第15話 少しづつ縮まる距離
作業を終えると、俺たちは資料をまとめて職員室へ持っていく。提出まで済ませた後も、夢咲さんは特に雑談へ加わることなく、
「……それじゃ」
短くそれだけ言って、そのまま一人で帰っていった。その背中を見送りながら、俺は少し考ていた。以前抱いていた、“冷たい人”という印象。それと、今日見た彼女の姿が、どうにも上手く結びつかなかった。てっきり、面倒になれば途中で投げ出すタイプだと思っていた。
けれど実際は違う。必要だと思ったことは、最後までやる。少なくとも、そういう人だった。だからこそ余計に分からなかった。
必要としているのは、先生からの評価とか?けれど高校は、先生が授業中に言っていた通り、結局は点数がほとんどを決める世界だ。わざわざ教師へ媚びを売る必要も、そこまでないはずなのに。
――じゃあ、何のために?
答えの見えないまま、俺は遠ざかっていく彼女の背中を眺めていた。
「にしても意外に夢咲さん優しい人でしたね」
なんて呟いたは雫だった。優し気な視線を彼女の方に向けている。
「私って、作業が遅いから、よく怒られることがあったんです。でも、夢咲さんはそんな私に感謝してくれました」
「だよねっ!作業もきっちりことなして丁寧だったし。だから余計に疑問が湧く。どうして、あんなに人を避けるんだろうって」
「そうだな。俺も気になる。雫を気遣うことも椎名さんに向けた悲し気な視線の理由も、関わっていくうちに知れたらって思うよ」
千夏はそんな俺の方を向きながら、微笑まし気に見つめる。
「何かついてる?」
「ううん、なんでもなーい。ただ……最初に声を掛けたのが連でよかったって思っただけ」
俺の方を見ながら、彼女が柔らかく微笑む。その笑顔は、いつものどこか楽し気なものとは違っていた。安心したように。そして、心から信頼してくれていることが伝わってくる。そんな表情に、思わず目を奪われる。
いつもの明るさはなく、どこか穏やかで優しいそのギャップについ視線が釘付けになった。
俺がじっと見つめているからだろう。千夏が不思議そうに首を傾げる。それに肩の力を抜いて伝える。変な空気にならないように、俺も素直な気持ちを伝える。
「俺も二人がいてくれたから、安心して無茶出来た。ありがとう」
「私のほうこそありがとうございます。夢咲さんとこうして近づけたことも、いつも私を気にかけてくれる優しい所も。なにより、こんな何も出来ない私を受け入れてくれて、ありがとう」
なんて見せる雫の笑顔に千夏は首を振って否定する。
「私は雫のそういう素直なところに救われているし、安心できる。それは夢咲さんもきっと同じだよ。それは雫にしかない長所なんだよ」
「あぁ、俺だってそうだ。見栄を張らなくていいと、自然体の自分でいいと思わせてくれる雫だから、俺は力を借りたいって思ったんだ。それに、真面目に頑張ってる雫には、俺も助けられてる」
苦手だと宣言していることに対して一生懸命な彼女に俺だって背中を押してもらっている。前を向こうと、隣にいる彼女を見るたびに思えるんだ。
雫は驚いたように目を瞬かせて、涙を少し浮かべる。
「どうして、二人が褒めるんですか……」
「自信を持ってほしいからかな」
「そうだな。雫はもっと自分の良さを理解すべきだ」
「それ、連君が一番言えませんからね!」
「あはは、それは確かに言えてるね!」
なんて、日が暮れる校門の前でどこか明るげに話していた。そのおかげかな、いつもより、赤く温かな太陽が俺たちの道しるべを示すように、一つの光の線を描く。その上を互いの距離を詰めながら、俺達は同じ歩幅で歩きだした。
***
翌日以降も、担任から“手伝い”を頼まれることは増えていった。
プリント整理。
掲示物の張り替え。
提出物の確認。
名目こそ雑務だが、半分くらいは明らかに“俺たちを一緒に行動させるため”だった。担任は気づいているんだろう。クラスの空気に。夢咲さんが孤立しかけていることに。そして、俺たちが彼女へ関わろうとしていることにも。だからこそ、あえて機会を作っているのだろう。
(……ほんと、お節介な先生だ)
なんて思わずにやけてしまう。同時に彼が俺たちの担任で良かったと心の底から思う。おかげで、千夏が積極的に声を掛けることが出来るから。
「夢咲さんって甘いもの好き?」
「ねえねえ、昨日のドラマ見た?」
明るい声で話しかけるも返ってくるのは、大抵冷たい反応だ。
「……作業に集中してくれる?」
そう露骨に嫌そうな顔をされることもある。けれど、それでも千夏はまったく折れない。
「えー、そんなこと言わないでよー」
なんて、いつも通り笑っている。その明るさに思わず夢咲さんがたじろぐくらいには距離を詰めている。そして時々、千夏がそばを離れると、時々少し寂し気に視線を下に落とすことがあった。
だから、確実に距離は縮まっているって思う。当人は気付いていないからこそ、効果はあった。けど、千夏にその事を伝えて変に意識してしまえば、今まで通りには接せなくなる。当然のように雫にも口を噤んでもらっていた。
隠していることを聞かれたらバレそうな程、嘘は付けないから心配だったが。千夏の頭の中は夢咲さんでいっぱいのようだった。
だって、嫌そうな顔をされても、冷たい態度を取られても、次の日にはまた自然に話しかけているんだから。本当に大したものだと思う。一度や二度ならともかく、あそこまで拒絶されたら躊躇してしまうだろう。
それが千夏にはなくて、その積み重ねが夢咲さんの興味を引いた。丁度関わるようになった五日目だった。夢咲さんはとうとう作業の手を止めて尋ねる。
「……どうして私と関わろうとするの?」
それは初めて見せる。どこか縋ったようにも思える反応。千夏だってその気持ちに気付いている。けれど、いつものようにぱっと表情を明るくして口端をにっと引き上げる。
「理由はねー」
千夏は少し考えるように笑ってから、
「特にないよ」
と、あっけらかんと言った。夢咲さんの眉がぴくりと動く。
「……え?」
戸惑った様に口を開く彼女に、何ともないように告げる。
「一緒のクラスになったのって運命じゃん。なら、私はみんなの笑った顔を見ていたい。それは夢咲さんも例外じゃなくて、私が笑顔にさせて見せるって思ったんだ。それが理由」
あまりにも真っ直ぐな言葉。打算も、遠慮もない。だからこそ夢咲さんは理解できない、という顔をする。
「それで、あなたに何の得があるっていうの?」
「得とかじゃないよ」
千夏は即答する。
「私が見たいからだよ」
その言葉に、夢咲さんは黙る。それを優し気に微笑みながら千夏は続ける。
「人の笑ってる顔、好きなんだよね。なんか、その人が幸せそうだと、こっちまで嬉しくなるし」
それから千夏は、少しだけ首を傾げた。
「……それだけじゃ、ダメ?」
その瞬間。夢咲さんは、まるで理解できないものを見るような目で、千夏を見つめていた。
「確かに私も見たいですね。夢咲さんの笑った顔」
なんて雫まで続けていた。雫もまた千夏と一緒に関わってくる中で、少しづつだけど夢咲さんに対して距離を詰めるようになっていた。そんな二人に呆れたように告げる。
「勝手にしたら」
なんていつものような明確な拒絶なかった。ある意味で肯定とも取れるそれは、彼女の中にある信じたいと思う気持ちが、ふと漏れたような気がした。それに気づいた彼女は嬉しそうにぱぁ~っと表情を明るくする。眩しくて直視できないと思う程に、明るい表情で、
「うん、勝手にするね!」「はい、勝手にします!」
なんて二人して嬉しそうに声を上げる。そんな二人を鬱陶し気に見つめつつも、夢咲さんの口元はどこか優し気に見えた。




