リリーちゃん、森に降り立つ
「すっかり日も暮れてしまいましたし、リガルド様探しは明朝からにして、今夜はリリーちゃんの中で休みましょうか」
リスデールに到着した頃には、空が藍色に染まり始めていた。
「それにしても、空からの眺めは最高だったよなぁ!俺、あんなに高いところから地上を見たの初めてだ。海もでっかくてさぁ」
シュタルトは空の旅がいたく気に入ったようで、先ほどから嬉しそうにはしゃいでいる。
確かに空の旅は、なかなか爽快だった。高いところが苦手なマチアルドでさえ、どこまでも広がる大海原を目にした時は歓声を上げたほど。
もちろんデアルタの国土の広さは知識としては頭に入っているが、数字で知るのと実際に目にするのとでは大きく異なる。それを実体験で味わうことなど、なかなかできることではない。
「食事の必要もないから、あとは寝るだけか。普段の生活習慣が変わると、なんだか調子が狂うな」
「そういえばそうね。お腹もすかないし喉も乾かないなんて、不思議。楽しみがなくなった気もするけど、これはこれで時間がたっぷりでいいわね」
マチアルドはラルフィルと並んで、次第に色を濃く変えていく茜色の空を眺めていた。
「あ!そういえば。今夜寝る場所なんだけど、ティリア様のお部屋で一緒に寝かせてもらうことはできるかしら?」
ちょうどそばを通りかかったティリアに、声をかけるマチアルド。
他に部屋として独立しているのは、マルセルの部屋しかない。さすがに未婚の女性としては、皆で雑魚寝というわけにはいかないだろう。
だがマチアルドのその言葉に、ティリアはその体を凍り付かせた。
「あの、えぇと……。ではマルセルのお部屋にいたしませんか?私の部屋はちょっと、スペースがあまり……」
言いにくそうにごにょごにょと話すティリア。
そういえば、とマチアルドは思い出す。初めてティリアの部屋を訪問したときに背後に見えた、あのうず高く積み上げられたものに溢れた光景。やはりあれは、見間違いなどではないらしい。
「なるほど……。でもいくら陶器のお人形とはいえ、一応は男性のマルセルと同じ部屋というのは……」
嫁入り前の娘が男性と同じ空間で寝るというのは、なんというか寝言とか寝相とか色々と気になってしまうのである。うっかりよだれを垂らしてだらしなく足を投げ出して寝たりしてしまったら、と思うと、さすがにいたたまれない。
「マルセルならいつもあのお部屋では眠りませんから、大丈夫ですわ。マルセルはいつも、リリーちゃんの触手をにぎにぎして眠るのが常なので」
「触手をにぎにぎ?」
「ええ。握っていないと落ち着いて眠れないとかで。気持ちいいそうですよ、ふにふにしていて。以前眠っているところを見かけたことがあるんですけど、それはもう、幸せそうな顔で眠ってましたわ」
さすがはリリーちゃんをこよなく愛しているだけある。眠っている時もリリーちゃんをそばで感じていたいなんて、その愛は本物なのかもしれない。
「ではマルセルの部屋を借りて、今夜は一緒に眠りましょう、ティリア様」
マチアルドの誘いに、嬉しそうにふふふっとはにかみつつ「はい、喜んで」とかわいらしい声で答えるティリアである。
皆を乗せて、リリーちゃんは今リスデールの森の上を静かに漂っている。下に広がるのは明かり一つない夜の森、上に広がるのは漆黒の夜空である。ぼんやりとした月明かりに照らされた森は、時折鳥や虫たちの声や木々の葉擦れの音が聞こえる以外はしん、と静まり返っている。
冷たい澄んだ空気が、時折眼下を見下ろす皆の頬を撫でていく。
「俺たちは、この辺りで適当に休むよ。マルセルもいつもこの辺で寝てるっていうし。何か異変があれば俺たちが先に気づくから、マチアルドたちは安心して休むといい」
ラルフィルらしい気づかいに溢れた言葉に送り出されて、マチアルドとティリアはマルセルの部屋へと向かった。
対面に置かれたやや体よりも小さめなソファに、体を押し込めるように横になる二人。少し小さめではあるが、寝床としては申し分なく、そのあたりにあったブランケットなどを体に巻き付けるとゆっくりと眠気が襲ってくる。
「マチアルド様、まだ起きていらっしゃいますか?」
ほんの少しうとうととしていた時に、ティリアが声をかける。
「どうかしましたか?ティリア様。眠れませんか?」
目を向けると、ティリアは心細そうに表情を曇らせてこちらを見つめていた。
「その、明日もしかしたらリガルド様にお会いできるかもしれないと思うと、寝付けなくて……。少しお話をしても?」
こくんと頷くマチアルドに、毛布に半分顔をうずめるようにしてティリアはぽつりぽつり、と話し出した。
「リガルド様に会えるかもと思うと嬉しい反面、なんだか不安で……。それに、もし会えなかったらと思うと胸がきゅっと苦しくて。もし会えても精霊の力が戻らなかったらどうしようとも思うし、そう思うと会いたいのか会いたくないのか、よく分からなくなるの。この気持ちを恋って言うんだって、マルセルは言うけれど」
マチアルドも、本でなら恋愛ものを読んだことがある。もちろん、あどけない恋を描いたものではあるけれど。
「私も本で読んだことしかないけれど、恋って嬉しいだけではなくて、悲しくて切なくて苦しいものだって書いてあったわ。嬉しそうにしてる場面より、泣いたり悩んだりしてる描写の方が多かったもの。恋って、親子の愛とか、友情とか、そういう愛情とはきっと違うものなんでしょうね……」
マチアルドが知っている愛はどれも大きく包み込んでくれるような幸せなもので、時に厳しく重くもあるけれど、自分を支えてくれるものだ。
でも、恋は愛とはまた別物なのだろうか。嬉しさと同時に辛さを伴うものを、恋と呼ぶのだろうか。
「そうね。実際、私がリリーちゃんやマルセルに対して思う気持ちとも、大地に抱く想いとも違うの。でもこんなに苦しくて辛いのが恋だとしたら、恋は何のために必要なのかしら?どうしてこんなに、リガルド様じゃなきゃいけないと思ってしまうのかしら。私は欲張りなのかしら?あれもこれもと欲しがって、それはわがままなのじゃないかしらって……」
次第にティリアの声は、小さくか細く消えていく。
しばらくして、すぅすぅ……と静かに寝息を立て始めたティリアのブランケットをそっと直しながら、マチアルドは思った。
――私も、そんな恋をすることがこの先あるのかしら?お父様やお母様、シュタルトやターシャ以外にももっともっと自分を想ってくれる人を欲しがる日が、いつかくるのかしら。でも欲しがっても手に入らないとしたら、その想いはどこへ行くのかしら……。
リリーちゃんに包み込まれて、静かな夜は更けていく。
明日はいよいよリガルドを探しに、リスデールの森の探索が始まる――。




