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第2話 彼女ができた翌朝

100日限定の彼氏になった翌日。


俺は一つ、大事なことに気づいた。


――これ、学校ではどうすればいいんだ?

翌朝。


目を覚ました俺は、天井を見つめながら昨日の出来事を思い返していた。


白石凪に告白された。


そして、付き合った。


期間は100日間。


改めて考えてみても意味が分からない。


「……夢じゃないよな」


枕元のスマホを手に取る。


時刻は午前六時四十八分。


そして通知が一件。


メッセージアプリを開いた瞬間、俺は固まった。


『おはよう、湊くん』


白石だった。


「…………」


昨日まで「朝倉くん」だった女が、一晩で「湊くん」になっている。


たった三文字なのに、破壊力がおかしい。


しかも、その下にはもう一件。


『彼女からの初めてのおはようです』


俺はスマホを伏せた。


無理だ。


朝からこれは無理だ。


別に白石のことを好きになったわけじゃない。


昨日付き合い始めただけだ。


ただ名前で呼ばれただけ。


なのに、顔が熱い。


俺は三十秒ほど悩んでから返信した。


『おはよう、白石』


送信。


すると、ほぼ同時に既読がついた。


『白石?』


『え?』


『私は湊くんって呼んでるのに?』


嫌な予感がする。


『じゃあ何て呼べばいいんだよ』


既読。


数秒後。


『凪』


「……マジか」


俺はベッドの上で頭を抱えた。


付き合うというのは、こんなことまで要求されるのか。


仕方なく文字を打つ。


『おはよう、凪』


送信する直前で指が止まる。


恥ずかしい。


ものすごく恥ずかしい。


それでも昨日、100日間付き合うと決めた。


俺は覚悟を決めて送信した。


すぐに返信が来た。


『うん。おはよう、湊くん』


その後に、笑っている猫のスタンプ。


「……なんなんだよ」


俺は一人で笑ってしまった。


付き合って二日目。


残り99日。


まだ白石――いや、凪が何を考えているのかは分からない。


でも。


悪くないかもしれない。


そんなことを思った。


◇


学校へ着くと、教室はいつも通り騒がしかった。


「おー、湊」


後ろから肩を叩かれる。


振り返ると、親友の高瀬悠真がいた。


中学からの付き合いで、俺とは正反対によく喋る男だ。


「おはよ」


「お前、昨日どこ行ってた?」


「どこって?」


「帰ろうと思って教室探したらいなかったから」


心臓が跳ねた。


「普通に帰ったけど」


「ふーん」


悠真が妙にニヤニヤしている。


「なんだよ」


「いや?」


「気持ち悪いな」


「昨日さ」


悠真が俺の肩に腕を回した。


そして小声で言う。


「白石も、帰るの遅かったらしいぞ」


「…………」


「なんで黙る?」


「偶然だろ」


「俺、まだ何も言ってないけど?」


しまった。


悠真の笑みが深くなる。


「お前、なんかあるな?」


「ない」


「ある」


「ない」


「白石と?」


「ない」


「まだ白石と何かあるとは聞いてない」


こいつ。


「朝倉くん」


その声が聞こえた瞬間。


俺と悠真は同時に振り返った。


凪が立っていた。


「お、おはよう」


危ない。


危うく「凪」と呼ぶところだった。


学校ではどうするのか、決めていなかった。


「おはよう」


凪はいつもの落ち着いた笑顔を浮かべている。


「昨日、ありがとう」


「……ああ」


悠真が俺を見る。


凪を見る。


もう一度俺を見る。


「昨日?」


最悪だ。


「ノート」


俺は咄嗟に答えた。


「ノート貸したんだよ」


「へえ」


悠真は明らかに信じていない。


しかし凪は、


「うん。すごく助かった」


何事もなかったように話を合わせた。


「じゃあ、またあとでね。朝倉くん」


そう言って自分の席へ戻っていく。


俺は小さく息を吐いた。


「湊」


「なんだよ」


「お前、嘘下手だな」


「うるさい」


そのときだった。


「みーなーとー!」


今度は教室の入口から声が飛んできた。


聞き慣れすぎた声。


嫌な予感しかしない。


振り向く。


ポニーテールの女子が、こちらへ歩いてきていた。


桜井美月。


隣のクラス。


そして俺とは、小学校からの幼馴染だ。


「お前、自分の教室行けよ」


「朝から幼馴染に向かってひどくない?」


「毎朝来る必要ないだろ」


「いいじゃん別に」


美月は俺の机の横まで来ると、持っていた小さな紙袋を置いた。


「はい」


「何これ」


「パン」


「なんで?」


「おばさんから聞いた。今日また朝ご飯ほとんど食べてないんでしょ?」


「母さん余計なことを……」


「ちゃんと食べなさい」


「お前は俺の母親か」


悠真が横で笑っている。


いつもの朝。


いつものやり取り。


昨日までなら、それで終わっていた。


でも今日は違った。


なんとなく視線を感じた。


凪の方を見る。


目が合った。


「…………」


笑っている。


いつもの綺麗な笑顔。


なのに。


なんだろう。


怖い。


凪は笑顔のまま、俺の机の上に置かれたパンを見た。


そして美月を見る。


再び俺を見る。


スマホが震えた。


嫌な予感がする。


机の下で確認する。


凪からだった。


『誰?』


たった二文字。


俺は凪を見る。


笑っている。


『幼馴染』


返信する。


すぐに既読。


『女の子だけど?』


『見れば分かるだろ』


『毎朝来るの?』


『だいたい』


既読。


しばらく返信が来ない。


そして。


『ふーん。』


怖い。


絶対怒ってる。


俺がスマホを閉じようとすると、さらにメッセージが届いた。


『放課後、話があります』


「…………」


付き合って二日目にして。


俺は早くも彼女を怒らせたらしい。


◇


昼休み。


俺が悠真と購買へ行こうとしたときだった。


「朝倉くん」


凪に呼び止められた。


「なに?」


「ちょっといい?」


教室中の何人かがこちらを見る。


凪が男子を呼び止めること自体、珍しいからだ。


「ここじゃダメ?」


「ダメ」


そう言って歩き出す。


仕方なく後を追った。


連れてこられたのは、人気のない階段の踊り場だった。


「で?」


「桜井さん」


いきなりだった。


「美月?」


「名前で呼んでるんだ」


「幼馴染だからな」


「ふーん」


「なんだよ」


「別に」


明らかに別にではない。


凪は壁にもたれながら、少しだけ頬を膨らませている。


「もしかして嫉妬してる?」


冗談半分で聞いた。


「してるよ」


即答された。


「……するんだ」


「するよ。彼女だもん」


そう言われると困る。


凪は俯いて、自分の指先を見た。


「私、100日しかないから」


その言葉で空気が変わった。


「だから一日だって、他の女の子に取られたくない」


「取られるって……」


「分かってる」


凪は顔を上げた。


「幼馴染なんでしょ?」


「ああ」


「付き合ってない?」


「付き合ってない」


「好きじゃない?」


「恋愛的な意味ではな」


「向こうは?」


「知らないよ」


「そっか」


凪は少し安心したようだった。


「じゃあいい」


「いいのかよ」


「うん」


そして突然、俺との距離を詰めた。


近い。


「その代わり」


「な、なんだよ」


「今日、一緒に帰って」


「昨日も帰っただろ」


「彼女とは毎日帰るものです」


「誰が決めたんだ」


「私」


横暴すぎる。


でも。


「分かったよ」


そう答えると、凪は嬉しそうに笑った。


「約束ね」


その笑顔を見て。


少しだけ思った。


かわいい。


本当に、少しだけ。


◇


放課後。


俺たちは昨日と同じ道を歩いていた。


「ねえ、湊くん」


学校から少し離れた瞬間、凪は俺を名前で呼んだ。


「切り替え早いな」


「学校では秘密にするんでしょ?」


「決めてなかっただろ」


「じゃあ秘密にしよ」


「なんで?」


凪は少し考えた。


「二人だけの秘密って、恋人っぽいから」


「そんな理由?」


「そんな理由」


楽しそうに笑う。


「それに学校でバレたら面倒だよ」


「それは確かに」


凪は目立つ。


付き合っていると知られれば、俺まで注目されるだろう。


「じゃあ学校では朝倉と白石」


「二人のときは?」


「湊と……凪」


言ってから恥ずかしくなる。


凪は満足そうだった。


「合格」


「何様だよ」


そんな話をしながら歩く。


途中、小さな公園の前を通った。


その瞬間。


凪が立ち止まった。


「どうした?」


返事がない。


凪は公園を見つめていた。


ブランコが二つ。


滑り台。


ベンチ。


どこにでもある小さな公園だ。


「凪?」


「……ここ」


彼女が呟いた。


「前と変わってないね」


俺は足を止めた。


「前?」


凪の顔色が変わった。


「……あ」


「ここ来たことあるの?」


「いや、その……」


「あるんだろ?」


「…………」


妙だった。


この公園は、俺の家から歩いて十分ほどの場所にある。


でも凪の家は、ここからかなり離れているはずだ。


そして。


「前と変わってない」なんて言うほど、特徴のある公園でもない。


「いつ来たの?」


俺が聞く。


凪は答えない。


代わりに、公園の奥にあるベンチを見た。


その視線を追う。


古い木製のベンチ。


俺はその場所を知っている。


というより――よく知っている。


「……あそこでさ」


凪が言った。


嫌な予感がした。


「湊くん、昔よく寝てたよね」


全身が固まった。


「……なんで」


凪が俺を見る。


「なんで、それ知ってる?」


小学生の頃。


家に帰りたくない日があると、俺はあのベンチで一人で時間を潰していた。


時々、そのまま眠ってしまうこともあった。


誰かと一緒に来た記憶はない。


親にも話していない。


美月にすら話した覚えがない。


それなのに。


凪は知っている。


「あ……」


彼女は、自分が何を口にしたのかようやく気づいたようだった。


「凪」


俺は彼女を見る。


「お前――」


凪の表情から笑顔が消えた。


そして。


「ごめん」


小さく呟いた。


「まだ、言えない」


「何を?」


「全部」


「またそれかよ」


「……うん」


風が吹いた。


凪の髪が揺れる。


彼女は、まるでずっと昔から知っている場所を見るように、もう一度ベンチを見た。


そして俺には聞こえないくらいの声で、何かを呟いた。


俺には、その言葉が聞き取れなかった。


ただ。


凪の目に浮かんでいた涙だけは、はっきり見えた。


このとき俺は初めて、本気で思った。


白石凪は。


いったい――


何者なんだ?


――100日目まで、あと98日。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。


100日限定の恋人生活、二日目。


凪が知っているはずのない「湊の過去」。そして新しく登場した幼馴染・美月。


彼女たちの関係も、これから少しずつ動き始めます。


次回、第3話へ。

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