↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
4/10

第4話 君と初めて会った日

初めてのデート。


そして凪は約束した。

「私が初めて湊くんに会った日のことを教える」と。


でも、その日付は――

俺の記憶では、絶対にありえない日だった。

土曜日。


午前九時四十二分。


駅へ向かう電車の窓に映った自分を見て、俺は今日だけで何度目か分からないため息をついた。


黒いパーカー。


白いTシャツ。


黒のパンツ。


昨日、凪に言われた通りだ。


――黒いパーカー、着てきてほしいな。


「……なんで言うこと聞いてんだ、俺」


朝、服を選ぶのに二十分かかった。


人生で初めてだ。


母親には、


「今日なんかあるの?」


とニヤニヤされた。


何もないと答えたら、


「香水いる?」


とまで言われた。


いらない。


というか持ってるのか、母さん。


スマホを見る。


凪との待ち合わせは十時。


あと十八分。


そして、その下。


昨夜届いた美月からのメッセージが残っている。


『湊って、白石さんと付き合ってる?』


『もしそうなら、ちゃんと教えて』


『私、湊に話したいことがある』


まだ返信していない。


何と返せばいいのか分からなかった。


付き合っている。


それだけ送ればいいはずなのに。


なぜか指が動かなかった。


「……帰ってからでいいか」


スマホをポケットにしまう。


今は凪だ。


今日は初めてのデート。


そして。


凪が初めて俺に会った日のことを話してくれる。


俺が思っているより、ずっと前。


昨日の言葉が、ずっと頭に残っていた。


◇


駅に着いたのは九時五十三分だった。


改札を出る。


凪はまだ――


「湊くん」


いた。


「早くない?」


「九時半からいた」


「早すぎだろ」


「楽しみだったから」


そんなことを普通に言うな。


「……おはよう」


「うん。おはよう」


制服じゃない凪を見るのは初めてだった。


淡い色のカーディガン。


膝下まであるスカート。


肩には小さなバッグ。


いつも下ろしている髪は少しだけまとめられている。


学校とは全然違う。


いや。


なんというか。


「…………」


「なに?」


「いや」


「今、上から下まで見たでしょ」


「見てない」


「見た」


「見てない」


「じゃあ今日の私、どう?」


「どうって」


「かわいい?」


いきなり難易度が高い。


「……まあ」


「まあ?」


「似合ってる」


「かわいい?」


「似合ってる」


「かわいい?」


「しつこい」


凪が頬を膨らませた。


「彼女が頑張って服選んできたのに」


「……かわいいよ」


「え?」


「だから」


恥ずかしくなって目を逸らす。


「かわいい」


凪が黙った。


「…………」


「おい」


「もう一回」


「言わない」


「録音すればよかった」


「絶対やめろ」


凪が笑う。


その顔を見て、俺も少し笑った。


「湊くんも」


「ん?」


「やっぱり似合ってる」


凪が俺のパーカーの袖をつまむ。


「黒」


「そう?」


「うん」


そして一瞬。


懐かしそうな顔をした。


「……やっぱり、この格好好き」


また。


その言い方。


「凪」


俺が名前を呼ぶと、凪はすぐに手を離した。


「まだ」


「分かってる」


俺は言った。


「今日話してくれるんだろ?」


「うん」


「じゃあ待つ」


凪は少し驚いた顔をした。


それから、


「ありがとう」


小さく笑った。


◇


初デートの行き先は、水族館だった。


「ベタじゃない?」


チケット売り場で俺が言う。


「初デートはベタでいいの」


「そういうもの?」


「そういうものです」


館内に入る。


薄暗い通路。


青い光。


大きな水槽の中を魚が泳いでいる。


凪は思った以上にはしゃいでいた。


「あ、見て!」


「クラゲ?」


「かわいい」


「クラゲが?」


「うん」


「どこが?」


「全部」


「分からん」


「湊くんには感性が足りません」


「クラゲに言われたくない」


「私クラゲじゃないけど?」


くだらない。


本当にくだらない会話なのに。


楽しかった。


凪は学校にいるときより、よく笑う。


気になったものがあると俺の袖を引っ張る。


魚の名前を間違える。


ペンギンが泳いでくるたびに写真を撮る。


学校で見ていた白石凪とは、全然違う。


俺しか知らない凪。


そう思うと。


少しだけ嬉しかった。


「湊くん」


「ん?」


「写真撮ろ」


「俺、写真苦手」


「ダメ」


「なんで」


「初デートだから」


凪がスマホを取り出す。


「ほら、こっち来て」


仕方なく隣に立つ。


「もっと」


「近いって」


「恋人なんだから普通」


凪が肩を寄せてくる。


髪から甘い匂いがした。


近い。


めちゃくちゃ近い。


「顔赤いよ」


「暗いからだろ」


「関係ないと思う」


「早く撮れ」


「はいはい」


凪がスマホを構える。


「笑って」


「無理」


「じゃあ――」


その瞬間。


凪が俺の腕に抱きついた。


「おい!」


カシャ。


「撮れた」


「ずるいだろ!」


「自然な顔の方がいいから」


「消せ」


「嫌」


画面を見せてくる。


俺は驚いた顔。


凪は満面の笑み。


確かに。


悪くない。


「これ」


凪が写真を見ながら言った。


「大事にする」


「一枚くらい、また撮れるだろ」


「ううん」


凪は首を横に振った。


「今日の写真は、今日しか撮れないから」


「……そりゃそうだけど」


「だから大事なの」


また少しだけ。


凪の声が寂しく聞こえた。


◇


昼過ぎ。


水族館を出た俺たちは、近くのカフェに入った。


凪は苺のパフェ。


俺はアイスコーヒー。


「一口いる?」


凪が聞く。


「いい」


「おいしいよ?」


「甘いの苦手」


「知ってる」


俺の手が止まった。


凪も止まった。


「……また」


「ごめん」


「俺、言ったっけ?」


「…………」


「甘いの苦手って」


凪は答えない。


俺はアイスコーヒーを置いた。


「そろそろ教えてよ」


「……うん」


凪の表情が変わる。


楽しそうだったデートの空気が、少しだけ重くなる。


「約束したもんな」


「うん」


「初めて会った日」


凪は膝の上で手を握った。


「でも、その前に一つ聞いていい?」


「何?」


「湊くん」


凪が俺を見る。


「小学校六年生の十二月十八日って、覚えてる?」


「……十二月十八日?」


また、その日だ。


100日目。


今年の十二月十八日。


「なんで十二月十八日なんだよ」


「いいから」


「小六だろ?」


「うん」


「そんな昔の日付なんて――」


そこで。


妙な感覚がした。


十二月十八日。


どこかで。


「…………」


頭の奥に何かが引っかかる。


「どうしたの?」


「いや……」


思い出せない。


でも。


その日付を聞いた瞬間、胸の奥がざわついた。


「覚えてない」


「……そっか」


凪は俯いた。


「やっぱり」


「やっぱり?」


「ううん」


「凪」


「私が初めて湊くんに会ったの」


凪はゆっくり顔を上げた。


「その日だよ」


「……は?」


「小学校六年生の十二月十八日」


理解するのに数秒かかった。


「待って」


「うん」


「俺たち、小学校違うよな?」


「違う」


「住んでる場所も違う」


「うん」


「俺、お前に会った記憶ないんだけど」


「知ってる」


「じゃあ何で――」


凪はバッグから何かを取り出した。


小さな封筒。


少し古びている。


「これ」


「何?」


「開けて」


受け取る。


中には、一枚の写真が入っていた。


「…………」


古い写真だった。


場所は。


あの公園。


昨日通った公園だ。


ベンチが写っている。


そして。


「……俺?」


そこに、小学生の俺がいた。


黒いパーカー。


ベンチに座っている。


間違いない。


俺だ。


「なんで……」


写真の裏を見る。


日付が書かれていた。


十二月十八日。


小学校六年生のとき。


「これ、誰が撮った?」


凪は答えない。


「お前?」


「うん」


「なんで持ってる?」


「私が撮ったから」


「でも俺、お前のこと知らない」


「うん」


「その日、誰とも話してないと思う」


「話したよ」


凪の声が震えた。


「たくさん」


「……何を?」


「色んなこと」


「例えば?」


凪は少し迷ってから言った。


「湊くんが甘いもの苦手なこと」


心臓が鳴った。


「レモンティーが好きなこと」


もう一度。


「黒い服ばっかり着て、お母さんに怒られてたこと」


「…………」


「家に帰りたくない日は、あの公園にいたこと」


「待て」


俺は凪を止めた。


「そんなの……」


知らないはずだ。


誰にも話していない。


いや。


もしかしたら。


俺が忘れているだけ?


「俺、本当にお前と話したの?」


「うん」


「どれくらい?」


凪の目が揺れた。


そして。


「一日中」


「一日?」


「朝から夜まで」


「ありえない」


思わず言った。


「俺、その日――」


そこで言葉が止まった。


その日。


十二月十八日。


何をしていた?


思い出そうとする。


朝。


昼。


夜。


「…………」


何も出てこない。


小学校六年生の冬。


昔だから当然だ。


一日単位の記憶なんて残っていない。


でも。


「私ね」


凪が言った。


「その日、湊くんに助けてもらったの」


「俺が?」


「うん」


「何をした?」


凪は首を横に振った。


「今日はここまで」


「は?」


「約束は『初めて会った日のことを一つ教える』だったから」


「いやいやいや!」


思わず声が大きくなる。


周りの客がこちらを見る。


慌てて声を落とす。


「ここまで聞いたら気になるだろ」


「ごめん」


「なんで俺は覚えてない?」


「…………」


「それくらい教えてよ」


凪は黙っている。


「凪」


「言えない」


「なんで」


「それを話したら」


凪が俺を見る。


その目は。


また泣きそうだった。


「全部、思い出しちゃうかもしれないから」


「……何を?」


凪は答えなかった。


ただ。


「まだダメ」


そう言った。


◇


店を出た後。


俺たちはしばらく無言で歩いた。


手には写真。


何度見ても俺だ。


合成なんかには見えない。


「……凪」


「うん」


「これ、もらっていい?」


写真を見せる。


凪は一瞬迷った。


「ダメ」


「なんで」


「大切なものだから」


「俺が写ってるのに?」


「だから大切なの」


そう言って、俺の手から写真を取った。


封筒に戻す。


「ずっと持ってたの?」


「うん」


「何年?」


「五年くらい」


「……ずっと?」


「ずっと」


凪は封筒を胸元で握った。


その姿を見て。


初めて思った。


こいつは本当に。


ずっと俺のことを知っていたんだ。


俺が凪を知らなかった頃から。


「なあ」


「なに?」


「なんで今まで話しかけなかったの?」


同じクラスになって四ヶ月。


凪が俺を昔から知っていたなら。


四月に話しかけてくればよかった。


なのに。


凪は何もしなかった。


そして突然、九月十日に告白した。


100日限定で。


凪の足が止まった。


「それも」


また。


「100日目に?」


俺が先に言う。


凪は苦笑した。


「うん」


「便利だな、100日目」


「ごめん」


「もういいよ」


ため息をつく。


そして再び歩き出そうとした。


そのとき。


「湊くん」


「ん?」


「手」


凪が右手を差し出した。


「何?」


「せっかくデートなのに」


「だから?」


「まだ手、繋いでない」


「…………」


そうだった。


謎ばかり気にして忘れていた。


今日は初デートだ。


「嫌?」


「嫌じゃないけど」


「じゃあ」


凪の指が俺の手に触れた。


一瞬。


反射的に引きそうになる。


でも。


引かなかった。


俺から少しだけ手を動かす。


指と指が絡まった。


凪が驚いた顔をした。


「……何?」


「湊くんから繋いでくれると思わなかった」


「嫌なら離す」


「絶対ダメ」


ぎゅっと握られた。


「痛い」


「離さないから」


「分かったって」


二人で歩く。


手が熱い。


さっきまで頭の中を埋め尽くしていた疑問が、ほんの少しだけ遠くなる。


「湊くん」


「ん?」


「今日、楽しい?」


「まあ」


「またそれ」


「……楽しいよ」


凪が笑った。


「私も」


それから。


小さな声で続けた。


「ずっと、こうしたかった」


俺には聞こえていた。


でも。


何も言わなかった。


◇


夕方。


駅で凪と別れた。


「今日はありがとう」


「こっちこそ」


「次は湊くんがデート考えてね」


「マジ?」


「彼氏なんだから」


「難しいな……」


「楽しみにしてる」


凪は手を振る。


「また月曜日」


「ああ」


「大好き」


「……急に言うなよ」


「じゃあね」


逃げるように改札へ入っていった。


ずるい。


俺だけ言われっぱなしじゃないか。


帰りの電車。


俺はスマホを取り出した。


美月からのメッセージ。


まだ返していない。


さすがに返信しないとまずい。


俺は文字を打った。


『ごめん。返すの遅くなった』


少し迷う。


でも。


隠しても仕方ない。


『白石とは付き合ってる』


送信。


既読はすぐについた。


返信が来ない。


一分。


三分。


五分。


そして。


『そっか』


それだけだった。


俺は昨日のもう一つのメッセージを思い出す。


『私、湊に話したいことがある』


『話って何?』


送る。


今度はなかなか既読がつかなかった。


電車が一駅進んだ頃。


ようやく既読。


そして。


『もういい』


「……なんだよ、それ」


俺が返信しようとした瞬間。


もう一件。


『でも一つだけ聞いていい?』


『何?』


『白石さんから告白されたの?』


『そうだけど』


既読。


十秒後。


『いつ?』


『9月10日』


その瞬間。


返信が止まった。


一分。


二分。


そして。


『9月10日?』


『そう』


『本当に?』


何なんだ。


『本当だけど』


長い沈黙。


やがて。


美月から一件のメッセージが届いた。


『おかしいよ』


俺の指が止まる。


『何が?』


既読。


そして。


美月はこう返した。


『だって白石さん』


『夏休みのときから』


続けて。


『12月18日に湊と別れるって言ってたよ』


「…………は?」


俺は画面を見つめた。


意味が分からない。


俺と凪が付き合い始めたのは。


九月十日。


100日後が十二月十八日になると凪が計算したのも。


あの日の放課後だった。


――そう思っていた。


なのに。


凪はそれより前から知っていた?


俺と付き合うことも。


別れる日も。


全部?


電車の窓に自分の顔が映る。


その瞬間。


頭の奥で。


何かが弾けた。


知らないはずの光景が、一瞬だけ浮かんだ。


雪。


あの公園。


泣いている女の子。


そして。


誰かの声。


――また、忘れちゃったんだね。


「……っ」


頭が痛い。


目を閉じる。


次に目を開けたとき。


その光景は消えていた。


ただ、一つだけ。


はっきりと残っていた。


あの声は――


凪の声だった。


――100日目まで、あと96日。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。


初デートで明らかになった、五年前の「12月18日」。


そして、付き合う前から別れる日を知っていた凪。


湊の失われた記憶と「100日」の秘密が、少しずつ繋がり始めます。


次回、第5話――「俺が忘れていること」。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。