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第3話:泥沼に竹を埋めたら、一晩で大地が現れた

第3話:泥沼に竹を埋めたら、一晩で大地が現れた


 二日目の朝。仮小屋の天井から漏れる薄明かりで目が覚めた。昨晩と違い、頑丈な壁と屋根のおかげで隙間風に震えることもなく、体力の回復は十分だった。一馬は起き上がり、まずは自分の体調を確認してから、懐の帳面を開いて炭を走らせた。


――――――――――――――――――――

【鳴神開拓記録:二日目】

・開拓人口:3人(全員健康状態良好)

・食料備蓄:米 約一日半分、味噌 約二日半分、干物 約二日分

・居住区:仮設小屋(一棟完成)

・農地:0町

・温泉:未発掘(有望地点の特定は後回し)

・資材:伐採木材、平石、竹林(近隣に自生を確認)

――――――――――――――――――――

【本日の目標:湿地の地質を調査し、試験的な暗渠排水を行え】

――――――――――――――――――――


 「若殿、朝餉にございます」


 源助が湯気の立つ木椀を持ってきてくれた。昨晩より少し薄くなった雑穀粥だが、温かいものが腹に入るだけで気力が湧く。源助は粥の量を三人分に均等に分けながら、残った食料を改めて確認していた。


 「ありがとう、源助さん。……食料、いよいよ今日と明日が山場だね」


 「は、はい……。米の底が見え始めております。何とかして自前で食べ物を得られねば、早晩行き詰まりまする。蕎麦を蒔くにしても、収穫までの食料が足りませぬ」


 源助が不安そうに小屋の外を指差した。目の前に広がるのは、見渡す限りの泥湿地だ。朝の光を浴びて黒く光る泥沼は、依然として人を寄せ付けぬ重苦しい気配を放っていた。


 「大丈夫。まずはあの土地の正体を調べよう」


 一馬は立ち上がり、十兵衛を伴って湿地の端へと向かった。持参した鉄鋤を構え、昨日足場の崩れなかった安全な高台の縁から、泥の中にグッと刃を突き立てる。ザクッ、と重い手応え。掘り起こした土をしゃがみ込んで観察する。表面から三十センチほどは黒く濁った泥水を含んだ粘土層。だが、その下をさらに掘り進めると、ゴロゴロとした粗い砂利と小石が混ざった層が現れた。


 「……なるほどな」


 一馬は指で小石を弾いた。


 「水が抜けきらないのは、表面の粘土層が分厚くて蓋をしてるからだ。下の砂利層まで水を通す道を作って、川へ誘導する傾斜をつけてあげれば、土は締まる」


 十兵衛が不思議そうに首を傾げた。


 「若殿、溝を掘って川へ流すのでござるか? それなら普通の掘割でよろしいのでは?」


 「いや、上に開いた溝だと、泥が崩れてすぐに埋まっちゃうし、人が歩く場所や畑の面積が減るだろ? だから……土の中に埋めるんだ」


 「つ、土の中に……溝を埋める?」


 一馬は地面に木の枝で簡単な断面図を描いた。


 「深さ一メートルほどの溝を掘って、底にほんの少しだけ傾斜をつける。その中に節を抜いた太い竹を並べ、周りに小石と木の枝を敷き詰めてから、上から土を埋め戻すんだ。……土の中に染み込んだ余分な水は、隙間の多い小石や竹の穴に勝手に集まってくる。これを『暗渠排水』って言うんだよ」


 十兵衛は目を白黒させた。


 「土を埋め戻したら、水が流れるわけがござらん! ただ泥が詰まるだけでござる!」


 「ふふっ、理屈より実践だ。十兵衛さん、向こうの斜面から太い竹を五本と、細い木の枝をたくさん切ってきてほしい。源助さんは河原から拳くらいの小石を集めてね。俺は溝を掘る!」


 「「は、ははっ!」」


 二人は半信半疑の顔を崩さないまま、それでも指示通りに駆け出していった。作業は想像を絶する重労働だった。粘土質の泥はスコップ代わりに振るう鉄鋤にねっとりとへばりつき、持ち上げるだけで腰と腕の筋肉が悲鳴を上げる。現代の油圧ショベルがどれほどありがたい機械だったかを、一馬は骨身に染みて痛感した。


 「うおっ……重い……!」


 「若殿! 無理をなさいますな、わしが代わります!」


 「いいから! 三人で少しずつ掘り進めた方が早いよ!」


 泥まみれになりながら、幅四十センチ、深さ一メートル、長さ三十メートルの溝を一本掘り抜いた。底に十兵衛が切ってきた竹を並べ、節を抜いて繋ぎ合わせる。その周りを源助が集めた小石で覆い、上から小枝を被せて土を埋め戻した。


 だが――。


 「……若殿、水が出てきませぬな」


 十兵衛が溝の出口である川べりを見て眉をひそめた。出口からは、濁った泥水がポタポタとわずかに垂れているだけだった。


 一馬は腕を組み、泥のついた額を拭った。


 「……失敗したな」


 「やはり、土を埋めては水が詰まるのでは……」


 「いや、小枝の隙間が大きすぎて、埋め戻した粘土が竹の継ぎ目に直接流れ込んで詰まってるんだ。天然の素材だから、フィルターの目が粗すぎた」


 前世の知識があっても、規格品のパイプや不織布シートがない世界だ。現場の素材に合わせた工夫が要る。そこで、十兵衛が顎髭を撫でながら口を開いた。


 「若殿。……もし泥を漉すのが目的ならば、小枝の上に『藁』を幾重にも敷き詰め、竹の継ぎ目を藁縄で固く巻いてみては如何でござろう? 大工の仕事でも、壁土を塗る前に藁を噛ませて泥の崩れを防ぎまする」


 一馬の目がカッと見開かれた。


 「それだ! 十兵衛さん、それだよ!」


 「は、ははっ!」


 現場の素材の性質を知り尽くした職人の知恵。一馬一人では思いつかなかった解決策だった。三人はすぐに溝を掘り返し、竹の継ぎ目に藁を厚く巻き、小石の上に乾いた枯草と藁の層をびっしりと敷き詰めてから、再び土を埋め戻した。さらに一馬は、竹筒に水を張って水面の傾きを見る即席の水準器を使い、排水口に向かって確実な下り傾斜がついていることを確認した。


 すべての作業が終わった頃には、とっぷりと日が暮れていた。三人は頭から足の先まで泥まみれで、小屋に戻るなり土間に倒れ込んだ。


 「……ふう。今日はここまでだね」


 「は、はは……手も足も棒のようでござる……」


 「源助さん、十兵衛さん、本当にお疲れ様。今夜は干物を少し炙って、温かい雑炊にしよう」


 泥だらけの顔を見合わせ、三人で笑い合った。食事を流し込むように平らげ、泥のように眠りについた。


 ――そして、翌朝。


 「わ、若殿ォォォッ!! 若殿、起きてくだされッ!!」


 源助の裏返った絶叫で、一馬は跳び起きた。


 「な、なんだ!? 野伏か!?」


 「違います! 外を! 外をご覧くだされ!!」


 慌てて小屋を飛び出し、昨日暗渠を埋めた湿地を見下ろした一馬は、思わず息を呑んだ。


 「……おお」


 昨日まで足を踏み入れれば膝まで沈み込んでいた底なしの泥沼。その暗渠の周囲、数間ほどの区画から余分な水が明らかに引き、しっとりと湿り気を帯びた黒々とした土がしっかりと姿を現していたのだ。川べりの排水口からは、泥の混じっていない澄んだ水が、チョロチョロと途切れることなく勢いよく流れ出している。一馬が足を踏み入れてみる。草履が沈まない。大地がしっかりと締まり、体重を支えている。


 「ば、馬鹿な……」


 十兵衛がその場にへたり込み、震える手で黒土をすくい上げた。


 「土の中に竹と藁を埋めただけで……あんな泥沼が、水を抜いて大地を現すなど……こんなこと、見たことも聞いたこともござらん……!」


 源助に至っては、地面に額を擦り付けて涙を流していた。


 「神業じゃ……。死の泥沼を消し去り、一夜にして大地を呼び戻された……! 若殿は、荒野の神を従えておられるのじゃ……!」


 「いや、ただ水が抜けただけだよ」


 一馬は苦笑しながら、足元の土を一握りすくい上げた。指先でほぐすと、ポロポロと柔らかく崩れる。


 (……いい土だ。空気も通ってる。これなら作物の根が腐る心配はない。でも、まだ畑にはできない。水が動いた。これならいける)


 だが、そこで一馬の手がピタリと止まった。


 「……あれ?」


 「若殿? 如何なされました?」


 十兵衛が不思議そうに見上げる。一馬は頭を掻いた。


 「土はできたけど……これ、何を植えればいいんだろう? 水田にするにはまだ水路が足りないし、野菜の種も持ってきてないし……」


 一馬の知識は土木と都市計画だ。農業の歴史や、どの作物がこの土地の気候に合うかまでは専門外だった。知識チートの限界にぶつかった一馬に、十兵衛が穏やかな顔で言った。


 「若殿。この辺りの山間の土地なら、昔の人は『蕎麦』を蒔いたと聞き及びます。蕎麦なら比較的痩せた土地でも育ち、早ければ二ヶ月ほどで実を結ぶと聞きますぞ」


 「蕎麦……! 十兵衛さん、蕎麦の種はあるの!?」


 「実家を出る際、非常用の雑穀として一袋だけ持たせてもらいました!」


 「素晴らしいよ十兵衛さん! よし、この区画に蕎麦を蒔こう!」


 一馬は歓喜し、小屋に戻って帳面を開いた。開拓の第一歩となる数字が、力強く書き加えられる。


――――――――――――――――――――

【鳴神開拓記録:三日目】

・開拓人口:3人

・居住区:仮設小屋(一棟)

・農地:0町 → 試験区画 約0.25町(暗渠排水成功・水位低下確認)

・温泉:未発掘(有望地点を確認中)

・作物:蕎麦(播種準備中)

――――――――――――――――――――

【本日の反省:暗渠には藁フィルターが必須。土地に合う作物は十兵衛に相談すること】

【現在の目標:試験区画に蕎麦を蒔き、食料の自給を目指せ】

――――――――――――――――――――


 「よし!」


 一馬は二人の老僕を振り返り、満面の笑みを浮かべた。


 「これで畑の基礎ができたぞ! 早く美味い蕎麦を食って、温泉に入りたいな!」


 源助と十兵衛は、神の啓示でも受けたかのような顔で深々と平伏していた。奇跡ではない。現場を観察し、失敗を直し、職人の知恵を合わせた結果生まれた最初の一歩。泥沼に刻まれた試験区画の黒土から、鳴神の歴史が静かに動き出そうとしていた。明日もまた、仕事が始まる。そして本人だけは、それを「仕事」だと思っていなかった。のんびり暮らすための準備なんだから、仕方ないよな――そう呟いて、一馬は笑った。

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