひらで受け止めるように、皆を見渡す。
「驚く必要はない。彼女は正式な手続きを経て、ここにいる」
柔らかな声。安心させる笑み。
それだけで、講堂の張りつめが少しだけほどけた。
――早い。早すぎる。
まだ、彼女の立場も、この力が招く危うさも、誰にも整理されていない。安心を配るのは、その後でいい。
「殿下」
私は、低く呼びかけた。
「まずは、学院の規則と、彼女の立場を――」
「後で話そう、アルテミシア」
彼は私を見ずに、そう言った。
喉の奥が、ひやりと冷たくなる。庇うべきものの順序を、彼はもう決めてしまっている。
エリナは、王太子に促されるまま生徒たちの列に加わった。その背は、大きな講堂の中でひどく心細げだった。
守られている。
その事実そのものが、私を落ち着かなくさせる。特別な力に、特別な庇護。二つが揃えば、次に生まれるものは決まっている。
式が終わり、生徒たちが散っていく。
廊下では、もう噂が先回りしていた。
「聖女候補かもしれないって」
「王太子殿下が、直々に……」
私は足を止め、ひとつ息を吸った。
誰かが、伝えなければならない。今の彼女に必要なのは、優しい言葉ではなく、身を守るための輪郭だ。
「エリナ=ミルフォード」
呼び止めると、彼女は弾かれたように振り返った。
「あ、あの……はい」
「ここは王立学院です。あなたの力がどれほど特別でも、規則は誰にも平等に適用されます」
一語一語、選び抜いて置いた。
「それを理解しないままでは、いずれあなた自身が傷つくことになる」
エリナは唇を噛み、視線を落とす。
「……すみません。私、何も分からなくて」
その声に、指先の力がわずかに緩みかけた。
分かっている。彼女は、悪くない。何も知らずにこの場所へ連れてこられた、それだけの子どもだ。
だからこそ。
「分からないままでいることは、ここでは許されません」
冷たい言葉だと、自分でも分かっていた。それでも、言わずにおくほうが残酷だと知っていた。
エリナは深く頭を下げ、涙を溜めた目で私を見上げた。
「が、頑張ります……」
その瞬間、周囲の視線が一斉に私へ集まった。
まるで、私がこの小さな子を追い詰めたかのように。
どこかで、舌打ちがひとつ落ちた。
――始まった。
予感が、確信の形に固まっていく。
私は背を向け、歩き出す。
嫌われることには、慣れている。慣れているはずだ。
ただ、今日この講堂に灯った光は、学院の壁の外まで届いてしまった。あの光をめぐって、これから誰が手を伸ばし、誰が誰を切り捨てるのか。
その最初の一手が、明日にも動き出す。
エリナに冷たく言い放つアルテミシア。
でも書いている私は知っています、あの子、本当は誰より心配しているんです。
優しく撫でるより厳しい輪郭を差し出すほうがマシだなんて、不器用な優しさに思わず苦笑い。
嫌われ役、そんなに率先して引き受けなくてもいいのに。
ブクマの★、そっと灯していってもらえたら跳ねて喜びます。




