王子、憂う
ラルフィルは、眼下に広がる光景を眺めていた。
ここはリスデール国のはずれ、王都から見て西に当たる森の上空だ。
そこに広がるのはなつかしい景色。子どもの頃何度か訪れた静養地がある王家専用の地領である。
生い茂った豊かな木々が邪魔をしてよく見えないが、あの林の向こうには王家の大きな別邸が建っているはずだ。長兄が十四歳になる頃までは、兄弟そろって近くの湖で泳いだり狩猟をしたりと、子どもらしい時間を過ごしたものだ。遠き日の良き思い出ってやつだ。
二人の兄は勉学、剣ともに優秀で、人格的にも優れた資質を備えている。先頃ゆくゆくは王位は長兄が継ぎ、側近には次兄が就き、長兄を支えることが決定しており、リスデールの行く先は安泰である。
一方三男であるラルフィルは、これから自国内で一臣下として兄たちを支えるか、もしくは他国に婿入りして国交の一助となるかの選択を迫られていた。
「自分の国とはいってもな。目立つわけにもいかないし、立ち位置としては難しいんだよ。関係的に釣り合いが取れているとはいっても、マチアルドはまだ十四歳だし」
ぶつぶつと独りごちるラルフィルである。
「何してるんだ?」
シュタルトが何かを口にくわえてもごもごさせつつ、隣に並ぶ。
「いや、なんでもない。ところでお前何を食べてるんだ?そういえばここにきてから俺たち、何も飲み食いしてないな。あんなに空腹だったはずなのに、すっかり忘れてたよ」
ここに迷い込んだ時にはあれほど感じていたはずの空腹も渇きも、今では何も感じない。あんな奇怪なものと期せずして戦ったのだから、喉くらい乾いてもよさそうなものだが。
「精霊の力らしいよ。リリーちゃんの中にいる限りは、必要な栄養は大気から得られてるみたい。便利だよね」
そう言いつつも、シュタルトは口を相変わらずもごもごさせている。
「で、お前が今口にしてるのは一体なんだ?食べ物じゃないのか?」
「これ?ラルフィルも試してみる?」
そう言ってシュタルトがポケットから取り出したのは、ぐにぐにとした弾力がある干からびた植物のようなもの。その得体のしれなさに、鼻に近づけ匂いを確かめるラルフィル。
「干した植物だって。お師匠さんがティリアと一緒にいる時、食べてたらしいんだ。結構いけるよ。腹はすかないんだけど、なんだか口が寂しくてさ」
すすめられるままに、おそるおそる口に入れるラルフィル。噛み応えは、皮ひももような縄のような。唾液と交じり合い、次第に口の中に甘みが広がっていく。特別うまくもないが、まずくもないといったところだろうか。
「な?結構いけるよな。世の中にはいろんな食材があるんだな。俺知らなかったよ。デアルタを出たこともないからさ。こんな冒険ができるなんて、俺神殿から飛ばされて良かったよ。こんなこと言ったら絶対マチアルドは怒るんだろうけど」
からっとした明るい声で笑うシュタルトの能天気さが、たまらなくうらやましく思えるラルフィルである。
ラルフィルは、がじがじと口に広がる甘さを味わいながら、眼下を見下ろす。
「俺もお前みたいに考えられたら良かったよ。俺は、なりばっかりでかくても中身は全然なんだ。正直ここに飛ばされてどうすればいいのか全然分からないし、内心動揺してる。情けないし、頼りないし、到底兄たちのようにはなれないんだ。ましなのは、剣の腕くらいだよ」
二十二歳なんて、いっぱしの大人みたいな顔をしていても中身は青臭いまま。大人の振りをしているだけだ。
「なんで?あんなに強いんだからいいじゃんか。俺なんて、棒きれ振り回すのが精いっぱいだよ。取り柄だって特にないし。なのに最近周りが色々言うんだよ。将来どうするんだって。そんなこと突然言われたって、わかんないよな。やりたいことも特にないし。マチアルドは結婚とか言い出すし」
首をすくめるシュタルト。
その結婚相手候補の一人と目されているラルフィルは、なんとも微妙な心境ではある。
「世継ぎ問題さえ除けば、マチアルドなら一人でも立派に国を治められそうだけどな。考え方もしっかりしてるし、肝も据わってる。こんなおかしな状況下にあっても冷静だし、頭も切れるし」
神殿からここに飛ばされてから、ラルフィルはマチアルドをずっと見ていて気付いたのだ。
マチアルドにあって、ラルフィルにないもの。それは、覚悟だ。自分が国を背負っているのだという、その自覚と強い思い。自分に、マチアルドと同じだけの国を思う気持ちがあるのか。
国を担う存在としても不十分、剣以外の能もない自分に果たしてどんな役割が果たせるのかと、ずっと自問していたラルフィルの目には、マチアルドはとても輝いて見えた。
――情けないな。二十二歳にもなって、俺なんかマチアルドとシュタルトよりもおろおろしていて、頼りないんだ。この剣がなかったら、きっと逃げ出していたに違いない。器の違い、なんだろうな。きっと。
「まぁマチアルドは身分とか関係なくちゃんと人と向き合うし、自分で考えて自分で決めるし。でもちょっと考え方が固いんだよ。もっと肩の力を抜いてさ、せっかくこんなクラゲとか精霊とか、おもしろい世界にきたんだし。楽しまないとさ」
実にシュタルトらしい言葉である。
――しっかりしなきゃ、でもなんとかしなきゃでもなく、楽しまなきゃか……。考えたこともなかったな。失敗しないように、失望されないようにとばかり考えて生きてきたけど、こんな世界に来たんだ。もう少し楽しんでみてもいいのかな。
ラルフィルは、何かが吹っ切れたように明るい表情でシュタルトの頭を抱え込む。
「おもしろい奴だな、お前は。俺もせっかくだから、お前を見習って楽しんでみるよ。こんな経験滅多にできないもんな。それに、ここで何か変われるかもしれないしな」
突然頭を抱え込まれてばたばたとクラゲの上で手足をばたつかせるシュタルト。
大地の精霊の恋わずらいに巻き込まれて、神殿から空飛ぶクラゲに飛ばされた一行は、不思議な縁で結ばれたようである。
一国の次期女王とその従者、隣国の王子というおかしなパーティーを乗せた大きなクラゲは、その長い綺麗な触手をふわふわと漂わせながら、リスデール国の空を飛ぶ。
大地の精霊の恋のお相手、リガルドを探しに――。




