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第20話:水中基礎と仮設締切(コファーダム)

 東掩蓋連峰を貫くトンネルを抜け、土石流の脅威を砂防堰堤で封じ込めた僕たちの前に立ちはだかったのは、山脈の雪解け水を集めて荒れ狂う大河だ。


「……あー、もう。橋を架ける前に、まずはこの川底を『乾かして』基盤を造らなきゃいけないんですか。不本意だ、あまりに不本意すぎる……」


 僕が泥濘に足を取られながら現場の下見をしていると、背後から聞き覚えのある、高く気取った声が響く。


「また泥遊びかね、ドルト一等兵。いや、今は技術曹長だったか」


 振り返ると、そこには不自然なほど輝く銀細工の施された青い外套を纏う青年が立っている。王立魔術学院を首席で卒業した精鋭(エリート)、トーリエ・フォン・グランツだ。

 排水を無視した「美しい擁壁」を設計して崩壊の危機を招いた彼が、なぜかこの最前線の土木工区に、新たな技術監督官として着任している。


「……あ、トーリエ士官。お久しぶりです。……まだ軍に、それも現場にいらしたんですね」


「失礼な。あの『壁の事件』の後、私は魔術理論を再構築したのだ。今の私は、君の言う『安全マージン』についても正しく理解している」


 トーリエは自信満々に胸を張り、川の中央を指差す。そこには既に、彼が展開させた巨大な立方体の魔法障壁が、激流を真っ二つに割り、川底を露わにさせている。


「見てみるがよい。今回の魔法障壁は、前回の反省を活かし、設計荷重の二倍……すなわち安全率二・〇を維持するようマナの出力を固定ホールドしている。君のような泥臭い石積みで川を仕切る手間など不要だ。これこそが、理論と強度が両立した『輝かしい(グランツ)』解答だよ」


 トーリエの言葉通り、確かに彼は成長している。

 かつてのように装飾性だけに囚われず、物理的な水圧を算定し、それに耐えうるだけの魔力出力を計算に組み込んでいる。だが、僕の右目の測量用モノクルが捉えた景色は、彼の「完璧な数式」とは程遠い、破滅へのカウントダウンだ。


「……あー、トーリエ士官。確かに障壁の強度は素晴らしいです。でも、土の『透水性』……つまり、川底の砂利の隙間から水が回り込むメカニズムは計算に入っていますか?」


「ふん、重箱の隅を突くような真似を。障壁の底面は川底に密着している。横からの水は一滴も通さない設計だ。これ以上の美しさがどこにある?」


 トーリエは僕の具申を「農学専攻の雑用係が知った風な口を出すな」と一蹴し、工兵たちに障壁内部での掘削を命じる。

 だが、障壁で水を押し退けて水位を下げれば下げるほど、障壁の外側(高い水位)と内側(低い水位)の間に、凄まじい水頭差(位置エネルギー差)が生じる。


 僕の脳内にある「現場監督」のスイッチが、カチリと切り替わる。




「……いいですか、トーリエ士官。あなたは『壁』を強くしましたが、壁の下を通る水の執念を侮っています。モノクル越しに見えるこの地中のベクトル……水圧が逃げ場を失って、障壁の真下の砂利を押し上げようとしています。このまま掘り続ければ、川底が踊りだします。ボイリング現象による地盤の噴発です!」


「何を馬鹿な。私の障壁は完璧だ。泥まみれの君には、この理論的な輝きが見えな――」

 トーリエが言いかけたその時、障壁内部の乾いていたはずの川底から、ボコボコと不気味な気泡が湧き出す。


 次の瞬間、激しい音と共に川底の砂利が噴水のように噴き上がり、トーリエが自慢した「安全率二・〇」の障壁を、文字通り下からブチ抜く。


「な、なんだ!?水が……下から湧いてくるだと!?私の計算に……そんな汚い泥水の噴出など入っていない!」


「あーもう、汚れた障壁の後始末まで()の仕事ですか!トーリエ士官、あなたが設計した『綺麗な立方体』は、川底の地盤強度を無視したただの重しでしかありません。安全第一、地圧と水圧を工学的に制御コントロールする、本物の『箱』を構築します!」


 ――――囲い堰(かこいぜき)、別名コファーダム。

 その歴史は古く、古代エジプトやローマ時代の木製工法から始まり、現代の鋼製工法へと進化を遂げている。

 古代・中世、木製や土製工法の時代では、橋脚や港湾施設の建設に使われてきた。丸太を打ち込み、隙間に粘土や動物の毛などを詰めて防水する原始的な方法が主流だった。

 産業革命以降は、蒸気ポンプの登場により、大量の水を連続して排出できるようになり、囲い堰の規模が拡大した。ケーソン工法(コンクリートや鋼鉄でできた巨大な箱(ケーソン)を地上や水上で製作し、内部を掘削しながら地中深く沈めて、橋やビルの基礎、あるいは地下構造物を構築する工法)などの新しい基礎技術もこの時代に誕生している。

 現代では、鋼鉄製の板(鋼矢板)を連続して打ち込む「鋼矢板囲い堰」や、大規模なコンクリートケーソンを沈める工法が主流となり、ダムや巨大な橋梁建設を支えている――――



 ()は泥水を吐き出す障壁の残骸を指差し、バルカとボルドーさんに鋭い指示を飛ばす。

「バルカさん、シギュン様が切り出した規格石材を二重に並べてください!その隙間に、ガリクが集めてくれた粘土シルトを叩き込んでください!造るのは仮設締切コファーダム。力で水を押し返すんじゃない、物理的な壁で水を『隔離』する仕組みです!」


「おうよ、監督!泥遊びなら任せとけ!」


「……なるほど、二重の壁で止水壁を造るってわけか。曹長、石の隙間は()が完璧に埋めてやるぜ」

 ボルドーさんが手慣れた手つきで石を積み、バルカが巨力で粘土を充填する。工兵隊が()の指示に従って、マナをその粘土層に流し込み、土質変換によって粒子間の隙間を極限まで埋め、水密性を高める『シール処理』を施していく。


「シギュン様、囲いの中の排水をお願いします。ただし、一気に抜いてはいけません。外側との水圧差を見極めながら排水する必要があるので、()の指示に合わせて少しずつお願いします。」


「心得た。指示を頼むぞ、ドルト」

 シギュン様の風魔法が、コファーダム内部の水を優しく、だが確実に外へと汲み出していく。


 水位が下がるにつれ、二重壁には凄まじい外圧がかかり始めるが、()が算定した粘土の粘着力と石積みの摩擦力が、その巨大なエネルギーをがっしりと受け止めていた。



「……よし、水位低下完了。ここからが本当の『水中工事』だ」

 露出した川底は、先ほどのようなボイリング(地盤の噴発)管理しているからだ。


「ボルドーさん、底面の支持層を焼き固めます!配合比は、水中でも分離しない高粘度の水中コンクリート仕様です。工兵隊がマナで結晶化のメカニズムを制御しますので、一気に橋脚の基礎を打設しましょう!」


「へっ、この泥の中で『岩』を打つのか。面白えじゃねえか、監督!」

 ボルドーさんが練り上げた特殊なコンクリートを、()が魔照機で誘導しながら川底の支持基盤へと流し込む。


 モノクル越しに見えるのは、壁の外側で荒れ狂う水圧と、内側で静かに、だが強固に固まっていく人工の岩の対比だ。()は壁の微細な変位をミリ単位で監視し、歪みが出そうな箇所にはシギュン様の風圧でカウンターを当てるよう指示コントロールを出し続ける。


 地圧、水圧、そして魔力の均衡。その静かなる戦いの果てに、大河の底にはびくともしない巨大な橋脚の基礎が、その姿を現した。


「……ふぅ。水中基礎、打設完了。安全確認、よし。とりあえず、橋脚の基礎が流される心配はなくなりましたよ」

 泥だらけの軍服を払い、()は完成した基礎の上に腰を下ろして大きくため息をつく。


 コファダムの外を流れる水の流れを眺めながら、トーリエ・フォン・グランツが、信じられないものを見るような顔で歩み寄ってきた。

「……信じられん。あんな泥の壁と粘土だけで、この大河の圧力を抑え込むとは。だがドルト曹長、やはりこの石の塊は……あまりに無骨で、美しさに欠けるとは思わないか?」


 僕はモノクルを外し、汚れたレンズを無造作に拭きながら、エリート士官を冷徹に射抜く。

「トーリエ士官。本当に価値のある基礎は、水の下に隠れて見えなくなるもんです。あなたが自慢する『輝かしい(グランツ)』橋の上部構造も、この泥臭い土台がなきゃ、ただの巨大な漂流物として下流の村を潰す凶器に変わるんですよ」


「漂流物……だと……?」


「初期投資を惜しみ、見栄えを優先して維持管理費を増大させるなんてありえません。さっさと橋桁の揚重(吊り上げ)に移りますよ」


 僕のぼやきを合図に、バルカたちが次の資材を運び込み始める。未開の地を貫く物流の大動脈。その「見えない土台」を築き上げた僕の背中を、シギュン様が満足そうな視線で見つめていた。


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