第15話 王太子の後悔
書類に目を落としているはずなのに、
文字が、まったく頭に入ってこなかった。
――まただ。
レオナルト=ルミナスは、静かに息を吐いた。
王太子としての執務は、何一つ滞っていない。
判断も、命令も、処理も、すべて順調だ。
それなのに。
(なぜだ……)
胸の奥に、重いものが沈んだまま、動かない。
「殿下」
側近の声に、顔を上げる。
「辺境伯領の件ですが……」
その言葉を聞いた瞬間、
胸が、はっきりと痛んだ。
「……アルテミシアの件か」
側近は、わずかに言葉を詰まらせた。
「はい」
返答を待たず、レオナルトは立ち上がった。
窓辺に立つ。
王都の街が、眼下に広がっている。
――完璧だった。
彼女は、いつも。
規則を覚え、
先を読み、
感情よりも結果を選んだ。
(それが、嫌だった)
自覚した瞬間、
レオナルトは目を閉じた。
アルテミシアは、
正しかった。
それを、彼はずっと分かっていた。
だが――
彼女が正しいほど、
自分が選ばなければならない場面が増える。
誰かを不快にさせる決断。
誰かを守らない選択。
それを、
彼女がすべて引き受けていた。
(私は……)
楽な方を選んだ。
場を和ませ、
誰も泣かせず、
「優しい王太子」でいることを。
その結果、
彼女一人が、悪役になった。
断罪の日の光景が、脳裏に蘇る。
彼女は、泣かなかった。
叫ばなかった。
言い訳もしなかった。
ただ、
一歩も引かなかった。
(あれが……)
あれが、
支えるべき人間だった。
側近が、静かに言った。
「殿下。
辺境伯領の魔力循環は、
アルテミシア様の調整によるものだと」
レオナルトは、苦く笑った。
「そうだろうな」
王都が、
彼女を切り捨てた理由。
――気づいてしまったからだ。
歪みに。
都合の悪い真実に。
(私は……)
彼女を守れたはずだった。
あの時、
学院で。
実習場で。
講堂で。
一言でも、
彼女の隣に立てばよかった。
「殿下」
側近が、ためらいがちに言う。
「もし……
もし、今からでも、
正式に謝罪と復権を――」
「無理だ」
レオナルトは、即座に否定した。
それは、
自分が一番分かっている。
「彼女は、
もう戻らない」
王都に。
私の隣に。
彼女は、
“選ばなかった側”にいる。
沈黙が落ちる。
やがて、レオナルトは静かに言った。
「私は、
彼女を失って、
ようやく理解した」
正しさは、
優しさよりも先に必要だ。
だが。
「……遅すぎた」
その言葉は、
誰に向けたものでもない。
ただの、事実だ。
王太子は、
選ばなかった。
そして、
選ばなかった者は、
二度と選ばれない。
レオナルトは、窓の外を見つめた。
遠く、
辺境の方角に、雲が流れていく。
(アルテミシア)
呼んでも、
届かない名。
それでも。
彼は、
王太子として立ち続けなければならない。
――彼女のいない世界で。
それが、
彼が支払う代償だった。
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