空は続くよ、どこまでも
マチアルドの部屋ではその日、以前にもみた光景が広がっていた。
「さぁさ!力入れてくださいねー。はいっ、締めますよ」
「ちょっともう無理だって。もう締まらないって。これ以上は絶対無理……ぐぇっ!」
リリーちゃんの光るひもに悶絶する暴れつたを連想させるような何かがつぶれるような音と同時に、勢いよく引っ張られる二本の紐。
姿見には、柱に手を付いて身体を支えつつ、コルセットの紐をこれでもかと締められるマチアルドの姿が映し出されている。もちろん今日も美しいドレスはまだ未着用、もちろん髪のセットもまだであるからして、その姿は美とは程遠い。というか、対極にあるひどい姿である。
「もう一声!いきますよ~、姫様。歯を食いしばって足踏ん張っててくださいね!」
またこうして無事にマチアルドのお世話ができる喜びに嬉々として締め上げるターシャの声に、マチアルドは声にならないうめき声をあげて力尽きる。
今日はデアルタとリスデールの親交を深めるという名目の、大々的な舞踏会が開かれる日である。もともとラルフィルがデアルタを訪問することが決まった時にすでに開催予定ではあったのだが、当初計画されていた規模よりもさらに盛大に行われることになった。
そのため、マチアルドは朝からその準備に追われていたのだったが。
「今からそんな状態じゃ、舞踏会でとてもダンスなんて踊れませんよ?しっかりなさってくださいね、姫様」
ターシャの容赦ない言葉に、口から魂が抜け出そうなマチアルドである。
デアルタに戻ってからというもの、王宮は大変な騒ぎだった。まぁ一国の王女が隣国の王子とともにいなくなったのだから、無理もないが。なぜかシュタルトの存在はなかったものとされて二人で愛の逃避行にでたとか噂が飛び交っているらしい。
俺だっていたのにな、と口をとがらせるシュタルトである。
結局行方が分からなくなっていた理由はうやむやにされ、何の怪我もなく無事に戻ったこともあり、大臣初め同行していた者たちのおとがめは一切なしとなった。一番懸念していたことだったから、一安心である。ガルド大臣は心労から大分ほっそりとしたようだが、健康的には今の方が良いだろう。
「ラルフィル様とのダンスがありますからね。ステップ間違えないでくださいよ。晴れ舞台なんですから」
「どうして私がラルフィルとダンスなんか踊らなきゃいけないのよ。別に逃避行したわけではないんだよ?踊ったりしたら、皆の勘違いが加速しちゃうじゃないの」
いつのまにか、マチアルドとラルフィルの婚約を望む声が日に日に高まり、マチアルドはなんともいえないしょっぱい思いで日々を過ごしていた。
――別に嫌いなわけじゃないけど、せっかく恋も一度くらい夢見てみようかなとか思ってたのに、これじゃ前と変わりないじゃないの。
ティリアの幸せそうな姿に感化されて、一度くらい恋をしてみるのも悪くないと思い始めていたのに、ラルフィルが相手では政略結婚と何も変わらないではないか。胸の内でぶつぶつと文句を垂れ流すマチアルドである。
ちなみにラルフィルはその後も何度かマチアルドを訪ねてきては、散歩だの遠乗りだのと誘ってくるのだが、皆と別れた寂しさがまだ忘れられないのだろうか。仕方なく何度かは付き合ってお出かけしたりするのだが、これこそが逃避行と噂される元凶なのではないかと顔をしかめるマチアルド。
「そういえば、この前王都で変な噂が流れたんですよ!空高く丸いピカピカ光る何かが飛んでるのを見たって。一体何が飛んでたんでしょうかね。大きな鳥かしら?」
ターシャの話に、思わずにんまりと笑うマチアルド。
実は人間の目には見えないと言っていたリリーちゃんの姿が、うっすらと蜃気楼のようにではあるが人の目で時折見えるようになったのだ。その理由はわからないが、もしかしたら人間であるリガルドが乗り込んでいるからかもしれない、と密かに思っている。
もちろん、はっきり形が認識できるほど見えるわけではないらしい。普通の人には。
「皆、元気そうで何よりね」
小さいつぶやきはターシャの耳には届かなかったようで、ようやく身支度の済んだマチアルドはふうふうと苦し気に息をつきながら窓辺に置かれた椅子に腰かける。
見上げるとそこにはどこまでも気持ちよく晴れ渡った青い空。薄く広がる白い雲。
そして、デアルタ上空を今日も気持ちよくぷかりぷかりと漂うリリーちゃん。
マチアルドに気づいたのか、窓のそばまで長い触手をにょいーん、と長く伸ばしてその先を小さく振る。ふふふ、とほほ笑んで手を振り返すマチアルドである。
なぜかこちらに戻ってからも、マチアルドとラルフィル、シュタルトにだけはリリーちゃんの姿がはっきりと見えていた。その触手のひらひらも、ドームの中すらほんのり透けて見えるほどだ。
きっと気持ちでつながった仲間だからだろう。これからもきっと私たちは仲間だし、思いはつながっている。
デアルタは今日も快晴。もちろんリスデールも。
大地の大精霊に守られて、これからも平穏な毎日は続いていく。
それぞれの使命と熱い思いと友情でつながれて――。




