第6話:風呂上がりの白米と味噌汁は、神の味
第6話:風呂上がりの白米と味噌汁は、神の味
六日目の朝。一馬は夜明けと共に起き出し、十兵衛、源助と共に食料調達へと向かった。昨日で米は完全に底をついた。今日食べるものを自分たちの手で確保できなければ、温泉どころではなくなる。
「十兵衛さん、川の仕掛けはどう?」
「若殿、大漁でござる!」
川べりに仕掛けた竹の筌を引き上げると、中には銀色に輝くイワナが五匹、元気に跳ね回っていた。十兵衛が川の流れを読んで仕掛けの位置を微調整してくれたおかげだ。さらに源助が、森の湿地から野草のセリ、フキ、そして倒木にびっしりと生えた肉厚のキノコを山ほど籠に摘み取って戻ってきた。
「若殿、キノコと山菜もたくさん採れましたぞ! これは昔からこの辺りで食しておったものです。似たものとは間違えぬよう、二人で確認いたしました」
「よし! これで今日と明日の食料は確保できたね」
一馬は手早く下処理の指示を出した。川魚はすぐに腹を裂いて内臓とエラを取り除き、清潔な水で手早くすすいだ。生臭さの元を断つのは自炊の基本だ。魚を洗った水は飲料用には絶対使わない。岩山の粗塩を擦り込んで竹串に刺す。山菜は熱湯でさっと湯通しして冷水にさらし、独特の苦味と灰汁を抜く。
そして――。
「源助さん、実家から持ってきたあの小さな包みを出して」
「は、はい……。種籾とは別に、殿様用として持たされていた白米が、ほんの二合ばかり残っておりました。乾物袋には細い昆布も入っております」
「うん。今日のお昼、湯小屋の作業が一段落したら、これを使って最高の飯を炊こう。今日だけは使おう。明日からは、魚と山菜だけで繋ぐ」
午前中は湯小屋の建設作業だ。十兵衛の指揮の下、切り出しておいた若いスギの丸太を加工し、温泉の周囲に四本の柱を立てて梁を渡す。屋根にはスギの樹皮と板を重ね、雨水が湯船に入らないよう傾斜をつけた。太陽が真上に昇る頃には、柱と梁に加えて屋根まで取り付けられ、雨を凌げる簡素な「湯小屋」が形になっていた。泥だらけの足元には平らな川原石を敷き詰め、足元が泥でぬかるまないよう即席の石畳アプローチを整備する。表面が滑らかな石は避けて、ざらついた石を選んだ。
「……よし! ひと風呂浴びて、昼飯にしよう!」
「「ははーーっ!!」」
汗と木屑にまみれた体を、湧き立ての岩風呂に沈める。屋根の隙間から差し込む木漏れ日と、立ち上る白い湯気。午前中の重労働で軋んでいた肩と腰が、熱い湯の中でふわりと軽くなっていく。最初は短めにしよう。水もちゃんと飲んでから。
「……はぁぁぁぁ……生き返る……」
手足を伸ばし、三人で極楽の溜息を漏らす。冷えた体で入る温泉もいいが、汗を流した後の湯浴みはまた格別だった。十分に体を温めて風呂から上がると、一馬は手拭いで髪を拭いながら、改良竈の前に立った。
「よし、ここからが本番だ」
井戸水にしばらく浸けて吸水させておいた白米を、土鍋に入れて竈の火にかける。最初は強火、沸騰して蓋がカタカタと鳴り始めたら弱火に落とし、最後に一瞬だけ強火で余分な水分を飛ばして、火を引いて十分間じっくり蒸らす。その間に、竈の余熱の炭火でイワナをじっくり遠火で焼き上げる。パチパチと皮が爆ぜ、香ばしい脂の匂いが立ち込めてきた。鍋には、干しておいたヒラタケと、乾物袋から取り出した細い昆布から取った黄金色の澄んだ出汁。そこへ湯通ししたセリとフキを入れ、実家から持ってきた貴重な味噌を溶き入れる。
ふわぁぁぁ……と、どこか懐かしく、強烈に食欲を刺激する味噌の香りが小屋いっぱいに広がった。
「す、凄い……何と良い匂いじゃ……」
十兵衛と源助が、喉をゴクリと鳴らして吸い寄せられるように土間へやってきた。
「二人とも、座って座って! 飯が炊けたよ!」
土鍋の蓋を開ける。パアァッ……と真っ白な湯気が立ち上り、中から現れたのは――。一粒一粒がピンと立ち、真珠のようにツヤツヤと輝く、炊き立ての白米だった。十兵衛が削り出してくれた檜の椀に、湯気の立つ白米をよそう。並んだのは、ツヤツヤに輝く炊き立ての白米、ヒラタケと山菜の具沢山味噌汁、炭火で皮がパリッと焼けたイワナの塩焼き、セリの浅漬け。
「「………………」」
源助と十兵衛が、息を呑んでお膳を見つめている。
「さあ、冷めないうちに食べよう! いただきます!」
一馬は箸で白米をひと口すくい、口に運んだ。
「んんんーーーーっ!!」
噛み締めた瞬間、米本来の強烈な甘みと香りが口いっぱいに広がる。ふっくらとして、モチモチで、完璧な炊き加減。すかさず、熱々の味噌汁をすする。
ズズッ……。
「……美味ぁ……」
ヒラタケの深い出汁と味噌のまろやかな塩味が、温泉上がりの体に五臓六腑まで染み渡っていく。皮がパリッと香ばしいイワナの身をほぐし、塩気の効いた白身を米と一緒に放り込めば、もう言葉が出ない。
「二人とも、どうしたの? 冷めちゃうよ」
「は、ははっ……いただきます……」
二人が震える手で箸を取り、恐る恐る白米を口に運んだ。次の瞬間――。
「「………………ッ!?」」
ガタッ、と二人の体が跳ねた。
「な、なんじゃこれは……!? 甘い……米が、噛むほどに甘い……!」
「汁の旨味が深すぎる……! 魚の生臭さが一切なく、皮まで香ばしい……!」
二人は無言になり、夢中で箸を動かし始めた。米をかき込み、汁をすすり、魚にかぶりつき、また米を頬張る。ボロボロと大粒の涙をこぼしながら、あっという間に茶碗を空にしてしまった。
「……若殿」
十兵衛がお椀を両手で抱え、しゃくりあげた。
「わしは……城の大工をしていた頃、殿様のお膳を作った料理人の飯を見たことがございます。ですが……これほどの美味い飯、日ノ本広しといえど、橘の殿様ですら召し上がったことはありますまい……!」
「お米の吸水と、魚の下処理をちゃんとしただけだよ」
一馬は笑って、鍋に残ったおこげを分けてあげた。極上の温泉に入り、美味い白米と味噌汁を腹一杯食って、温かい小屋で一息つく。前世で求めてやまなかった「人間の本当の幸せ」が、いま完全にここにあった。
「ふう、ごちそうさまでした。……美味かったなぁ」
一馬は帳面を開き、満ち足りた気分で筆を走らせた。
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【鳴神開拓記録:六日目】
・開拓人口:3人(健康状態:良好)
・居住区:仮設小屋(排煙竈・炭砂ろ過井戸 稼働中)
・施設:鳴神温泉・第一号湯(湯小屋の屋根まで完成・雨天対応)
・農地:試験区画 約0.25町(蕎麦・発芽確認)
・食料備蓄:川魚(燻製・干物加工を試作予定)、山菜、キノコ(白米は完食。明日からは魚と山菜で繋ぐ)
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【本日の反省:魚は捕獲後すぐに内臓を抜くこと。米の完全自給へ向け新田開墾を急ぐべし】
【現在の目標:明日の朝風呂に入り、周辺の森の獣道を探索せよ】
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夜。満天の星空の下、一馬は小屋の縁側に腰掛け、静かに夜風に当たっていた。その時だった。サワッ……。遠くの森の茂みから、微かな物音が風に乗って届いた。
「ん……?」
風下から漂ってくる、わずかな匂い。それは、小屋から流れる香ばしい焼き魚と味噌汁の匂い……そして、それに引き寄せられるように近づいてくる、鉄臭いような、血のような、妙な匂いだった。森の暗闇の奥。そこには、ボロボロの羽織を纏い、腰に長刀を差した一人の老武者が、湯気の立つ小屋をじっと見つめていた。
(……腹が、減ったな)
死に場所を求めて荒野を彷徨っていたその老武者こそ――後に鳴神の守護神と呼ばれる男だと、一馬はまだ知らない。研ぎ澄まされた冷たい鉄の気配が、静かに夜の闇に溶けていった。




