乙女たちの友情
辺りにふんわりと何かが煮えるような良い香りが漂い始める。
シュタルトとマルセルは、厨房で料理の支度に追われている最中だろう。すっかり料理人としての役割が板についたようで、マルセルと二人で生き生きと動き回っている。
リガルドとラルフィルの師弟コンビは剣術の指南中のようで、飽きもせず体を動かしている。
そしてマチアルドとティリアの二人は、皆に気づかれないよう足音を忍ばせてティリアの部屋へと向かっていた。
「お願いだから、引いたりしないでね……」
懇願するような表情でティリアが開けた扉の先の光景に、マチアルドは言葉を失った。天井まで届くほど積み上げられたもの、もの、もの。大きな家具からカーテンと思しき布の固まり、小物などの雑多なもので、部屋の中はぎっしりであった。
「……魔窟だわ。よくこの部屋に引きこもっていられたね、ティリア」
「恥ずかしいわ……。いっそのこと地中に埋めてしまえばとも思ったのだけれど、どれも手放し難くて……」
どうやってこんなに詰め込んだのかと思うくらいのものの山が、そこにはあった。マチアルドは想像以上の物量に、思わず頭を抱えた。
「女手だけでこんなにたくさん、片付けられるかしら?でもリガルド様にこの部屋を見られたくはないでしょうし……」
さすがに恋のお相手のリガルドには、こんな部屋を見せたくはないだろう。なんとか皆には見つからないようにこっそりと部屋を片付けたい。
あれこれと手順を思い浮かべつつ、思案するマチアルド。
「何やってるんだ?二人とも」
その背後にかけられた声に、思わず二人は大きく飛び上がった。
はっと振り向いた先には――。
「これは処分でいいのか?あとその棚は取っておくんでいいんだよな」
「あ、はい。あとこのソファも処分してしまいますわ。あとこの布も」
せっせと部屋の中から大きな家具を中心に、ものを運び出すラルフィルとリガルド。その指示を出しているのは部屋の主であるティリア、そしてそのティリアに片付け方を指南しているのがマチアルドである。
こっそりと皆には知られないように片付けるはずが、始める前に見つかってしまったのは誤算だった。だが、リガルドは特に驚くでもなく俺の家に比べれば人ひとり分のスペースがあるだけましだ、と笑っていたから、まぁ問題はないだろう。
「ティリア、これはどうする?取っておきたい?」
マチアルドは、先ほどからティリアに対して同じ質問を繰り返していた。
「ええと、そうね……。それはいつか使うかもしれないと取っておいたんだけれど。どうしようかしら……」
そしてティリアの返答もまた、先ほどから同じである。
部屋に詰め込まれたものはひとつひとつは綺麗なものばかりで、浄化の際に引き上げた家具とか気に入ったものなどを集めているだけである。であるからして、不衛生であるといった問題はないのだが。
とはいえ、その量が膨大なのだ。
「お父様、今頃どうしてるかしら?なんだか思い出してしまうわね」
実はマチアルドの父、つまりデアルタの国王には収集癖がある。
片付けるのが下手な癖に、こまごまとしたものをとっておきたがるのだ。いつか使うかもしれない、が口癖である。もちろんものを大事に使うことは大切なことだし、国王自らその意識を持つことは見習うべき点ではある。だが、それも程度問題である。
かつてマチアルドと母である王妃とが協力して、父の膨大な収集物を片付けた記憶が蘇る。
「ティリア、二度とこの部屋を魔窟化しない方法をあなたに伝授するわね!私の父にも効果があった方法なの。きっと役立つと思うわ」
そう言って、マチアルドはにんまりと自信に満ちた笑みを浮かべた。
首を傾げるティリアに、マチアルドはティリアの前にどん、と二つの空き箱を置いた。
「ティリア、まずはこの二つの箱にそれぞれいるものと、決めかねるものを分けて入れていって。こっちには手放したくないもの、こっちにはそれ以外の決めかねるもの」
「いるものと迷うもの、でいいの?いるものといらないものではなくて?」
少し離れたところで力作業をしていたラルフィルとリガルドが、興味津々な顔でマチアルドたちの作業をのぞきにくる。
「捨てる決断をするのは難しいでしょう?だって捨ててもいいって思えるものなら、とっくに処分できてるはずだもの。だからあえて、捨てるか捨てないかは今は考えずに、迷ったらこっちの箱に入れていって」
そもそも収集するかどうかの判断は大体は直感で、あとで使えそうだから、といった理屈は後付けのことが多いのだ。選択肢を与えてやれば、大体どちらかを選ぶ。
そしてその選択肢は少なければ少ない方がいい。
マチアルドの指示に従って、ひとつひとつ分別していくティリア。
「あまり長く考えないのがコツよ。直感で決めていってね」
「不思議ね。捨てるかどうか考えると迷ってしまうけど、いるものだけ選べばいいと思うと気が楽だわ」
ふむふむと後ろで感心したように、ラルフィルが見下ろす。
「なるほどな。まずは選択肢を少なくするのか。確かにそれなら最終的にはどんどん選択肢が少なくなっていく分、決断する心理的ハードルも低くなるしな」
「そうなの。父もそうなんだけど、なぜか集めるものって小さいこまごまとしたものが多いのよね。多分とっておきやすいからだと思うんだけど。でもこまごましているからこそ、決める数も多くなって結局後回しになるのよ」
確かにティリアも大きな家具などは、いるいらないを決めるのが早かったし、あまり迷わなかったようだ。決めかねているのは、大体が引き出しに入る程度の大きさのものがほとんどである。
「私の父は、決めるのが苦手なのよね、きっと。国王が決断力に欠けるってどうかと思うけど、実質舵取りしているのはお母様だからね。ティリアもきっと決めるのが得意じゃないんだと思うわ。なら選択肢を少なくすれば、気が楽でしょ?」
ティリアはマチアルドの指示に従い、ひとつまたひとつと箱に仕分けしていく。数をこなすうちに、いつしかその決めるスピードが早くなっていくから不思議である。もちろん、迷った方の箱がぎっしりではあるのだが。
「あとはそれぞれの箱の中からまた、いるもの迷うものとに分けていけばどんどん厳選されていくでしょう?そうしたら全体量はさらに減るし、それに決めることに慣れれば、きっと決めるのがどんどん早くなるはずよ。もちろん、ものを増やしすぎないのが、一番の策ではあるんだけどね」
マチアルドがそう苦笑すると、ティリアは少し考えこんで答える。
「それに関しては、もう大丈夫だと思うわ。こんなにものを捨てられなかったのは、空っぽの部屋がなんだか心細くて、寂しかったからなんだもの。でももう、皆と心でいつもつながっているって分かったから」
そう言って明るい表情で笑うティリアの笑顔は、初めて会った時のおどおどした表情とはまるで別人のようだ。
それからまもなく驚異的なスピードであっという間に分類を終えたティリアは、次第に決めることにも慣れたようで、気付けば部屋の中にきちんと納まりきるだけの物量に減っていた。
「不思議ね。いつのまにか迷わずに決められるようになった気がするわ。それに自分の欲しいものが分かってきたような気がするの。今思うと、どうしてこんなものを取っておいたのかしらって思うものも多いのよ」
「私の父も同じよ。その時はなんとなくとっておきたくなっちゃうらしいんだけど、その理由は自分にも分かってないんだよね。だから捨てる理由も見つけられないのよ」
自分が欲しいもの、必要としているもの、好きなもの、大切にしたいもの。それは案外ぼんやりとしていて、いつだって迷ってしまう。だから余計なものを欲しがったり、執着したりする。でも心の声にきちんと耳を傾ければきっと、自分の欲しいものは正しく選び取っていけるはずだと思うのだ。
「私もそうかもしれないわ。ものだって、人生だって、何だってきっと同じなんだわ」
マチアルドは、しみじみとこの旅を振り返っていた。
この旅で初めて気づいた、これまで気づかなかった自分の気持ちや見つけた想い。リリーちゃんに迷い込まなければきっと、今も気づかずに過ごしていただろう。
「私は私。どんな立場でも責任を負っていても、自分は自分なんだってそんな当たり前のことにも気づいていなかったんだもの。自分がどんな人間で、何を欲しがっているのかなんてきっと皆分かってないのかも」
「そうかもな。自分のことは分かっている気がしてたけど、自分と向き合うほど難しいことはないのかもしれない。身分とか立ち位置とかそんなものは自分の付属物に過ぎないのに、どうしてもこだわってしまうんだ。何より忘れてはいけないのは、自分自身がどうしたいかなのにな」
マチアルドのつぶやく声に、ラルフィルが頷く。
「私も自分をすっかり見失って、一番大切な想いを忘れるところだったわ。でもマチアルドや皆が、それを気づかせてくれた。ふと迷った時にそっと気づく手助けをくれる存在に出会えるって、とても幸せなことね」
ティリアもまた、大きく頷いてほほ笑む。
もしかしたら皆こうやって時に自分を見失って、また取り戻して、そしてまた迷い続けて人生を歩んでいくのかもしれない。そしていつしか迷って迷ってようやくたどり着いた先に、何を見つけるんだろう。
迷う中で捨ててきたものや想いも、地中深くに埋められたモノたちのように、人生の中でいつの日か色とりどりの鉱石へと生まれ変わるのだろうか。その鉱石は、その人の人生を華やかに彩って美しく輝くのかもしれない。
マチアルドは部屋の中を見渡した。もう部屋はすっきりと片付いて、可愛らしい少女の部屋へと変貌していた。
――これで本当に、もうここでやるべきことはないんだわ。ここを出たらまた元の生活に。王女のマチアルド=デアルタ―ナに戻るんだわ……。
「さぁ!あとはパーティを存分に楽しみましょう。皆でうんと騒いで、旅の総仕上げよ」
泣き笑いの表情を浮かべて、マチアルドは明るい声を上げた。




