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第2話:大切な存在

春の空気が頬を撫でる。布団のような温かさが体を包みこむ。庭に植えられた木々の色彩を陽光が鮮明にし、澄んだ空気がすっと、肺に入り込んできた。それに少し気持ちが落ち着き、ふっと息を吐いた。


まるで、入学する今日という日を祝福していくれているようで、鼓動が早くなり、気分が上がっていくのを感じた。


(涼花はどう思っているのかな?)


なんて気になってふと、左隣に目をやる。そこには、俺の制服をじっと見つめながら何やら考え込んでいる涼花の姿が目に入る。


「……なんか、不思議な気分だなぁ。こうして隣あって、一緒に登校するのに、今日から違う学校に通うんだよね」


俺の方を向いてはいるものの、丁度胸元あたりに視線があり、焦点は合っていない。どこか、淡々とした口調で、ふとした疑問が漏れ出たことが分かる。それでも、少し寂し気に、目元が落ちこんでいるように見えた。


「確かに不思議な気分だな。1ヵ月前までは一緒に登校して、二人で話しながら帰ってた。それが今日から無くなるんだもんな」


言葉にしてようやく実感というものが湧いてくる。春休み中も殆ど一緒にいる事が多くて、夏休みの延長線みたいな気分だった。


だから、進学する実感というのがまだ湧いていない。きっと、新しい学校に、新品の制服で足を踏み入れるまでは実感が湧かないと思う。いまだって、いつも通りの通学路を歩いていて、三年間欠かさずに通っていたのだから。少し変な感じもする。


俺の表情を涼花が覗き込みながら、少し瞳を震わせる。


「ねぇ、お兄ちゃんも、少しくらい……寂しいって思ってくれたりするの?」


小首を傾げながら、俺の瞳を真っ直ぐに捉える義妹は少し緊張した様子で尋ねてくる。それに、深く頷いて、明るい口調で返す。自信に残っている寂しさを振り払うように。


「すっっごく、寂しいよ。涼花の姿が見られなくなるのが嫌だし、学校の連中が、涼花にちょっかいかけないかも心配だ」


これまでの中学生時代を振り返り、ふとそんな言葉が漏れる。というのもお人形のような可愛らしさを持つ涼花はかなりの男性からモテてきたのだ。それこそ、殆どの同級生が一度は告白をするくらいに。


だからこそ、隠し撮りをされることなんて日常茶飯事で、中にはストーカー的な行為をする人までいた。そんな義妹の前に立ちはだかっていた俺は、”番人”もしくは”シスコン”という称号を得ていたっけ……。なんて苦笑する。


だからこそ、また厄介ごとに巻き込まれないか心配なのだ。なにより、男性が苦手と明言している義妹に、たいして親しくもないクラスメイトから、また下心丸出しで鼻の下を伸ばしながら、会話する姿を想像するだけで、少しだけムッとしたように頬を膨らませてしまう。


そんな俺の姿に、涼花が楽しそうに笑みを零した。そうして、弾むような声で俺の肩に寄りかかってくる。


「……ふふっ、安心してよ、お兄ちゃん。私が信頼している人は、お兄ちゃんだけだし。あしらうだけなら、私一人でも対処できるから」


なんて朗らかに笑っている彼女に釣られて、俺も笑みが零れる。それでも、


「……本当に心配なんだって」


なんて、気持ちが漏れずにはいられなかった。そんな俺に微笑んだままの涼花はやっぱり優しいなと感じる。


「でも、ちゃんとお兄ちゃんが後の事を託した人がいるし、それに私のことを助けてくれる友人も沢山いる。そのきっけをお兄ちゃんが作ってくれた。少しは自分を信頼してあげて」


真っ直ぐに目を見つめながら見つめる涼花の視線に押されて、俺は頷く。


(……そうだな。俺は彼と彼女達を信じている)


でも、きっかけはきっと俺だけじゃないんだよ、涼花。涼花が常に友人が困っていたら、嫌な顔一つせず、手伝う姿に。そっと力を貸すように寄り添う対応にみんな惚れているんだよ。


まぁ、だからこそ、男子はその優しい笑顔を自分にも向けて欲しいと思うんだろうけどね……。


ほんと、涼花恋愛に興味がないってはっきり明言して、勘違いさせないよう距離感を取っているのに、それでも告白されるのは義妹が魅力的すぎるからだろう。そんな、みんなに受け容れられることを嬉しくも思いつつ、やっぱりムッとしてしまう。


(はぁ~、マジで心配すぎる……)


涼花はそんな俺の様子を微笑みながら見つめていた。少し楽しそうに、手に持っている鞄を揺らしながら歩いてる。


こんな風に俺の前では少し無防備な姿を見せてくれるのは、これまで積み上げてきた行動の結果で。だからこそ、そんな義妹の信頼に俺は応え続けたいのだ。


(うん。……いつまでも、頼られる兄でいないとな)


なんて改めて、気持ちを再確認していると少し前を歩いていた涼花が急に振り返って尋ねてくる。


「逆に、お兄ちゃんはどうなの?中学の時も、結構告白されてたし、気になる人とか、いないの?」


と先程の涼花とは打って変わって、少し緊張した様子で尋ねてくる。手をもじもじと絡ませながら、視線を俺に合わせずに少し俯いている。その様子に、こけないかと心配になりつつ答える。


「う~ん、今はそういうの興味ないかな」

「そうなの?」


涼花が俺の目を見て、不思議そうに首を傾げる。


「うん」


大きく頷くけれど、涼花はどこか納得できていないようだった。視線少し下げて、息を吐いてから俺を見つめ直す。


「……でも、一番最後に告白してきた人。あの人は結構印象に残ってるんじゃない?」

「……!?」


まるで心の奥を見透かされたような気がして、思わず言葉に詰まった。驚きのあまり目を見開いた先には、少し心配そうにする涼花の姿があった。


確かに涼花の指摘通り、彼女の告白は今までと違った。ちゃんと覚悟を決めて、真正面から俺に向き合ってくれていた。好意をきちんと伝えてくれた。だからこそ、あの時は心が揺れた。


——いや、正確には苦しくなったの方が近い。


その想いに応えられない。そんな余裕が俺にはなかったから。最後に見せた彼女の笑顔を今でも覚えている。俺に罪悪感を抱かせないように、朗らかな笑みを浮かべた彼女の表情だけは鮮明に思い出せた。


もちろん、引きづっていないかといえば、多分嘘になる。


「……それでも」


小さく息を吐きながら、前を見る。


「目標にしてる人がいるから。彼に勝てるって思えるまでは、寄り道してる余裕なんてないんだ」


涼花の姿を目に収めて、はっきり気持ちを宣言する。義妹には嘘をつかないようにしているからこそ、これは明確な自分の中での誓いだった。小学生の頃に出逢った、親友の親戚の姿を思い浮かべる。


常につまらなそうに、視線をやる彼は、ただぼーっと世界を見つめていた。一を聞いて三十を知る。一度見た動きを再現する。大人達とすら余裕で会話を繰り広げる彼の博識さに自分の不甲斐なさを、才能のなさを痛感したあの時に思ったのだ。


(現状で彼が敵に回ったときに、義妹を守れるのかと?)


少し震える義妹の姿を見た俺は誓ったのだ。彼に打ち勝てる人になろうと。異次元の天才なのに慢心せず、奢らず、努力し、覚悟を持って生きる彼に対抗できる人になろうと、強くなると決めた。あの日から俺はずっと、あいつの背中を追い続けている。


並びた立ちたい……そして、いつか、追い越したい。その気持ちが変わることはない。まぁ、皮肉なことに、追えば追うほど距離は遠く感じるんだけどね……。


「いつも前を歩くあいつはずっと俺の目標で、それに追いつけるまでは余裕はないんだよ」


なにより、目の前で心配そうにする涼花に頼りにされ続ける兄でい続けるには、努力するしかない。だって、俺には涼花や彼のように特別な才能があるわけじゃないから。立ち止まってる暇なんかない。


そんな俺を見つめた、義妹が少し悲し気に目尻を下げ、それでも、嬉しそうに口元に笑みを浮かべる。どこか複雑そうな感情をしていた。


「……そっか」


なんて、どこか安堵したように微笑む。


その表情をみて、ふと気付いた。涼花はきっと、俺のために問いかけてくれたのだと。ここ最近、確かに彼女のことで俺は落ち込んでいた。誰にも吐き出せずにいた。それを察してくれたのだろう。


新入生なら、心を一度入れ替えた方がいいから。なにより、楽し気な雰囲気を壊さないようにって。


「ありがとな、涼花」

「……うん? どういたしまして?」


なんて戸惑っている義妹の様子にふと笑みが零れた。ほんと、かわいらしいななんて、無垢な表情を見ながら思う。


こうやって、涼花はいつも背中を押してくれる。だから、俺も涼花の力になりたいって思うんだ。


その後はいつも通り、友人との間にあった面白いことなんかを話す。その楽しい時間お終わり、いつの間にか分かれ道へ辿り着いていた。ここから先は、それぞれ別の学校へ向かう道だ。


涼花は立ち止まり、じっとこちらを見つめる。


「改めて、合格おめでとう。お兄ちゃん」


朝日に照らされたその笑顔が、少しだけ眩しかった。


「行ってらっしゃい」


俺も小さく笑う。


「ありがとう。行ってくる」


そう返して、俺は前へ歩き出した。

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