第4話:煙たい竈を改造したら、爺さんが泣いた
第4話:煙たい竈を改造したら、爺さんが泣いた
「ゴホッ! ゲホッ、ゴホッ……!」
翌朝。小屋の中に充満する真っ白な煙と、苦しげな咳き込み声で目が覚めた。目を開けた瞬間、猛烈な刺激が走って涙がぼろぼろと溢れ出る。霞む視界の中で見ると、土間の隅で源助が目を真っ赤に腫らし、煙に巻かれながら必死に団扇で火を煽っていた。
「ゴホッ……若殿、起こしてしまい申し訳ございませぬ……! すぐ、朝餉の湯を沸かしますので……!」
小屋の屋根に煙抜きの穴は開けてあるが、朝の湿った風のせいで煙が逆流し、部屋全体が視界五メートルほどの煙幕状態になっていた。これでは前世でいう一酸化炭素中毒や煙害の危険空間だ。現場監督として、こんな劣悪な環境を見過ごすわけにはいかない。煙が目に染みるということは、燃焼ガスがまともに外へ逃げていない。こんな場所で寝起きするなんて、現場なら即使用禁止だ。
「源助さん、目が痛くないの?」
「武家の台所や下男の火焚きとは、古来よりこういうものにございます。……煙を我慢して火を熾すのが務めなれば」
「いや、我慢する必要なんてないよ。絶対にもっと楽にできる」
一馬は涙を拭いながら立ち上がり、外で薪を割っていた十兵衛を呼んだ。
「十兵衛さん、粘土と平らな石、それから太い竹を持ってきてほしい」
「竈を作り直すのでござるか? 石を積むだけでは火が散ってしまい、余計に煙が出ますぞ」
「積むだけじゃないよ。薪を入れる口と、鍋を置く場所を分けて、奥に煙の通り道を外へ伸ばすんだ」
一馬は地面に簡単な竈の断面図を描いた。
「焚き口を狭くして吸気口を作る。吸い込まれた空気で炎を強く燃やし、熱は鍋底に集中させて、煙だけを上昇気流に乗せて外へ吹き出させる。……空気をうまく導けば、部屋の中に煙が漏れることはないよ」
十兵衛が顎髭を撫でながら図面を凝視する。
「なるほど……。竹を型にして粘土を厚く巻き付け、乾かしてから竹を抜けば、即席の土管になりましょう。石と粘土で隙間を塗り固めれば、熱も外へ逃げませぬな。ただし、今日は試作品ゆえ、火を弱めにして様子を見るのがよろしいかと」
「さすが十兵衛さん、話が早い! 砂を混ぜた粘土の方が割れにくいだろ?」
「ははっ、その通りでござる。拙者もそう考えておりました」
朝食を後回しにして、三人はすぐに竈の改修に取りかかった。食料は残り一日分ほどしかない。だが、煙の中で粥を煮ること自体が体を蝕む。一馬は帳面に「燃料消費と健康を優先」と書き込み、作業に集中した。小屋の壁際を掘り下げ、平石と粘土で燃焼室を組む。竹を型にして粘土を巻き付け、乾かしてから竹を抜いた土管を煙道として壁の外へ突き出させ、粘土でしっかりと隙間を塞いだ。作業は昼前には完了した。
「源助さん、火をつけてみて」
「は、はは……」
源助がおずおずと焚き口に枯草と小枝を入れ、火種を落とす。すると――ゴオッ、と低い吸気音が鳴り、炎が勢いよく奥へと吸い込まれていった。鍋の下で激しく燃え盛る炎。しかし、土間には煙が一筋たりとも漏れてこない。外に出て見上げると、土管の先端から白い煙がモクモクと青空へ勢いよく吐き出されていた。
「……あ」
源助が団扇を取り落とした。
「け、煙が……目に染みぬ……!」
源助が震える手で自分の目を触る。小屋の中は驚くほど空気が澄んでおり、しかも鍋の水があっという間にグラグラと沸騰していた。
「……煙が、ない」
源助は呆然と呟いた。何度も目を瞬く。いつものように涙が出ている。だが、それは煙に焼かれた涙ではなかった。
「……痛く、ない」
源助は自分の目元に触れた。
「火を焚いても……目が痛くない……」
五十年。火を焚けば煙にむせるのが当たり前だった。それを「仕方のないこと」と思っていた。
「……こんなことが、できたのですか」
声が震えた。
「うん。煙を外に出しただけだよ」
一馬は笑った。だが源助は笑わなかった。
「……それだけのことを、わしらは五十年も我慢しておったのですな」
老人の目から、ぽろりと涙が落ちた。熱が逃げないから、薪の消費も半分以下で済むはずだ。お湯もすぐ沸くし、何より息がしやすい。だが源助にとっては、それ以上の意味があった。五十年間、仕方ないと思って我慢していたことが、我慢しなくてよかったと初めて知った瞬間だった。
「若殿……! わしは五十年生きてきて、これほど目が痛まぬ火焚きをしたことがございませぬ……!」
源助が土間にへたり込んで涙ぐむ。いや、煙道をつけただけなのだが、彼にとっては命に関わる大改革だったらしい。一馬は煙道の根元に触れ、少し熱を帯びていることに気づいた。
「……これは駄目だ。明日、煙道はもっと厚めの土管に作り直そう。今のままだと、長持ちしない」
帳面に「煙道改良・試作品として記録」と書き加える。万能ではない。試して、測って、失敗を修正する。それが現場監督の仕事だった。
「よし。台所が良くなったら、次は『水』だね」
午後からは飲料水の確保だ。川の水は泥や落ち葉が混ざっており、そのまま飲むとお腹を壊すリスクが高い。一馬は十兵衛と共に、岩山の麓の少し湿った斜面を調査し、水が滲み出ている場所を見つけて二メートルほど掘り下げた。ザバッと水が湧き出す。
「出ましたぞ、若殿!」
十兵衛が桶で汲み上げるが、汲み上げた水は薄茶色に濁っていた。
「……やっぱりね。泥混じりだし、このまま飲んじゃ駄目だ。お腹を壊したら開拓どころじゃないからね」
「では、どうするので?」
「簡易ろ過器を作るよ」
一馬は底に小さな穴をいくつか開けた木桶を用意し、下から順に「清潔な晒し布」「木炭を砕いた層」「細かい川砂」「小石」の順で層を重ねて敷き詰めた。
「炭が不純物と臭いを吸着して、砂と小石が細かい泥を漉し取ってくれる。ただ、透明になったからって安全とは限らないよ。見えないものもあるから、最後は必ず煮沸する。このろ過器は泥や臭いを減らすためのもの。病気を防ぐのは、最後の煮沸だ」
上から濁った水を注ぎ込む。しばらくして、桶の底の穴からポタポタと水が滴り落ちてきた。受け皿の木椀を覗き込んだ十兵衛が、息を呑んだ。
「……なっ!?」
器に溜まっていたのは、底の木目が透けて見えるほど澄み切った、透明な水だった。
「念のため、新しく作った竈で一度沸騰させてから飲もうね」
湯を沸かし、冷ました水を三つの竹筒に注ぐ。
「お疲れ様。はい、源助さん、十兵衛さん」
二人が恐る恐る口をつけた。
「「…………ッ!!」」
「つ、冷たくて……甘い……!」
「泥の臭いが一切せぬ……! 喉を通る感覚が、まるで山の雪解け水のようでござる……!」
二人は器を両手で包み込み、一滴もこぼさぬように喉を鳴らして飲み干した。煙の目に染みない部屋。すぐに湯が沸く暖かい竈。腹を壊さない清らかな水。そして、暗渠排水で水を抜いた試験区画には、十兵衛が持ってきた蕎麦の種が丁寧に蒔かれていた。現代人からすれば「ごく当たり前のインフラ」だが、過酷な乱世を生きてきた二人にとっては、まるで天国のような劇的な生活改善だった。
「若殿……」
源助が畳代わりに敷いた筵に深々と額を擦り付けた。
「わしらは……橘の屋敷におった頃よりも、今この荒野におるときの方が、遥かに人間らしい暮らしをしておりまする。若殿は、我らの命を救ってくださった……」
「大げさだなあ。俺が煙いのが嫌で、美味い水が飲みたかっただけだよ」
一馬は苦笑いしながら外へ出た。夕暮れが荒野を包み、冷たい夜風が吹き抜ける。その風に乗って、ふわりと漂ってくる香り。
(……やっぱり、この臭いだ)
ツンと鼻を刺激する、濃厚な硫黄の香り。昼間、岩山を観察していて目星をつけた場所がある。あの岩肌の裂け目、周囲の枯草がそこだけ青々としており、うっすらと白い湯気が立っていた。地面に手を置くと、微かに温かい。
「十兵衛さん」
「ははっ、まだ何か気になりますか?」
「うん。明日さ……あっちの岩山の麓を、少し深く掘ってみようと思うんだ。でも、その前に食べ物を探そう。米は残り一日分だ。蕎麦が収穫できるまでには時間がかかる。狩りか採集か、別の食料源が必要だ」
「承知いたしました。若殿の仰せのままに!」
十兵衛の目には、もはや疑いのかけらもなかった。一馬は小屋に戻り、帳面を開いて筆を走らせた。
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【鳴神開拓記録:四日目】
・開拓人口:3人
・居住区:仮設小屋(排煙竈・炭砂ろ過井戸を整備。煙道は試作品として改良予定)
・農地:試験区画 約0.25町(蕎麦の種蒔き完了・発芽待ち)
・食料備蓄:米 約一日分、味噌 約二日分(早期の狩猟・採集が必要)
・温泉:未発掘 → 有望地点を特定!(岩山の裂け目・微温確認)
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【本日の反省:飲料水は必ず煮沸消毒を併用すること。煙道は厚めの土管に作り直す】
【現在の目標:食料確保の後、岩山の麓を掘削し、天然温泉を発掘せよ】
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(待ってろよ、俺の源泉掛け流し温泉……!)
澄んだ水を飲み干し、一馬は明日の大工事に向けて目を閉じた。生活の基礎が整い、いよいよ物語の最大の看板――「温泉」の扉が開かれようとしていた。だが本人は、それを「仕事」だと思っていなかった。のんびり暮らすための準備なんだから、仕方ないよな――そう呟いて、一馬は静かに眠りについた。




