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HANDED  作者: アサド
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第5話 片目の少女

誰かが私を小鳥だと言った。

小鳥はある日、弱々しい光を見つけた。

その小さな光に目が眩み、やがて何も見えなくなった。

もし、本当に羽があったなら、鳥籠から落ちる事もなかっただろう。

でも、それでもよかった。その光の全てを知りたかった。

そして分かってしまった。

あなたはとても優しい人で、とてもひどい人なのだと。



__________



「仕事だってさ」

「”あの人”からの?」

「そう。依頼人はどっかの結婚式場経営してる社長。うちのことは噂で知ったみたいだけど」

「親交なんかあったか?」

「いや、なんか”あの人”曰く、近い内に、、、」


その時、ドアを勢いよく開ける音がした。

絶妙なタイミングで依頼人のアラン・ブライズメイドは応接室に入ってきた。



__________



「あれは何ですか?」


大きな噴水が中心にそびえ立つ公園の入口。少女はそこに駐車してある巨大な車を指差し、隣を歩く男性に尋ねる。


「オープンカー。移動販売の車だ」

「へえ、何のお店でしょうか」


車内から卵とバターのいい匂いが溢れている。迷惑にならない程度にキッチンを覗くと、こんがりとよく焼けたフレンチトーストが並んでいた。

店員の女性がこれ見よがしにフライパンに次の卵液を流していく。あまりにおいしそうで、よだれが出そうになった。はしたないと分かっていても、唯一の好物を前に興奮が抑えられなかった。


食べたいと思ったが、今までお金を持たせてもらえなかったから、どうすれば買えるのか分からなかった。それにそもそも手持ちがない。


諦めてこそこそと車を離れると、彼が店に近づき二つ買ってくれた。店員はサービスだと言って、はちみつをたっぷりとかけた大きめのものを包んでくれた。


「ありがとうございます、嬉しい」


近くのベンチに腰掛け、包み紙を取ってかぶりつく。焼き立てのいい香りがぶわっと広がる。

家で出されるものよりしっとりして甘く、ほっぺたが落ちそうだった。


「おいしい、、、」

「それはよかったな」


横を見ると彼は丁度食べ終わって、包み紙をくしゃっと丸めていた。自分があまりにもゆっくりと味わっていたことに気づき、少し恥ずかしかった。


赤くなっているであろう顔を伏せると、髪が左目にかかった。払おうと手をかざすが、別に問題が無い事を思い出した。

もうそこはいくら遮られても構わないのだった。



__________



少女の名はカガネ・ブライズメイド。


実家は結婚に関する仕事、ウェディングプランや衣装の用意、フラワースタイリストなどの職種を一括して請け負う会社で、父親のアランは代表取締役だった。

ブライズメイドは世襲制だが彼が就任して以降、営業成績は何年も右肩上がりで、今ではバールゲルトのブライダル業界最大手の企業となった。


それほどの偉業を成した彼はとにかく厳格な人物であり、成功と完璧を何より重んじた。不出来な者を人とは認めず、誰にでも己の規律を強いた。家でも職場でも、歩くだけで周囲の人間を萎縮させる程の威厳と権力を持っていた。


そんな父親のもとで育った彼女は、小学四年生の十歳にして帝王学、経営学、業務現場の見学など、毎日将来を見据えた勉強を繰り返していた。


朝は父親との何の会話もない朝食から始まり、使用人の送迎で登校。

教室では授業を一言一句聞き逃さないように集中し、休憩時間は次の予習。

帰宅後すぐに家庭教師と夜まで授業の復習。

学校のテストで満点など当たり前で、二年後の中学受験に向けた勉強、その合間を縫った企業の勉強。

習い事も休日も無い。いつしか話しかけてくるクラスメイトもいなくなった。

全ては父親の指示であり、本人が望んだ事など一度もなかった。


そして、彼女は決して凡庸な人間ではなかった。むしろ聡明で見目涼やかな、どこに出しても恥ずかしくない優秀令嬢に育っただろう。

たった一つの欠点といえば、彼女の抑圧された好奇心だ。


物心ついてから、カガネは外に出た事がなかった。ずっと家にこもりきりで、外で遊んだ記憶がない。

放課後に公園で遊んだり、街のゲームセンターに行く計画を立てる同級生を見る度に、外へのあこがれが増していく。みんな自分と違い人生を楽しんでいそうで、どうしようもなく羨ましかった。

唯一外に出られたのは社会科見学の時くらいのものだった。初めて見る街並みや人との交流に胸が踊った。


何度も父親に外出をねだったことはある。しかし、アランは彼女に自由を与える事を許さなかった。

必要ない事だと言って決して意見を曲げなかった。その度に父親の束縛は強くなり、カガネはより貪欲になる。

ついに欲望を抑えられなくなった彼女はある日、取り返しのつかない行動に出た。



_________



腹ごなしにまた歩き始め、今度は中心街にやってきた。

社会科見学の時一度だけ通ったことのある道をまた通れて嬉しかった。その道沿いにずっと気になっていたお店がある。そこを見つけるとカガネは小走りで駆け寄った。


「可愛い、、、」


ショーウィンドウからのぞく色とりどりの洋服。自分にはまだサイズが合わないであろう見事な作りの靴。金銀の髪飾りにジャラジャラとしたアクセサリー。おしゃれで気品のある婦人の客に趣味の良い香水の香り。


洋品店は一度でいいから行ってみたかった場所だ。普段は学校の制服とパジャマ、あとは父が適当に見繕ってきた社交用の服くらいしか着た事がなかった。


同級生の女の子たちは、休日にここでショッピングしたことを幸せそうに教室で話していた。みんな小綺麗にしていて、多分メイクもしていた。父が見たらきっと子供のうちから品がないとでも言うのだろう。でも素直に可愛いと思った。


「気になるのか?」


背後から声をかけられる。

思わず眺めるのに夢中になってしまって、後ろにいる彼のことをすっかり忘れていた。


「あ、あの、見てるだけです。別に買って欲しいとかじゃなくて」


さっきのフレンチトーストといい、自分はあまりに物欲しそうに見つめているのだろうか。これでは彼に買ってもらえるようにアピールをしているみたいだ。そこまで恥知らずだと思われたくない。


「、、、別にいい。好きなもの選べ」

「えっ」

「その格好は目立つ」


彼が咎めるように指をさす。カガネは自分の格好を確認する。

自分は今、学校の制服の上に春物のポンチョを着用している。小学生の通学路であるとはいえ、昼間から制服で街をうろつくのはまずかっただろうか。どうやら着替えて欲しいようだ。


「いや、でも、申し訳ないですし」

「、、、こっちも依頼だからな。必要経費だろ」

「あ、そっか、、、」


そう言われてしまえばそれまでな気もしてきた。

父も顧客の要望に完璧に答える為なら出費を惜しまない。仕事とはそういうものなのだろう。


「じゃ、じゃあお言葉に甘えて」


口では遠慮していたが、本当は逸る気持ちを抑えられなかった。

おそるおそる回転ドアに近づき、ゆっくりと開ける。


「いらっしゃいませ!」


いきなり聞こえてきた揃った声に、ひっくり返りかけた。

続いて店に入ってきた彼が、緊張しすぎだろと呆れ果てていた。



_______



二階にある自室には日中ほとんど誰も来ない。父親は土日でも会社に出勤し、使用人は呼び出さなければお茶も持ってこない。父にそう言いつけられているからだ。

だが今はそれが逆用できる。無論、脱走する為に。


小学生の自分がやすやすと通り抜けられるような大きさの窓を開ける。冬の冷たい風が一気に部屋に流れ込んできた。

窓の外は裏庭が見え、薔薇や椿などの木がたくさん植えられている。手入れをする時間は朝と決まっており、昼の今なら誰も見ていない。幸いにも家を囲む高い塀のおかげで近隣住民に見つかることもない。


着ていく服は迷ったが、制服にコートを羽織ったままで行く事にした。普段遣いに出来るような服が無く、むしろ制服のままの方が早帰りの小学生だと思ってもらえそうだったからだ。念の為髪型も少し変えておく。これで別人に見えていればいいのだが。

父親の言いつけを破るのは心が引けたが、バレなければ怒られる事も心配させる事もないと思っていた。少し周辺を散歩し、夕方までに戻れば問題ないだろう。それに自分がこんなに頼んでいるのに頑なに外に連れて行ってくれない父にも少しだけ責任があると思った。


窓枠にそっと足をかけ、身を乗り出す。羽が生えたように体が軽い。

自分なりに考え編み出した最良と思われる脱出方法は、大いなる冒険心と、無謀さを与えた。


そのまま外壁の出っ張りを足場にして、裏庭の枯れ草の上にジャンプするつもりだったのだ。

外へ出ることへの興奮のあまりか、それとも二階の窓なんて高い場所から初めて身を乗り出した恐怖からか。


足を滑らせた。


出っ張りに上手く足を引っ掛けられず、ずり落ちた足はそのまま体ごと地面へと転落した。


そして悪いことに、落ちた先は薔薇の木々が生い茂っていた。無数の棘が容赦なくカガネの体をひっかき、左の眼球を引き裂いた。


悲鳴を聞きつけて集まってきた使用人が目にしたものは、折れた数本の薔薇の木、開いたままの二階の窓、左目を抑えて悶絶する少女、地面に広がる真っ赤な血液だった。


これだけの代償を差し出して、彼女の脱出は失敗に終わった。



_________



清潔感のある純白のワンピースは肩から二の腕にかけてが露出していて、袖口に大きなリボンがあしらわれている。フリルのついた裾は膝が隠れるくらいの丈で、風通しが良さそうだ。学校の指定靴も底の厚いミュールに履き替えた。くるっと一回転すれば、まるで羽毛をはためかせる小鳥のようだ。


店に入った瞬間から付き添っていた店員は、試着室から控えめに出てきたカガネを見てあまりの可憐さに大はしゃぎしてベタ褒めする。眼帯のせいで変に見えるのではないかと憂いていたが、そんなに褒められると自信が出てきた。自分も同年代の女の子たちと同じ事が出来ていると思うと嬉しかった。


入口付近でスマホを操作していた彼に見せに行く。

自分が服についてあれこれセールストークをされている間、ずっと他の女性店員に話しかけられていたようだが、何を話していたのかは分からなかった。ただ彼は迷惑そうな顔をしていたから、服の話とは違ういい話ではないのだろう。結局反応の悪い彼に折れたのか、店員はしょんぼりと引き下がっていた。


「決まったか?」


カガネが近づくと彼はスマホをポケットにしまって聞いてきた。


「はい。これすごく可愛いです」


店員に言われるがまま選んだ服だがかなり気に入った。彼はそうか、と言うと同伴していた店員のもとに行った。


「これでお願いします」

「かしこまりました。お支払いはどうされますか」

「現金で。あと領収書も」


聞こえてきた会話では、服と靴、あと揃えの帽子やソックスなどを合わせてかなり大きな額になったようだ。服一式の相場には詳しくないが、なんてことないように支払う彼はそれなりの現金を持ち歩いているらしい。


「お兄さんは何か買わないんですか」

「別にいらね。荷物になるしな」


今がどうというよりそもそも服に頓着が無いらしい。服一着に大喜びしている自分とは大違いだった。


制服は紙袋に入れてもらい、買った服を着たまま外に出た。

いつもと違う格好で街中を歩く高揚感。ずっと夢見ていた瞬間だ。ガラスに反射する自分の姿をついつい見てしまう。


「ありがとうございます。すごく憧れてたんです、こういう可愛い服」

「憧れ?、、、服に?」


隣で彼が首を傾げる。何も言わずとも紙袋を持ってくれている。


「今まで着た事ない服とか、ワクワクしませんか?」

「、、、動きやすかったら何でもいいな、俺は」


カガネの言っている事を理解しにくかったらしい。男性だからだろうか、小学生の女子とは話が噛み合わないのだろう。


思えば彼とは大して会話出来ていなかった。カガネは街の光景を見る事に夢中で、彼は口数が多い方ではなかったからだ。でも決して気まずい空気ではない。


自分がやりたい事を主張しても、誰も咎めず、むしろ好きなようにさせてくれる空間は心地よかった。わがままばかりの自分を怒らない優しい彼は、カガネにとってもうとっくに特別な人だった。


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