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第21話:分水と排砂(デシルティング)

 先遣隊という限られた人数で構築した「魚嘴(ぎょし)(三日月状の中州)」は、期待通りに機能している。雨季の終わりに近づいたとはいえ、まだまだ山脈に降り注ぐ雨による表面流や中間流を集めて流れる暴れ川の豊富な水量は内江(取水用予定の支流)と外江(本流)へ美しく分かたれていた。


 拠点への給水は安定したものの、さらなる下流へ安定した水の供給を目的としていた治水工事は、先遣隊では到底担いきれない大仕事だったので、計画的に放置していたのだ。


 安定した水の供給と水害の排除。それこそが僕がこの荒野での文明の黎明を支えるインフラの第一歩と考えていた。



「……ふざけるのも大概にしてください、ドルト曹長。あなたの計画書、確認しましたよ」

 僕の目の前に、会計局のエルナ監査官が鬼のような形相で書類を叩きつける。


「山を一つ切り裂く? そのために必要な資材と日数を計算してみなさい。中隊の全マナを注ぎ込んでも、完成まで数年かかるのよ。都市建設すら始まっていないこの段階で、そんな『冒険』に予算を割けるわけがないでしょう!」

 山を一つ切り裂くという僕の計画に対し、会計局のエルナ監査官が鋭い声を張り上げた。彼女の手元にある算盤が、この大工事に必要な膨大な工期と資材を「明白な過剰投資」だと弾き出しているのだ。


 僕の計画では内江のカーブの終わりに取水口を設けて、本流の流量を減らし、安定した水の供給を目指す予定だった。しかし、そのために必要な工事は目の前の岩山を削るという途方もないように見えるものなのだ。

 それでも、勝算があった僕は凡そ半年で開削可能であると算段を立て、計画書にはその旨を記していた。

 故郷からとんぼ返りした僕の王都での一週間を思い出すと、このあんまりな言われようには頭が血が上り始めたところで()()()()が入ってしまった。


 ――――火焼水澆法かしょうすいぎょうほう

 絶対の防御力を誇る相手に高熱を浴びせかけたのちに急冷する。熱膨張と収縮の差で相手の防御力を奪うアレだ。

 元々は中国古代の採石職人や鉱山労働者が、火薬を使わずに硬い岩石を砕くために用いていた原始的な物理工法で、紀元前3世紀頃、蜀の地を治めていた李冰(りひょう)は岷江の流れを成都平原へ引き込むため、玉塁山(ぎょくるいさん)という岩山を人力とこの工法で開削した。

 当時は薪を積み上げて岩が赤熱するまで加熱し、冷水をかけて急激に冷却していたようだ。急激な温度変化(熱膨張から急収縮)によって岩盤に無数の亀裂が入り、もろくなった岩盤を人力で鑿や槌を使って叩き落としていた――――。


 そう、この世界には鑿と槌に加えて、魔法と重機もある。それを組み合わせて使えば、ごく短期に開削できると踏んでいたのだ。


「いいですか、エルナさん、無理に掘るから工期が伸びるんです。岩石の性質を解析すれば、山は勝手に割れてくれますよ。……シギュン様、ルミエさん、出番ですよ」


「……え?」「……は?」

 意味が分からないといったエルナさんの返事と、突然呼ばれたことに驚いたルミエさんの間の抜けた返事が重なる。


「岩石力学を応用した熱応力破砕――熱による膨張と、冷気による急激な収縮。この極端な温度差を利用して岩を割るんですよ。

 ……ルミエさん、その火力を一点に集中させてください。岩内部の熱膨張を最大化させるんです。シギュン様、加熱が終わった瞬間に、極低温の風を叩きつけて急冷をお願いします」


「私の炎を岩盤浴に使う気!? ……でも、やるしかないわね!」

「心得た。貴公の算定したラインに沿って、熱の歪みを引き裂いてみせよう」


 ルミエの放つ青白い炎が岩を白熱させ、直後にシギュン様の冷気が襲いかかる。急激な温度変化による熱応力が発生し、岩盤内部には無数のマイクロクラックが走った。

 巨大な悲鳴のような音と共に、計算通りのラインで岩が脆く砕け始める。


「見てください、エルナさん。これが設計の力です。力任せに削るのではなく、物理的なメカニズムを利用して最短工期で道を造る。不本意ですが、山には少しだけ退いてもらいますよ」


 。。。。。。


 王都の才女に中隊の全力を掛けて数年と試算された工事は半年ほどで完了した。


 都江堰を手掛けた李冰(りひょう)が数万人を動員して数年の歳月をかけた工事が、規模が小さいとはいえ凡そ250名の中隊がだ。これは重機(ゴーレム)と魔法の力と工学の力が生み出した革新だった。

 住民はいない(住民説明不要)既存インフラ(既設物損壊)なし、多少の怪我は自己責任(事故扱いの報告不要)3勤1休(1週間が8日)という現代では考えられない条件もあったおかげでもあるが、僕たちは山を切り崩し、内江に対しても細い水路を造成することができたのだ。


 この水路の入り口、取水口(宝瓶口もどき)に十分な水嵩が確保されれば、掘削した水路を通って暴れ川の平野部へ流量は一定に制限される。だが、十分な水嵩が無ければ平野部の水路は枯れ、逆に洪水期にはボトルネックのように細くなった取水口が壁となり、行き場を失った水が内江に溢れ、拠点を飲み込むリスクが生じる。

 ()は内江(支流)が外江(本流)に合流する入り口、支流が大きく湾曲する地点の対岸を指差し、ボルドーさんに次なる指示を出す。


「ボルドーさん、ここに溢流堤を築きます。堤の高さは内江の底から2m程度にしてください」


「……ほう、もうじき乾季も終わり、本格的な雨季になれば高さが2mを超えることもあるだろう。また監督の妙な理屈があるんだな?」

 ボルドーさんが不敵に笑い、手慣れた手つきで石材の配置を指示し始める。()はモノクルを調整し、川のカーブによって生じる遠心力のベクトルを算定する。


「いいですか。水がこの曲がり角を通過する際、遠心力によって重い土砂は外側へと押しやられます。さらに、()が設計したこの勾配が『旋回流』を生み出し、底に沈んだ砂礫を物理的に巻き上げて、堤を越えて本流へと自動的に放り出す仕組みです。力で泥を掻き出すのではなく、流体制御による自浄メカニズム……これこそが、維持管理費(LCC)最小化の解答ですよ」

 ボルドーさんの指揮の下、摩耗に強い硬質な石材が隙間なく組み上げられていく。シギュン様が風魔法で水面の抵抗を精密にコントローし、設計通りの流速を維持する。バルカが巨大な蛇籠を積み上げ、その隙間を粘土で埋めていく。


「工期が惜しいので、一気に仕上げますよ!」

 石工の熟練技術、重機代わりの風魔法、そして現代の流体力学。それらが現場で一つに混ざり合い、低く、だが極めて強固な溢流堤が支流と本流の境界にその姿を現した。


 工事完了から数日後、乾季の終わりを告げるような長雨が東掩蓋連峰を襲った。雨は止む気配もなく連日降り続き、濁流は凄まじい轟音を立てて「魚嘴(ぎょし)」に激突し、大量の土砂を巻き込みながら内江へと流れ込んでくる。


 その様子を高台から眺めていたハンスが、何やら商機を見出したような笑みを浮かべて僕に歩み寄る。

「ドルト曹長、この堆積は放置すれば水害の元です。どうです、浚渫作業を私の商会で請け負いましょうか? 毎年維持管理予算さえいただければうちの商会から専属の人員を宛がうことも可能ですよ」


 だが、僕は右目のモノクルを調整し、濁流の中に渦巻くベクトルの変化を静かに見守る。

「ハンスさん、残念ですがその予算は不要です。いいですか、入り口が狭いからこそ、エネルギーの逃げ場が必要なんです。それが、この溢流堤(飛沙堰もどき)の真価なんですよ」


 火焼水澆法によって開削した新たな水路の取水量を物理的に制限(ボトルネック化)したことで、内江の水位は急激に上昇する。行き場を失った余剰水は、内江の大きな湾曲に沿って強烈な遠心力を受け、水流の外側――すなわち低い堤である溢流堤の方へと押し寄せられた。


 次の瞬間、飛沙堰を越えて水が外江へと溢れ出す。その激しい越流と共に、底面の勾配によって意図的に発生させた螺旋流(二次流)が、川底に沈もうとする重い砂礫を力強く巻き上げ、堤の向こう側へと次々に放り出していった。


「……見てください。泥をさらう必要はありません。自然のエネルギーを正しくコントロールすれば、水は勝手に自分で掃除してくれるんです」

 魔法で泥を掻き出すのではない。物理法則という自浄メカニズムが、濁流の中から砂利だけを鮮やかに選別し、排出していく。


 取水口を通り抜けて開拓予定地へと向かう水は、あれほど濁っていたのが嘘のように澄み渡り、一定の流量を保って静かに流れていった。


 これこそが、都江堰を築いた先人たちが遺した、大自然の暴力を「自動的な管理」へと変える知恵の結晶といえる。



「自動洗浄システム」が稼働し、内江の透き通った水が取水口へと吸い込まれていくのを、僕は満足げに眺める。


 だが、ここで作業を終わらせるわけにはいかない。僕はボルドーさんや工兵たち、そしてエルナ監査官を集め、都江堰を築いた先人が遺した鉄則を説く。


「いいですか。どれほど優れたメカニズムを構築しても、自然の堆積力を完全にゼロにすることは不可能です。だからこそ、先人は『深淘灘、低作堰(川底を深く掘り、堤は低く保て)』という教訓を遺しました。人間が定期的にこの川と向き合い、手を入れる。その機会を奪わないことこそが、インフラを100年持続させるための真の知恵なんですよ」

 僕はハンスさんに、清掃作業を単なる「苦役」ではなく、土地の神に感謝を捧げる「浚渫しゅんせつの祭り」として文化に組み込むことを提案した。

 インフラの維持管理を人々の誇りに変える。それこそが、知恵を拝借した僕が最も敬意を払うべき管理の形だった。


 祭りの予行演習として、僕たちは内江の底から最初の泥を掻き出した。 その泥をモノクルで解析した瞬間、僕の視界には心が躍るような数値が現れる。


(……あー、やっぱり。東掩蓋連峰の鉱山地帯から流れ出たこの泥、リンやカリウム、微量要素が大量に含まれてる。実家の畑に撒けば、一瞬で『フカフカ』の特級農地に化けるぞ……!)


 僕は独りにやけそうになる頬を抑えて、エルナさんに極めて丁寧な口調で処分の申し出を行う。


「エルナさん。この泥は単なる工事の廃棄物、いわばゴミです。幸い、僕の実家は農家ですので、大変不本意ではありますが、僕が責任を持って引き取らせていただきますよ。運搬費は自腹で工面しますから……」

「……待ちなさい、ドルト曹長。私の目の前にある光景は、大きな金の卵を産むガチョウではないかと疑っています」

 エルナが冷徹な笑みを浮かべ、泥の詰まった瓶を光にかざす。


「この泥に含まれる豊富なミネラル……これを『王国認定肥料』として周辺の開拓地へ売却すれば、毎年の維持管理費を賄うどころか、国庫に莫大な利益をもたらす新たな資源になります。この浚渫作業、今日から『収益を生む国家事業』として厳格に管理しますね」

「……なっ、僕のフカフカ計画が……!」


 結局、僕が狙っていた「最高級の土」は、王国の財産として厳重に管理されることになった。 不本意だ、あまりに不本意すぎる。僕が一番、この泥の価値を算定できていたはずなのに。


 澄み渡った水が流れる取水口に、僕の嘆きは虚しくも流されていった。

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