第14話:仮設キャンプと仮設排水管理(人手も技術も足りない)
二週間に及ぶ精密測量を終えて僕の手元に残ったのは、この東掩蓋連峰の麓を三次元で捉えた正確な図面と、それ以上に重たい懸念事項だった。
「図面を引けば引くほど、足元のデタラメさが浮き彫りになるなんて……。不本意だ、あまりに不本意すぎる……」
僕はゲルの隅で、自作のモノクルを指先でいじりながら独り言を漏らす。測量によって、この巨大な岩の「蓋」の下には、想像を絶する数の地中空洞が網目状に広がっていることが判明した。
僕の微々たる魔力量では、これらすべてを土魔法で埋め立てて支持基盤を構築するなんて、逆立ちしても不可能だ。先遣隊の人員で物理的に埋めるのも現実的ではない。かといって放置すれば、いずれ地盤は自重と浸食で陥没し、僕たちが築こうとしている拠点は「蓋」ごと地の底へ消えるだろう。
(埋めるのも活用するのも、今はまだリスクが高すぎます。まずは、地表の『水』を地中に一滴も漏らさないよう完璧に隔離しなきゃいけないんだ)
翌朝、僕の悩みはより現実的な不快感として目の前に現れた。
オーバーハングのせいで陽が射さないキャンプ地は不気味な朝霧に包まれ、鼻を突くような泥の臭いが滞留している。
「ドルトさん……。兵士たちが数名、腹痛と足の腫れを訴えています。この湿気、どうにかなりませんか」
伝令兵のガリクが、泥にまみれたブーツを重そうに引きずりながらやってきた。
兵士たちが腹痛や足の腫れを訴え始めたのは、特定箇所からの汚れだけでなく、キャンプ全体を洗って流れる「初期雨水」が汚染源となるノンポイントソース汚染のせいだ。
モノクル越しに地面をスキャンしてみれば、昨夜の雨が地中の空洞に染み込み、土粒子の摩擦が失われつつある鈍い反響が返ってくる。
(病気が出る前に、汚水が地中に浸透して足元から抜かれますよ。安全第一、まずはこの不快な水を『定義』し直します!)
脳内にある「現場監督」のスイッチが、音を立てて切り替わる。
――――1858年夏、ロンドンの大悪臭
産業革命による人口急増と水洗トイレの普及により、未処理の汚水がすべてテムズ川に流れ込み、街は悪臭と疫病に覆われた。この危機的状況を打開するため、ジョセフ・バザルゲットは近代下水道システムを設計する。
テムズ川と平行に走る巨大なトンネル(インターセプター・セメント)を張り巡らせ、雨水と汚水を一つの管で処理する画期的なシステムを採用し、汚水を川ではなく下流の処理場へと直接導いた。そして、将来の人口増加を予測し、パイプの直径は想定される最大容量を余裕で超えるよう余裕を持たせて設計は現在のロンドンの生活を支える現役のシステムとして機能し続けている――――
「いいですか皆さん、集まってください! 泥の中で寝るのは豚だけで十分です。僕たちは『安全第一』の技術者だ!」
僕の剣幕に、バルカやガリク、そして先遣隊の工兵たちが背筋を伸ばす。
「水は停滞すれば毒ですが、正しく流せば地盤を守る資産になります。汚水と雨水をどう分けるか、合流式か分流式かなんて議論をしている時間はありません。だが、この地盤を守るためには、汚水を一箇所に『隔離』するのが最優先です。下流に巨大な『貯留池』を造り、そこで汚れを沈殿・浄化させます」
本格的な地下下水道やポルトランドセメント管のようなものの製造は、今のリソースでは不可能だ。僕は今の体制でできる「貯留池による初期雨水の捕捉」に全振りすることを決定する。
「シギュン様、あなたの強大なマナを、今日は『精密掘削機』としてお借りしたいんです」
銀色の鎧を纏ったシギュン様が、面白そうに目を細めて歩み寄ってきた。
「私が掘削機か。貴公の指示なら、断る理由はないな。何をすればいい?」
「あの戦場での呪い払いと一緒です。改良版魔照機が描く赤いレーザーのラインに沿って、深さ三十センチのV字溝を刻んでください。出力は三パーセントで十分です。僕の魔力じゃ、あなたのフルパワーの『後片付け』まで手が回りませんからね」
シギュン様の風魔法が正確に地表を削り、工兵隊がその溝の壁面を自身の土魔法で薄くガラス化させて防水コーティングを施していく。
メインの工事は、下流に設けた「貯留池」だ。
工兵とは言え、やはり魔法に関する情報の少ない田舎出の僕とは比べ物にならないほどに強力で、みるみるうちに池の底面をシールしていく。僕が2時間ほどで魔力切れを起こしかけるころには地中空洞への漏水を完全に遮断することができた。
数時間後、停滞していたドス黒い泥水が、僕が描いた「道」を通ってスルスルと貯留地へ流れ出し始める。地面は急速に乾燥し、不快な臭気も霧散していく。
「……ふぅ。安全確認、よし。これでやっと、人心地つけますよ」
泥を払い、僕は大きくため息をついた。
整然と並ぶ排水システムと僕を交互に見つめていたシギュン様が、不敵に微笑んで僕の肩に手を置く。
「貯留地のみの対応と言いつつ、貴公の図面には、この先の『地下路』の線が既に引いてあるな? 安心するといい、ドルト。貴公が取り組むべき現場は山ほどある。そのすべてを貴公が定義するまで、私が隣でマナを貸してやる。貴公が望む、安全な場所にするために、な」
それは、僕の「技術者としてのこだわり」を逆手に取った、逃げ場のない包囲網のように感じられた。
「……っ。不本意です! 僕はただ、次の大雨で僕のゲルが沈まないようにしただけなんです!」
僕の絶叫が岩壁に反響する中、どこか遠くから、激しい水の轟が地響きを伴って聞こえてきた。




