第二話
「ショージくん。わたしは暇です」
「そうですか」
「暇なんです」
「そうですか」
メアリーさんは幽霊だ。
必然的に時間が余る。
「散歩でも行ってきたら?」
「そーねー」
気のない返事だ。
「家でごろごろしていてもしょうがないでしょうに」
「ねえ。わたしと遊んで、くれないの?」
椅子に座ったぼくの前にするりと潜り込んできて、上目遣いで見上げてくる。
惜しむらくは、幽霊にはシャンプーやら香水やらの良い香りとか、ほのかに暖かい体温や吐息とか、やわらかい感触とか、そういうものが欠けている点だ。
「やだよ面倒くさい」
「うう、ショージくんの反応がいつも以上に冷たいよう」
「じゃあどういう対応がお好みですか」
真面目に言葉を返すと、メアリーさんは正面から胸を寄せてポーズを取った。
「わたしと一緒にえっちいこと、する?」
「できねーだろ! ……はぁ。メアリーさんだって、服も脱げないしぼくには触れないし自分で触っても感覚無いからむなしくなるだけって前に言ってましたよね!」
妙にひっついてこようとするメアリーさんを、大声でしかり飛ばした。
突然、ぎい、と軋んだ音が鳴ってドアが開いた。
そこにいたのは可南子ちゃんだった。
「ご、ごめんなさい……いきなり大声が聞こえたから、気になって」
今日は制服姿ではなく真っ白なワンピースを着ている。
ストレートの長い黒髪が白地によく映える。そんな可憐さに、両手でひしと握りしめたタッパーの生活感が浮いている。
「そ、その、ごめんなさい。わたし、何も聞いてないからっ」
顔を真っ赤にした可南子ちゃんに、何事も無かったかのように笑いかけた。
「ごめんね。うるさかったかな。ちょっと台詞の練習をしていたんだ。ぼくとしてもあんな下品な台詞なんか言いたくはないんだけど、こればかりは役だから仕方ないよね。ぼくとは無関係なキャラクターの台詞だよ。ぼくとしてはすっごく不本意なんだけど」
可南子ちゃんは一瞬安堵した表情を見せ、すぐさま疑問符を顔に浮かべた。
「お兄ちゃん、前に帰宅部だって言ってた……」
「いやクラスの出し物でね、あはは!」
「そっか……劇、やるんだ? わたし、見に行っても……?」
「はは、実は話の内容にクレームが付いて数日後にはしっかり中止になる予定だから可南子ちゃんに見てもらうのはちょっと難しいかなーあはははは」
「そ、そうなんだ」
可南子ちゃんは健気に微笑んで、寂しげに吐息を漏らした。
「もちろん文化祭とかそれっぽい催しがあったら可南子ちゃんを招待するからね! だから今の台詞とかは完全に忘れてくれるとすっごく嬉しいナー」
完璧に誤魔化した!
「う、うん」
可南子ちゃんは小さく頷いた。
お兄ちゃんお兄ちゃんと慕ってくれるので、ぼくとしても妹みたいに感じている。
「お母さんが、いっぱい煮物を作ったからどうぞって」
「いつもありがとう。よろしく言っておいてくれるかな」
いただく煮物は、毎度ながら美味しい。大家さん夫婦にはお世話になっている。
「その、お兄ちゃん」
「なにかな可南子ちゃん」
「なにがあっても、わたしはお兄ちゃんの味方だからっ」
それだけ言って、可南子ちゃんはたったったと足音を響かせて去っていった。
タッパーをその手に握りしめたまま。
「あ、可南子ちゃん!」
渡し忘れにすぐ気づくか、それとも恥ずかしがってしばらく後になるか。
「あはははは! ショージくん、お疲れさまー」
「元はといえばメアリーさんのせいなのにっ!」
メアリーさんはお腹を抱えて笑っていた。
◆◇◆
気持ちを切り替えて、中断していたメアリーさんとの話を再開した。
「もう、あれから一ヶ月以上経ったんだ……。色々あったよね」
懐かしげに語るメアリーさんだった。
なんか前もあったぞこんなこと。
「可南子ちゃんも最初は距離があったけど、あれ以降、こうして頻繁に顔を出してくれるようになったし、ショージくんの良さも分かってもらった。わたしのおかげだよね」
メアリーさんが勝ち誇っている姿を見つめた。
「もっと感謝してくれていいよ?」
「大家さんが気に掛けてくれたのもメアリーさんのおかげです。ええ。可哀想な子を見る視線はけっこう堪えるんですが、お分かり?」
感謝している部分もある。
が。
メアリーさんは露骨に顔を背けた。
「それよりさー、エロいことしないのー?」
「しません」
「わたしのパンツ、見たくないの?」
「メアリーさん。正座!」
「ハイ」
ぼくも座って目線の高さを合わせ、諭すように懇々と世の摂理を説いた。
「メアリーさん。秘すれば花という言葉があります。恥じらいとか遠慮とか、そういったものを身につけることにより主体が一層際立って見えるものです。分かりますね?」
「はあ」
「誰もが、いつでも生まれたままの姿で行動していたとしましょう。人類皆全裸。それで誰かの裸を見て興奮すると思いますか」
メアリーさんはうなだれた。
理解してくれたようだった。
「そう。きちんと服を着て、それを脱いでもらったり、脱がしたり、こっそり脱ぐ場面を覗いたりするから興奮するわけです。下着だって同じ。ことあるごとに見せようとされて、ぼくが喜ぶと思いますか」
俯いたメアリーさんはぼくの言葉に真摯に耳を傾けていた。
「はしたない発言をするたび中身の価値が下がります。いくら貴重でも何度も繰り返せば、またかと思うようになります。では、そうしないためには何が必要ですか」
「わ、わたしの下着はちっとやそっとでは見えないようにすべきだと!」
「そう。意識していれば、恥じらいだとか、おしとやかさだとか、そういうものが段々と身についていくものです。分かりましたね」
頷くメアリーさん。なぜぼくがこんな教授を行っているのだろう。
「さすがエロ師匠!」
「誰がだ」
じと目で見られた。
ぼくは目を逸らした。
「なら方向性を変えてみる! よーし!」
納得したメアリーさんは、即座に表情を硬くした。きっ、と睨み付けてくる。
「……わたしとのことは、遊びだったのね」
「うん」
まあ、遊んでいるのは事実だ。
色んな意味で。
「そんな、ひどいっ」
「だって本気になったら傷つくでしょうに」
メアリーさんは口を噤んだ。
ぼくは言葉の選び方に間違えたと気づいた。
「……ごめん」
こんな関係だって得難いものには違いない。
現状維持。
今が楽しいなら、それだって立派な選択肢のひとつだ。
「ショージくんは色々考えすぎ。もっと適当に生きた方が良いんじゃないかな!」
一転、メアリーさんは、なんでもお見通しと言いたげに、ふんぞり返って笑った。
自然と話は終わりになった。
しばらく床に横になってごろごろしていると、さりげなくメアリーさんが移動してきた。
それも下着の見えそうな位置にわざわざ。
ぼくが背中を向けると、メアリーさんはため息を漏らした。
「本気で憂鬱そうだね。今日は大人しくしてるから、早く元気になってね」
散歩してくると言って、メアリーさんはさっと出て行った。
静かになった部屋に取り残されて、ふと、さゆりさんの言葉が頭を過ぎった。
「素直な気持ちを伝えられるよう、頑張れ……ねえ」
色々難しいと、長いため息を吐かずにはいられなかった。
◆◇◆
「ご、ごめんなさい……。わたし、持って帰っちゃってたの……っ」
戻ってきた可南子ちゃんが、煮物のタッパーを手渡してくれた。
今度こそ受け取って、気にしないようにと軽口で出迎えた。
「はっはっは。ありがとう。渡し忘れてくれたおかげで、今日は可南子ちゃんの顔を二回も見れたしさ」
「もうっ。お兄ちゃんってば……っ」
足取り軽やかな後ろ姿を、ぼくは笑顔で見送るのだった。




