恋に憂う乙女たち
連載をしばらくお休みしておりましたが、本日より再開いたします!
一話から大幅改稿済みですので、冒頭から再読いただけますと幸いです(大幅なストーリーの変更はありませんが、大幅な補足などをしております)。
リスデールへと、その大きな体をふわりふわりと漂わせるリリーちゃんの上では――。
「あぁは言ったけれど……、今頃大丈夫かしら。お父様たち。お母様がきっと場を仕切ってなんとかしてくださるだろうとは思うけど、お父様は心配ね。モジューネ大使がうまく時間稼ぎしてくれるといいんだけど、外交問題にでもなったらどうしようかしら……」
マチアルドはリリーちゃんのフリースペースに置かれたテーブルに頬杖をつきながら、思案していた。
ここはぎりぎり地上を見下ろさずに済み、なおかつ風が気持ちよく通るという非常に快適なスペースである。
頬を過ぎる風は程よく、傘のおかげで日光はさえぎられつつもあたたかく、うっかりするとお昼寝してしまいそうなほど心地よい。良い香りの紅茶とスイーツでもあれば完璧なのだが。
とはいえ事態は、のんびり惰眠をむさぼれるほど呑気なものではない。
何しろ地上では今頃、マチアルドたちの行方を巡って大混乱しているに違いないのだから。もしかしたらもうリスデールへの早馬が向かっているかもしれない。到着はもちろん翌日以降にはなるだろうが。
「う~ん……。とはいってもここにいる以上地上と連絡も取れないし、ティリア様の力が戻るまでは帰れないし、どうしようもないんだけど。そもそも空飛ぶクラゲにいるから無事よ、といったところで誰も信じないに決まってるし」
ぶつぶつとつぶやきながら、今できる最善の策を考えるマチアルド。もう何度も考えているのだから、良策など浮かぶはずもないのだが。
「でもちょっとだけ、ほっとしたわ……」
小さなつぶやきがマチアルドの口からこぼれる。
――どうしてかしら。肩の力が抜けたような、軽やかな気分だわ。王女や女王じゃない自分なんて考えたこともなかったけれど、私は私なんて当たり前のことをようやく思い出した気がする。
不思議な解放感と高揚感に包まれて、マチアルドは深呼吸した。
ここのところ溜まりにたまっていた疲れや、ぶつけどころのない不満のようなものが、王女という立場や周囲の目から解放されて一気に楽になった気がする。ようやく、というよりは生まれて初めてただのマチアルドになれたような。
「マチアルド様、何かお困りですか?」
ふと背中にかけられた声に振り向くと、そこにはティリアが心配そうな表情をして立っていた。
美しい銀髪に日光がきらめいて、思わず見とれてしまうマチアルドである。
「いいえ、考えても仕方のないことですわ。ところでティリア様は、ここでマルセルとリリーちゃんとずっと一緒に暮らしていらっしゃるんですの?お寂しくはありませんか?」
マチアルドの周囲には、常にたくさんの人間がいる。家族以外にもターシャや大臣などの国に仕えてくれている人たちに囲まれているのが当たり前の生活を、生まれてこの方ずっとしてきたのだ。家族だけの暮らしさえ、マチアルドにとっては想像もつかない。
ティリアは少し首を傾げて、考え込んでいる。
「寂しいという感情はよく分からないんです、私。リリーちゃんとは一心同体のようなものですし、精霊とはそういうものですから。……でも、もしかしたらマルセルに思念を吹き込んだのは、寂しかったからなのかしら。でもやっぱり、よく分からないわ」
精霊は人間のように親から生まれるわけではなく、家族もなければ寿命もないのだという。世界のはじまりとともに、永遠に大地にあり続ける存在らしい。
「そう……。実は私こんな非常時に不謹慎とも思うのだけれど、ちょっぴりここへきてほっとしたの。久しぶりに大きな声を出したし、怒鳴ったり怒ったりわめいたりして。そんなの本当に幼い頃以来なの。ここでは私は王女でも次期女王でもないんですもの。それがなんだか新鮮で」
マチアルドはそう言って、少しはにかむ。人前で感情を露わにするなど、人の上に立つ者としてあるまじきだと常々教えられてきたのだ。もちろんシュタルトやターシャの前ではほんの少し出してしまうこともあるけれど、それだっていつもコントロールしているつもりだ。
だって、マチアルドのまわりには常にお付きの者や警備がいるのだから。完全に一人になる時など夜ベッドの中にいる間くらいのものだ。それにしたってもちろん部屋の扉を隔てたすぐに駆け付けられる場所に侍女が待機しているのだ。
「ここにいるのは、ごく限られた人だけでしょう?いつもは大勢に囲まれているし、その中でどう振る舞えばいいのかを常に考えて生きてきたから、少し心もとないようなでも解放されたような、不思議な気分なの。皆今頃心配してくれているに決まっているのに離れられてほっとするなんて、私冷たいかしら?」
傘の隙間から吹き抜ける風が、マチアルドの頬を優しく撫でていく。
ティリアは髪をそっと細く白い指ですきながら、嬉しそうに微笑みかける。
「よく分からないけれど、マチアルド様はお優しい方ですわ。だってひどく責め立てられてもおかしくないのに、私のために力を貸してくださるんですもの。皆さんには本当に感謝しかありませんわ。ところであの、マチアルド様?私、ひとつお聞きしたことがあるんですの」
もしや恋愛相談か、と身構えてしまうマチアルド。
「何かしら?」
「その……、マチアルド様には特別な方はいらっしゃる?その人と一緒にいると胸がきゅっとなるような……その」
マチアルドは首をすくめて苦笑いする。
「残念ながら、私はそういった相談には乗れないわ。だって私、恋をしたことがないんだもの。恋なんかしたところできっと叶わないわ。だって私は王女だし、好きな人と添い遂げるなんてきっと無理だもの。国のために結婚はするつもりだけど、恋はきっと無理よ」
「国のため?」
マチアルドの返答にティリアは首を傾げる。精霊であるティリアにとっては、ぴんとこないようだ。
「ええ、そうよ。デアルタは国土が小さいし国民も少ないの。その国の中で結婚相手を探すより、他国との結びつきを強めるために他国の方と結婚した方が、国の未来のためになるのよ。周辺国と友好な関係を維持することが、我が国にとっては何より必要なことなのよ。私の恋よりもね」
デアルタは素晴らしい国ではあるが、いかんせん小さな国だ。人的資源にも鉱石以外の資源にも頼ることができないとなれば、あとは周辺国との関係を密に良好に保たなければ、有事の際に苦慮することになる。
だからこそ、周囲はマチアルドの結婚を望むのだ。友好国の中でも大国で資源も豊富なリスデールの王子、ラルフィルは願ってもない相手なのである。
「……そう。恋よりも、国の未来が大切なのね」
「そうよ。だって私はデアルタに未来を背負う次期女王なんだもの」
二人の間に沈黙が落ちる。
人間と精霊というまったく違う立場の二人ではあったが、背負うものの大きさはよく似ていた。マチアルドは国を、ティリアは大地を。
「恋って、何なのかしら?どうして、みんな恋なんてするのかしら……」
ひとり言のようにつぶやくティリアの声を聞きながら、マチアルドもまた自分には遠い憧れである恋に思いをはせるのであった。




