第18話:山岳トンネルと熱地獄
僕たちが架けた「空を征く城塞」――カバードブリッジを最後の一兵が渡りきった時、中隊二百五十名からは地響きのような歓声が上がった。だが、物流の血脈が通った喜びも束の間、僕の目の前には、文字通り「絶望」が壁となって立ちはだかっていた。
「……あー、もう。橋を渡ったら今度はこれですか。不本意だ、あまりに不本意すぎる……」
僕は右目にパチリと自作モノクルを嵌め直し、天を突くような垂直の岩壁を見上げる。
東掩蓋連峰の本丸――通称「蓋」。先遣隊は細い獣道を這うようにして越えたらしいが、二百五十名の中隊と、物資を満載した輜重隊の大型ゴーレムがこの絶壁を登るなど、設計段階で「不合格」を出すレベルの無理難題だ。
「ドルト。この壁を越えるには、私の風で一人ずつ吊り上げるか?十年はかかりそうだがな」
シギュン様が銀色の鎧を鳴らし、面白そうに僕の横顔を覗き込む。
「十年も待っていたら、王国の食糧事情が破綻しますよ。……それに、不本意ですが、この山は登る前から『拒絶』の声を上げています」
僕は地面に跪き、自身の僅かなマナを媒質として岩盤に流し込む。
非破壊検査的センスが捉えたのは、岩盤の奥底で渦巻く「熱」と、高圧で閉じ込められた「地下水の咆哮」だ。
「よう坊主、どうした?この辺りの岩は硬いぜ。俺の腕でも、削るのに一苦労しそうだ」
巨大な東掩蓋杉を担いだバルカが、額の汗を拭いながら声をかける。その隣には、王都から派遣された古参石工のボルドーさんが、怪訝そうな顔で立っていた。
「……ガキの監督さんよ。この山はな、石工の間じゃ『生き腐れの山』って呼ばれてるんだ。表面は立派だが、中身は地熱と湧水でドロドロの熱地獄さ。登るのも危ねえが、削りゃあお湯が噴き出すぜ」
ボルドーさんの言葉は、僕のモノクルが導き出した数値と完全に一致していた。
そこで、一行の案内人として雇われた先住狩猟民の少年、カイトが静かに口を開く。
「……山『呼吸』してる。壁の裏側、風、吸い込まれる場所ある。そこ、山の涙一番少ない」
カイトが指し示したのは、断崖の基部にわずかに口を開けた、深い節理の重なりだった。
僕の脳内にある「現場監督」のスイッチが切り替わる。
「……なるほど。登るのが無理で、削るのが地獄なら、選択肢は一つしかない。不本意ですが、最短距離をブチ抜きます」
――――1960年代初頭概念が提唱され、1964年の国際岩盤力学会議にて体系化された新オーストリアトンネル工法(NATM工法)。
『地山(周囲の岩盤や土壌)そのものが持つ自立・保持能力を最大限に活用する』という思想に基づいた山岳トンネル掘削工法だ。
工法としての施工の流れは、まず、トンネルの最先端(切羽)を爆破や重機で掘削する。次に掘削直後のむき出しの壁面に、速やかにコンクリートを吹き付ける(吹き付けコンクリート)。続いて岩盤の奥深くまでボルトを打ち込み、地山と一体化させる(ロックボルト)。さらにアーチ状の鋼製の支えを設置し、さらに強固にする(鋼製支保工)といった流れだ。その後、トンネル壁面にセンサーを設置し、地盤の微細な動き(変位)を24時間体制でリアルタイムに計測管理し、地山が安定したことを確認してから、最終的な仕上げ(二次覆工コンクリート)を施工する。
この工法のメリットは、従来の工法(矢板工法など)のように大量の木材や鋼材でトンネル内部を力任せに支える必要がないため、資材を削減でき、広い作業空間を確保できるため大型重機を導入しやすく、高速掘削が可能であること。掘削後すぐにコンクリートを吹き付けて地山の緩みを防ぐため、崩落のリスクが低減されること。また、計測データを基に「いま山がどれくらい動いているか」を数値化できるため、地質の変化に応じた柔軟な補強(ロックボルトの追加など)が行えることだ。
ただし、この工法は軟弱地盤や大量の湧水がある地山に弱いのだ。
地山そのものの強度を頼りにするため、サラサラの砂質土やドロドロの軟弱地盤、あるいは高圧の地下水が激しく湧き出る場所(破砕帯など)では、コンクリートが定着しなかったりロックボルトが効かなかったりする。そのため、事前の水抜きや「補助工法(薬液注入や地盤凍結など)」の併用が必要となり、コストや工期が跳ね上がる。
また、過度な負荷(土圧)がかかったり、施工の継ぎ目(目地)の処理が甘かったり、計測データの見落としがあると局所的な弱点から一気に全体が崩れる「進行性崩壊」を引き起こすリスクがある。さらに、トンネル内に水を集めて抜く排水型の構造をとることが多いため、トンネル周辺の地下水位が下がり、地上の井戸枯れや地盤沈下といった環境問題を引き起こすこともあるのだ――――
僕は立ち上がり、魔照機のレーザーを垂直の岩壁、その一点に照射した。
「いいですか皆さん。この壁を迂回して安全マージンを削るより、山そのものを『道』に変える方が、工期を守ることになります。……シギュン様、ボルドーさん。これより、山岳トンネル掘削を開始します。工法は……不本意ですが、現場の状況に合わせて壁を即座に焼き固める工法で行きますよ!」
「トンネルだと!?穴を掘ったら中から地熱で蒸し焼きにされるだけだぞ!」
ボルドーさんの怒鳴り声を、俺は冷静に撥ね退ける。
「熱いなら、熱の『勾配』を味方につければいい。安全第一、僕の計算に狂いがあるなら、今すぐ技術軍曹のバッジを返上します。……シギュン様、まずはあのレーザーのラインに沿って、岩盤への穿孔をお願いします。山に風の道を作って、呼吸を整えてもらうんです!」
僕の指示に、シギュン様が不敵な笑みを浮かべて剣を抜いた。
カイトの言った山の呼吸の表現を借り、先行ボアホールによって廃熱と減圧を行うのだ。
「……よし、全切羽、配置についてください。これより『東掩蓋の蓋』をブチ抜く掘削を開始します。工期が惜しいんで、一秒の停滞も許しませんよ!」
僕の号令とともに、漆黒の岩壁に魔照機の赤いラインが走る。
僕が導入するのは、現代土木の標準でありながらこの世界では未知の技術――NATM工法だ。力任せに支柱で支えるんじゃない。掘削直後の壁面に工兵隊が土魔法で「吹き付けコンクリート」を施し、岩盤そのものの自立能力を活用する「理」の工法だ。
「シギュン様、あの赤いラインの内側をカットお願いします! ボルドーさん、切り口の崩落(肌落ち)に目を光らせてください!」
「へっ、ガキの監督さんよ。口先だけじゃねえところを見せてもらうぜ」
ボルドーさんが重い槌を構え、シギュン様の風魔法が岩を削り取る。直後に工兵隊が岩肌を焼き固め、ボルトを打ち込む。掘削は驚異的なスピードで進んだ。だが、山の中腹を数百メートルほど貫いたところで、現場の空気が一変する。
「……あー、やっぱり来たか。地温勾配による熱地獄だ」
坑内の気温が急上昇し、湿度は限界突破。噴き出す地下水が熱湯に変わり、坑内は巨大な蒸し風呂と化した。
工兵たちが次々と膝をつき、輜重ゴーレムの関節からも熱気が立ち昇る。
「監督、これ以上は無理だ! 根性でどうにかなる暑さじゃねえ!」
バルカが悲鳴を上げる。
ボルドーさんも真っ赤な顔で
「……おいガキ、この山は『怒って』やがる。これ以上の深追いは全滅だぞ」
と、僕の肩を掴んだ。
「ボルドーさん、根性も怒りも関係ありません。モノクル越しに見えるこの数値……WBGT(暑さ指数)は既に危険域です」
僕はモノクルを弾き、坑内に滞留する熱気のベクトルを可視化する。
「熱いなら、外へ追い出すだけだ。……ルミエさん! 入口に立って、あえて坑外に向かって全力で火を放ってください!」
「はあ!? この暑い中、さらに火を焚けっていうの!?」
ルミエが憤慨するが、僕は鋭い目つきで彼女を射抜く。
「逆ですよ。入口の空気を熱して上昇気流を作る。そうすれば坑内の気圧が下がり、奥に溜まった熱気が吸い出される。スタック効果による強制排熱です! さらに、カイトが教えてくれた『山の隙間』を吸気口として同期させれば、山が勝手に冷たい風を送り込んでくれる!」
ルミエが覚悟を決めて炎を放つ。
次の瞬間、坑内の奥底から「ゴオォッ」という音を立てて熱風が吸い出され、入れ替わるように岩の隙間からひんやりとした山の空気が流れ込んできた。
「……風が、吹いてきた……」
ボルドーさんが呆然と呟き、引き締まった自分の腕を見つめる。さっきまでの粘つく熱気は消え、作業環境は劇的に改善された。
「……ガキの監督さん。いや、ドルト曹長。あんたの言う『数値』ってのは、山の機嫌よりよっぽど信用できるらしいな」
ボルドーさんが、泥と汗にまみれた大きな手で、僕の細い手をガッシリと握った。
「不本意ですよ。僕はただ、暑苦しいおじさんたちと蒸し風呂に入るのが嫌だっただけですから」
僕は軽く鼻を鳴らし、再びモノクルを直す。
「さあ、安全確認よし! 熱が引いているうちに一気に貫通させますよ。工期が惜しいんでね!」
職人と技術者が一つになった瞬間だった。不本意ながら、このトンネルの完成は、僕の計算より数日早まりそうだ。




