森を這い回るもの
いっせいに反対方向に走り出すマチアルドたち。
その背後には、緑色の長い体をくねらせるようにこちらへと向かってくるなにかがある。その姿はまるで両手で長い鞭をふるっているようなのだが、体は明らかに植物そのもの。
「何なの、あれ?なんであんなでかい植物が、走って追いかけてくるのよっ。根っこはどうした!根っこは?」
「俺だって知らんよ!あんな化け物が森にいるなんて、聞いてないぞ。あれも悪い気の影響かっ?」
「あれ、草っていうか、つた植物だよね?つたってことはさぁ、長く伸びたりして?」
髪を振り乱して一目散に逃げまわる一行であったが、シュタルトのその言葉にぴたりと固まる。
つた植物はあちこちにつたを絡ませて伸びていく、生命力、繁殖力の強い原始的な植物である。
マチアルドは、ラルフィルの背を叩く。
「ラルフィル。ここはあなたに任せたわ。その剣で、すぱーんといっちゃってちょうだい」
顔を見合わせたシュタルトともに、マチアルドは強く励ますように頷く。みると他の者も一様に期待するような眼差しをラルフィルに向けている。
ラルフィルはあきらめたように前方を向くと、剣に手をかけた。
「やれやれ……。まったく、この森はどうなってるんだ!植物は大人しく根を張ってろっ!」
叫びながら剣を素早く繰り出して、こちらにひゅんと風を切る音をたてながら飛んでくる蔦をさばきながら、植物の根元のあたりに近づくラルフィル。
それは、ラルフィルの二倍はありそうな大きな体をくねらせながら、鞭のように何本ものつたを一時に振るってくる。しかも、恐ろしいスピードで。
いくら剣の修業を重ねてきたとはいえ、その相手として想定されているのはあくまで人間か、せいぜい獣の類だ。
なのになぜ今自分は、長いつたを武器のようにしならせて追いかけてくるつた植物と戦っているのか。ラルフィルは呆然としながらも、必死に目の前の敵と対峙する。
何度目かの攻撃で、やっと相手の根元付近まで近づくことに成功すると、まずは一番太いつたを切りつける。ぶしゅっ、と切り口から薄緑の液体が噴き出して、ラルフィルは顔をしかめる。思ったよりも繊維質で固い。
ラルフィルは一息に切り倒すのは無理そうだと判断して、地面と直角に剣を突き立ててその動きを止める作戦に出た。
びたびたびた、ばたんばたんっ。
びじゅ、ぐしゅっ。
しばらくもがき苦しむようにその枝やつたをしならせていた植物は、少しずつその動きを鈍くして、ようやく静かになった。
離れた所でこちらの様子を窺っていたマチアルドたちが、そろそろとこちらに近づいてくる。
「いやぁ、すごかった……。ラルフィルがいてくれなかったら、俺たち絶体絶命だったよな」
「本当ね。ありがとう、ラルフィル、あなたのおかげで助かったわ。にしても、気持ち悪いわね。ただのつた植物がこんなに恐ろしいものだとは、思わなかったわ……」
マチアルドたちの足元に横たわる、緑の植物はすでに息絶えているようで、ぴくりとも動かない。その大きさを除いては、ごく普通のつた植物である。が、それが土から抜け出して襲い掛かってくるなどあり得ない事態だ。
「この森にはこんな植物だらけなんてこと、ないだろうな?もしかしてダンジョンの思念体と同じで思念を吹き込まれたのか?それとも……」
ラルフィルはようやく終わった戦いに胸を撫でおろしつつも、こんなものが国中にいたらと思うと気が気ではない。王族としてというより、一人の民として嫌だ。
「いえ。どうやら精霊の力がうっかり駄々洩れになってしまったようで、大地から植物に力が吸収されてちょっぴり大きく元気になってしまったみたいですわ。ですから動物などは特に変化はないのですけれど、直接大地から力を吸収する植物などはこんなふうに……あの、ラルフィル様?」
申し訳なさそうに身を縮こませて話すティリアに、ラルフィルは決意を新たにした。
――やはりティリアの力が原因か……。これは一刻も早く大地を浄化してもらわなければ、リスデールの森が化け物だらけになってしまう。すぐにあの人を探し出さなければ。なんとしても。
そのラルフィルの決意もむなしく、一日目は何も進展なく過ぎた。日も落ちてこれ以上危険なものと遭遇する前にと、リリーちゃんを呼び寄せて二日目の夜を迎えた。
遠くにフクロウの声が聞こえているが、その他には音もない静かな夜である。その静けさがなんだかこの森の生命力の弱さを表しているようで、マチアルドは心細くなる。
――デアルタの森もこんなふうに枯れていっているのかしら。子どもの頃、よくシュタルトと一緒に遊びにいったっけ。こっそり別荘を抜け出して湖にでかけて、ガルド大臣が大慌てで探しにきたりして。随分怒られたな。あの森も、一面の花畑も湖も、もし変わってしまったら。
ほんの少しデアルタを離れただけのはずが、たまらなく遠く感じる。
自分の国がこんなに心配なのは、大切に思うからだ。国も、大地も、そこにいる人たちも。もしその人たちの暮らすあの大地が、命を育むことのできない荒廃した大地に変わってしまったら。
マチアルドは、夜の色を濃くしていく森を一人、リリーちゃんの傘から眺めていた。
「マチアルド様、ちょっとよろしいですか?」
「どうしたの?ティリア様」
森を見下ろしたまま、マチアルドはティリアの言葉を待つ。
「……もしこのまま私の力が戻らなかったら、大地はあんなふうに枯れ果ててしまうのね。頭では分かっていたけど、現実にあんな光景を目にして私、怖くてたまらない。もし戻らなかったら……この大地が枯れ果てたら、全部私のせいです。もしそうなったら、私どうしたら……!」
力なくうつむくティリアに、マチアルドはティリアの抱える孤独と重圧を感じ取る。マチアルドが王女として国を想い心を痛めるように、ティリアはこの世界の大地すべてを想い、心を痛めているのだ。
その細い肩に、折れそうなほどほっそりとした華奢な指に、この大地の運命はかかっているのだ。怖くないはずがない。重くないはずがない。
マチアルドは、その震える体をぎゅっと強く抱きしめた。
「私ティリア様に出会って初めて、人間があなたたちのように目に見えない存在に守られて、たくさんのものを享受していることを知ったの。精霊の力がなかったら、森も大地も国だって守れないのに。でも苦しいよね。たった一人で、その思い役目を果たし続けなきゃいけないなんて。その苦しみに気づいてあげられなくて、ごめんなさい」
ふるふるとかぶりを振って、マチアルドにしがみつくようにすすり泣くティリア。
「私、怖いんです。自分のせいで、皆さんの大切なものを壊してしまうのが……。もしリガルド様に会っても力が戻らなかったら、私……」
抱き合う二人の少女の姿を、少し離れた所から心配そうな表情でラルフィルが見つめていた。
この世界を、大地を、国を思う想いは、同じ。自分になせること、なすべきことは何なのかをそれぞれが思いながら、夜は更けていく。
もうすっかり漆黒に染まった空には、ぼんやりとおぼろ月が浮かんでいた。




