第5話:死の荒野を掘ったら、天然温泉が出てきた
第5話:死の荒野を掘ったら、天然温泉が出てきた
五日目の朝。煙の出ない改良竈で湯を沸かしながら、一馬は帳面を開いた。米は今朝の粥でほとんど尽き、残りはわずかな粒だけだった。十兵衛が川の様子を確かめて戻ってくる。
「十兵衛さん、川の様子はどうだった?」
「ははっ。昨晩仕掛けておいた竹の筌に、川魚が二匹入っておりましたぞ。山菜のセリも少し摘んで参りました」
十兵衛が差し出したのは、小ぶりだが活きのいいイワナと青々とした山菜だった。
「よし! 魚は塩焼きにして、骨と頭で出汁を取って雑炊にしよう。これで今日一日は何とかなる。……食料を腹に入れたら、いよいよ岩山へ行くぞ」
「「ははーーっ!!」」
川魚の塩焼きを分け合い、温かい雑炊を胃袋に流し込む。腹が満ちたところで、三人は鉄鋤、金槌、大槌、鉄の棒を抱えて、岩山の裾野へと向かった。目指す場所は、昨日目星をつけていた岩肌の裂け目だ。近づくにつれて、鼻を突く硫黄の臭いが強烈になり、岩の隙間から立ち上る白い湯気が、朝の冷気を暖めているのがはっきりと見えた。周囲の土に触れると、手のひらに心地よい温もりが伝わってくる。
「――ここだ」
一馬が立ち止まり、黄色い湯の花がこびりついた岩壁を指差した。
「十兵衛さん、ここ掘れそうかな?」
十兵衛が腰の金槌を抜き、カンカンと岩肌を叩いて音を確かめる。耳を澄まし、亀裂の走る方向をじっと見つめてから頷いた。
「若殿、岩盤自体は硬い白っぽい石でござるが、この縦の筋に沿って深い亀裂が入っております。上の大岩を先に落としておけば、崩落の危険はありませぬ。わしが楔を打ち込みますぞ」
「頼んだ! 源助さんは、砕いた石の運び出しをお願いできる?」
「お任せくだされ! 足場を均しながら運び出しますぞ!」
「よし、温泉発掘作戦、開始だ!」
三人での作業が始まった。十兵衛が長年の勘で岩の弱点を見極め、鉄の楔を打ち込み、大槌を振り下ろす。ズガンッ! という鈍い音と共に、硬い岩がパカッと割れていく。一馬と十兵衛が鉄棒を隙間にねじ込み、テコの原理で巨岩を押し出す。ゴロンと転がり出た岩を、源助が手際よく脇へ積み上げていく。ただ闇雲に掘るのではない。上の岩が落ちてこないよう斜面を階段状に削り、足場を固め、崩落を防ぎながら慎重に掘り進める。
作業開始から二時間ほど経った頃だった。深さ一メートルほど掘り下げた足元の泥岩から、不意に音が響いた。
――ボコッ。
「十兵衛さん、止めて!」
一馬は慌てて十兵衛の大槌を手で制し、足元にしゃがみ込んだ。砕けた岩の隙間から、無数の気泡と共に、透き通った湯がフツフツと湧き出している。恐る恐る、指先を伸ばす。
「……あ」
指先に触れたのは、心地よい熱気だった。熱い。だが、火傷するほどではない。体感では四十度を少し超えるくらいか。温度計がないから正確な温度は分からない。後で作らないとな。次の瞬間――岩の奥からドッと湯が溢れ出し、掘り抜いた岩穴を満たしていった。
「で、出た……!」
一馬は泥だらけの手を天に突き上げ、子供のように飛び跳ねた。
「出たよ! 十兵衛さん! 源助さん! 本当に出た!! 本物の、源泉掛け流しの天然温泉だぁぁぁっ!!」
「わ、若殿が跳ねておられる……!?」
普段は冷静沈着に指示を出している一馬が、満面の笑みでバシャバシャと湯を跳ねさせているのを見て、二人が目を丸くした。
「すごいよ十兵衛さん! あんたが安全な岩の筋を見極めてくれたおかげだ! 源助さんも石を全部運んでくれてありがとう!」
「め、滅相もございませぬ……! 若殿の御慧眼があればこそ!」
「そんなお世辞はいいから! ほら、急いで周りを平らな石で囲んで、湯船を作ろう! 早く入りたい!!」
一馬の凄まじい熱気に押され、十兵衛と源助も大急ぎで平らな石を並べ、泥が入らないように隙間を粘土で固めて、深さ五十センチほどの立派な岩風呂を組み上げた。底から湧き出る澄んだ湯がなみなみと溜まり、白い湯気が立ち込める。
「よし……! 二人とも、服を脱いで!」
「えっ、わ、わしらも入るので!?」
「当たり前でしょ! 三人で掘ったんだから、三人で一番風呂だよ!」
着物を脱ぎ捨て、手桶で掛け湯をしてから、岩風呂の中へそろりと足を滑り込ませる。ざばぁぁぁん……。肩まで湯に浸かった瞬間――。
「「「………………はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ…………」」」
三人同時に、魂が抜けるような溜息が漏れた。温かい。全身の毛穴という毛穴から、日頃の過酷な労働の疲れと、骨の髄まで染み込んでいた冷えが一気に溶け出していく。硫黄の香りが鼻腔をくすぐり、冷え切った体がほどけていく。
(ああ……これだ……)
一馬は岩に頭を預け、目を閉じた。前世の記憶が頭をよぎる。鳴り止まない電話。工期の遅れを謝り倒した日々。コンビニ弁当を五分で流し込み、シャワーだけで済ませてまた現場へ向かった毎日。でも、ここには何もない。鳴り響く電話も。怒鳴り散らす上司も。追われる工期も、何一つない。ただ、澄み渡る秋の青空と、温かい湯と、山を渡る静かな風の音だけがある。
(……誰にも、急かされない)
目頭が熱くなった。一馬は本当に、あの地獄のような過労の日々から解放されたのだ。生きていてよかった。この世界に生まれ変わって、本当に良かった。
「……若殿」
隣で湯に浸かっていた源助が、ポロポロと涙を流していた。
「わしは……生まれてこの方、このような極楽を味わったことがございませぬ……。長年痛んでいた腰が、まるで嘘のように軽くなっていく……」
十兵衛は黙って湯を掬い、何度も手のひらで確かめていた。
「……若殿」
「ん?」
「この風呂、柱を立てるなら……屋根はこうした方がよろしいでしょうな」
「もう次のこと考えてるの?」
「職人でござれば」
「ふふっ、良かったね。温泉は病気を治す魔法じゃないよ。でも、温まって体の疲れが取れるのは確かだ」
一馬は湯面をパチャパチャと叩いて笑った。やがて、体の芯までポカポカに温まって風呂から上がり、手拭いで体を拭く。冷たい秋風に吹かれても、湯冷めする気配すらない。
「若殿」
源助が改まった顔で一馬を見た。
「この霊泉……次はいかがなさいますか? 砦を築き、高い塀で囲って他国から隠しますか?」
「うーん……」
一馬は湯気の立ち上る源泉を見つめ、腕を組んだ。
「屋根をつけよう」
「……は? や、屋根……でござるか?」
「うん。雨の日や雪の日に頭が濡れたら嫌だし、風が強いと寒いからね。スギの丸太と板を使って、立派な『湯小屋』を作ろうよ。それと、温泉までの道も整備しないと。雨の日に泥だらけになったら嫌だし。三人分だけじゃない。将来ここに人が住むなら、湯の排水も考えないと」
「………………」
源助と十兵衛が顔を見合わせ、言葉を失った。二人の目には、一馬が「霊泉を独占して隠すのではなく、全天候型の湯治場を築き、長く人を癒やすための深謀遠慮」を持っているように見えていたらしい。一馬は湯気の向こうを眺めた。
「ここ、将来はちゃんとした風呂屋にできそうだな」
「風呂屋……?」
「うん。脱衣所があって、休憩所があって……雨の日でも歩ける道があって。そのうち、畑で採れたものを食べられる食堂なんかも作ったら楽しそうだ」
二人は顔を見合わせた。まだ何もない。だが一馬には、もうこの荒野に「暮らし」が見え始めていた。一馬は小屋に戻り、帳面を開いて筆を走らせた。
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【鳴神開拓記録:五日目】
・開拓人口:3人(健康状態:良好・疲労:昨日より軽い)
・居住区:仮設小屋(排煙竈・炭砂ろ過井戸 整備済)
・農地:試験区画 約0.25町(蕎麦・播種済み・発芽待ち)
・食料備蓄:川魚・山菜を確保(米は尽きた。明日以降も採集・狩猟を継続)
・温泉:源泉確保!(鳴神温泉・第一号湯 湧出!)
└ 泉質:硫黄臭あり・詳細未分析
└ 湯温:約40~45℃(体感による暫定値)
└ 湧出量:十分・自然排水
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【本日の反省:採掘時は落石対策を最優先すること。湯船の泥止め粘土は定期点検が必要】
【現在の目標:雨除けの湯小屋を建て、毎日温泉に入れ。食料確保を最優先せよ】
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「よし!」
一馬は二人に笑いかけた。
「明日も、朝と晩に入ろうね。でも、その前に飯を探そう。風呂はある。飯がない。……開拓生活とは、そういうものだよ」
「「ははーーっ!!」」
後に日ノ本全土から人々が押し寄せることになる「鳴神温泉」の最初の一滴は、こうして一人の青年の「毎日気持ちよく風呂に入りたい」という純粋な願いから誕生したのだった。三人の小さな開拓団が刻んだ第一歩。明日もまた、仕事が始まる。そして本人だけは、それを「仕事」だと思っていなかった。のんびり暮らすための準備なんだから、仕方ないよな――そう呟いて、一馬は静かに目を閉じた。




