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第21話:「鳴神詣で」と、役所の誕生

第21話:「鳴神詣で」と、役所の誕生


 夏の日差しが降り注ぐ、鳴神の幹線街道。


 かつて雑草と泥に覆われていた一本道は、いまや荷車と旅人の列が途切れることのない、日ノ本で最も活気ある大通りへと変貌していた。


 「おい見ろ! あれが鳴神の丸太防壁か!」


 「道に泥が一切ないぞ……! 砂利と石畳が敷き詰められておる!」


 「川の水が透き通っている……! なんと清らかな街だ!」


 街道を歩くのは、もはや飢えに苦しむ流民だけではなかった。鳴神の噂を聞きつけてやってきた他国の豪商や旅商人。鉄心の高炉で腕を振るいたいと押し寄せた諸国の刀鍛冶・鋳物師。鳴神温泉の湯と衛生の仕組みを学びに来た名医や本草学者。開拓地の子供たちに読み書きを教えたいと志願した寺子屋の僧侶。そして、主家を失いこの地で正当な武を振るいたいと集まった牢人たち。人々は口々にそれを「鳴神詣で」と呼んだ。


 戦乱と飢饉、理不尽な重税に喘ぐ日ノ本において、鳴神は「仕事があり、安全があり、美味い飯と温泉があり、誰でも能力次第で豊かに暮らせる場所」として、圧倒的な磁力で人々を引き寄せていたのだ。鳴神では身分に関係なく、腕のある者には工房と住居を与える、という評判が広がっていた。研究成果を市場で売れる仕組みもある。能力を持つ人間に居場所があることが、鳴神最大の人口吸引力になっていた。


 「うおおっ! 診療所と寺子屋の棟上げ、完了しましたぞ!」


 十兵衛率いる大工集団はいまや三十人を超え、医師たちのための診療所や、子供たちの学問所の建物を次々と組み上げていく。鉄心の鍛冶工房からも、増えた職人たちが打つ槌音が、まるで巨大な鼓動のように大地を揺らしていた。


 ――だが。


 「……一馬殿ォォォッ!!」


 ドタバタと猛烈な勢いで執務室の戸が開き、山のような帳面を抱えた千代が飛び込んできた。その額にはうっすらと青筋が浮かび、目の下にはうっすらと隈ができている。


 「千代さん、お疲れ様。冷たい麦茶飲む?」


 「麦茶を飲んでいる場合ではありませんわ!!」


 千代はドンッ!と机の上に帳面の山を叩きつけた。


 「聞いて驚きなさい! 今朝の住民登録で、鳴神の常住人口が【二百十人】を突破いたしました!」


 「おおーっ! すごいね、目標の二百人達成だ! 順調順調!」


 一馬が呑気に拍手すると、千代がギリギリと詰め寄ってきた。


 「順調ではありません!! 私と源助殿の二人だけで、二百人以上の土地の登記、商人の納税記録、住居の割り当て、水利権の調停、夜間警備のシフト管理など……到底捌き切れるわけがありませんでしょうが!! もう三日も書類の山に追われて温泉に入れていませんわ!!」


 「えっ、千代さんが温泉に入れない!?」


 一馬はガタッと立ち上がり、真剣な顔で腕を組んだ。彼にとって「温泉に入れない」というのは、あらゆる災害よりも許しがたい重大な危機だった。


 「それは駄目だ。現場監督として最優先で解決しなきゃいけない。……よし、『役所』を作ろう」


 「……やくしょ?」


 「うん。千代さん一人が全部やるからパンクするんだ。業務を部門ごとに分けるんだよ」


 一馬は帳面にサラサラと組織図を描いた。


 ・土木・建築係:十兵衛を筆頭に、水路・道路・住宅・下水の保守管理。


 ・産業・生産係:鉄心を筆頭に、高炉・工房・規格農具の生産管理。


 ・治安・警備係:源蔵を筆頭に、篝の警戒網と自警団による街の警備。


 ・市場・会計係:堺屋の文蔵たち商人を登用し、市場の取引と出納管理。


 ・戸籍・外交係:千代が統括し、全体の意思決定と他国との外交を担当。


 「各係に新しく来た学者や商人、大工の頭を配置して、現場の責任者に実務の権限を渡すんだ。千代さんは最終決定の確認だけをすればいいようにしよう。税金は取らないよ。市場の使用料とか、宿泊料とか、共同倉庫の利用料とか……使った人から少しずつもらえばいいんじゃない?」


 「…………」


 千代は目を丸くして組織図を凝視した。


 (各分野の専門家に実務を委託し、行政を合議と分業で回す仕組み……。門閥や血縁ではなく、能力に応じた仕組み……!?)


 「……一馬殿。貴方、自分が今『一つの統治の仕組み』を一瞬で設計したことが分かっていますの?」


 「え? ただの現場の業務分担だよ? 監督一人ですべての職人に指示出してたら現場が止まっちゃうからね」


 「……はぁ。もうツッコむのも疲れますわ」


 千代は深くため息をつきつつも、その瞳には一馬への限りない敬意が滲んでいた。こうして、日ノ本でも珍しい機能的な分業組織――「鳴神役所」が誕生したのだった。


 「では、最初の役所仕事は何をするのです?」


 千代が尋ねる。一馬は少し考えた。


 「うーん……」


 そして、紙に大きく書いた。


 『住民が困っていることを見つける』


 「……これが一番じゃないかな」


 「それだけ?」


 「うん。役所って、偉い人が命令する場所じゃなくて、困ってる人の話を聞いて、街を直すところでしょ?」


 千代はしばらく黙っていた。


 「……本当に貴方は、ときどき恐ろしいことを平然と仰いますわね」


 「え?」


 「その考え方が広まれば……領主と民の関係そのものが変わります」


 一馬は首を傾げた。


 「でも、困ってる人を放っておいたら、街が壊れるじゃん」


 千代は小さく笑った。


 「……だから貴方は、領主になるつもりがなくても、領主になってしまうのですね」


 千代が各係へ指示を出し、行政の混乱が一瞬で解消されたその日の夕暮れ。


 「――御屋形様、千代様。早馬にて、他国より極めて重大な書状が届きましてございます」


 源蔵が厳かな面持ちで、金蒔絵の施された豪奢な木箱を運んできた。


 「どこから?」


 「西の大国・武藤領を治める大大名、武藤家当主様からの親書にございます」


 千代が息を呑み、封を切って文面を追った。その瞳が、見る見るうちに驚愕で見開かれていく。


 「な……ッ!?」


 「千代さん、なんて書いてあるの?」


 千代は震える手で書状を握りしめ、一馬を真っ直ぐ見据えた。


 「……武藤家よりの申し出です。『鳴神で生産される規格農具五百丁、鉄器百箱、新米五百俵、並びに温泉の湯治枠を武藤領へ優先供給してほしい。対価として、金五百両と不可侵の盟約を締結いたす。加えて、鳴神商人の武藤領内通行を保証する』……と」


 「へぇ〜、武藤さんもお米と温泉が欲しいんだね」


 一馬が呑気に頷くと、千代は机をバンッと叩いて立ち上がった。


 「『お米が欲しい』で済む話ではありませんわ!! 武藤といえば、西国に名だたる騎馬の大大名ですぞ! その武藤が、一介の追放者ではなく……鳴神を、対等に盟約を結ぶべき一大勢力として正式に認めたということですのよ!!」


 「え? 最初からここ、俺の土地なんだから領地じゃないの?」


 「…………っ!!」


 千代は絶句し、頭を抱えて座り込んだ。一馬にとっては「自分の畑で採れた野菜を分ける」くらいの感覚なのに、戦国乱世の大名たちにとっては「日ノ本の勢力図を根底から揺るがす巨大な同盟」の幕開けだったのだ。最初はただの開拓権だった土地が、人口二百人を超え、市場を持ち、役所を持ち、他国との条約を結ぶ段階にまで来ていた。


 鳴神の煙は、もはや一地方の奇跡にとどまらず、天下の覇権争いそのものを大きく動かし始めていた。


 一馬は帳面を開き、炭を走らせた。


――――――――――――――――――――

【鳴神開拓記録:二百六十日目】

・現在人口:210人(常住者)+白金領滞在15人

・都市区画:長屋十棟、職人街、商業街、宿場区画、中央市場、公共広場

・行政機構:【鳴神役所】新設

 └ 土木・建築係

 └ 産業・生産係

 └ 治安・警備係

 └ 市場・会計係

 └ 戸籍・外交係

・公共施設:鳴神温泉・共同大浴場、総合診療所、寺子屋、共同便所

・産業:第二高炉、大型水車製材所・精米所、薬草研究所

・農業:水田・畑 約3町歩

・交通:石畳幹線道路、宿場区画整備

・人口流入:農民、職人、医師、学者、僧侶、牢人らが継続的に流入

・外交:西の大国・武藤家より正式な通商・不可侵の申し入れ

――――――――――――――――――――

【本日の反省:人口が増えれば、都市を支える行政制度も必要になる。一人の有能な指導者に依存せず、権限と責任を分担せよ】

【現在の目標:武藤家との通商・不可侵交渉を成功させ、鳴神の自治権と交易路を確立せよ】

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