第1話 100日だけ、付き合って
「私と100日間だけ、付き合ってくれない?」
その一言から、僕たちの100日間が始まった。
なぜ僕なのか。
なぜ100日なのか。
そして――100日目に、何が待っているのか。
「朝倉くん。私と100日間だけ、付き合ってくれない?」
人生で初めて告白された。
場所は、放課後の教室。
夕日が窓から差し込み、誰もいなくなった机の上に長い影を作っている。
そして俺の目の前にいるのは、白石凪。
同じクラスになって四ヶ月。
まともに会話した回数は、おそらく三回にも満たない。
そんな女子だった。
「……ごめん。もう一回言ってくれる?」
「だから」
白石は少しだけ頬を膨らませた。
「私と付き合ってください」
「その後」
「100日間だけ」
「そこなんだよ」
意味が分からない。
そもそも白石凪という女子は、俺みたいな人間とは住んでいる世界が違う。
腰まで伸びた黒髪。
色白で、整った顔。
成績は学年上位。
運動神経も悪くないらしい。
おまけに性格までいい。
男子から告白された回数について、十回を超えたあたりから本人も数えるのをやめた――なんて噂まである。
対して俺、朝倉湊。
高校二年生。
成績、中の上。
運動、普通。
身長、たぶん普通。
顔――これについては自分で評価するものでもないが、少なくとも学校中の女子から騒がれた経験はない。
要するに、普通。
そんな俺が白石と放課後の教室で二人きりになっていること自体がおかしい。
さらに告白されている。
もっとおかしい。
そして、
「100日間だけ」
意味が分からない。
「罰ゲーム?」
思いついた可能性を口にする。
「違う」
即答された。
「じゃあドッキリ」
「違う」
「後ろのロッカーに誰か隠れてる?」
「確認する?」
「……いい」
白石が呆れたように笑う。
その笑顔を見て、心臓が一度だけ強く鳴った。
いや。
待て。
騙されるな、朝倉湊。
これはどう考えてもおかしい。
「なんで俺?」
「秘密」
「100日なのは?」
「それも秘密」
「俺のこと好きなの?」
その質問だけ。
白石はすぐには答えなかった。
開いていた窓から風が吹いた。
カーテンが揺れる。
白石の長い髪が、ふわりと持ち上がった。
彼女は耳にかかった髪を指で直すと、
「……好きだよ」
そう言った。
さっきまで普通だったはずの教室が、急に静かになった気がした。
「ずっと、好きだった」
冗談を言っている顔には見えなかった。
むしろ――
なぜだろう。
悲しそうに見えた。
「だったら、なんで100日なんだよ」
「それは言えない」
「意味分かんねえ……」
「うん。そうだよね」
白石は小さく笑った。
それから鞄を持ち上げる。
「今日が九月十日だから……」
スマホを操作している。
「100日目は、十二月十八日」
「数えたの?」
「うん」
「そこまでしたの?」
「うん」
「……本気?」
俺が聞くと、白石はスマホから顔を上げた。
「本気だよ」
迷いのない声だった。
「十二月十八日まで、私の彼氏になってほしい」
そして少し間を置いて、
「その日が来たら、全部話すから」
と言った。
全部。
その言葉が妙に引っかかった。
俺の知らない何かを、彼女は知っている。
そんな言い方だった。
「もし俺が断ったら?」
白石の表情が止まった。
ほんの一瞬だった。
だけど俺は見てしまった。
彼女の目が揺れた。
「……そっか」
「いや、まだ断ってないけど」
「え?」
「断ったらどうするのって聞いただけ」
「あ……」
白石の顔がみるみる赤くなっていく。
「紛らわしい言い方しないでよ!」
「いや普通の質問だろ!」
「断られたと思ったじゃん!」
初めて見た。
白石凪がこんな顔をするところ。
学校ではいつも落ち着いている。
男子から告白されても丁寧に断って、授業では先生に当てられれば普通に答える。
そんな彼女が今、耳まで真っ赤になっている。
少しだけ面白くなってしまった。
「で、断ったら?」
もう一度聞く。
「…………泣く」
「重いな」
「たぶん三日くらい学校休む」
「重すぎるだろ」
「それから朝倉くんの家の前で――」
「怖い怖い」
白石が吹き出した。
俺も笑ってしまった。
おかしな告白だった。
理由も分からない。
期間まで決められている。
普通なら断るべきなんだと思う。
だけど。
笑っている白石を見ながら、俺は思った。
――もう少し、この子のことを知りたい。
それだけだった。
恋なんて大げさなものじゃない。
ただの好奇心。
少なくとも、そのときの俺はそう思っていた。
「……分かった」
白石の笑い声が止まった。
「え?」
「100日」
俺は言った。
「付き合ってみる」
「…………」
「なんだよ」
「本当に?」
「そっちから告白してきたんだろ」
「そうだけど……」
白石は俯いた。
そして、
「……よかった」
消えてしまいそうな声で呟いた。
まただ。
どうしてそんな――
泣きそうな顔をするんだ。
「白石?」
「なんでもない」
彼女は顔を上げる。
もういつもの白石だった。
「じゃあ今日から恋人だね」
「らしいな」
「よろしくお願いします」
「こちらこそ?」
俺たちは付き合うことになった。
あまりにも突然に。
あまりにも不自然に。
「じゃ、帰ろっか」
白石が教室の出口へ歩き出す。
俺もその後を追った。
「あ、朝倉くん」
「ん?」
廊下へ出る直前、白石が振り返った。
「一個だけお願いしていい?」
「もう?」
「大事なこと」
白石は右手の小指を俺に向けた。
「100日目まで、絶対に私を嫌いにならないで」
「……なんだそれ」
「約束」
「そんなの約束できるかよ。未来のことなんて分からないだろ」
「それでも」
白石は小指を出したまま動かなかった。
仕方なく俺も小指を出す。
指が触れた。
細くて、少し冷たい指だった。
「はいはい。努力します」
「なにそれ」
「絶対なんて無理だから」
「じゃあ私も努力する」
「何を?」
白石は笑った。
「朝倉くんが、私を嫌いにならないように」
その日の帰り道。
人生で初めてできた彼女と、初めて二人で帰った。
コンビニに寄った。
白石はバニラアイスを買った。
俺はいつもの炭酸飲料を買おうとした。
そのときだった。
「朝倉くん、それじゃないよね?」
白石が言った。
「え?」
「朝倉くんが好きなの、こっちでしょ」
彼女が冷蔵庫から一本のレモンティーを取った。
確かに。
俺が一番好きな飲み物だった。
「なんで知ってんの?」
「…………」
白石の動きが止まった。
「俺、学校でこれ飲んでたっけ?」
「……飲んでたよ」
「いつ?」
「いつって……」
彼女は視線を逸らした。
「前に」
「前?」
「うん」
「いつ?」
数秒の沈黙。
そして白石は、
「細かい男はモテないよ」
と言ってレジへ逃げていった。
「おい!」
俺は笑いながら後を追った。
だから、そのときは気にしなかった。
ただ俺のことをよく見ていたんだろう。
俺を好きだったと言っていたし。
それくらいにしか思わなかった。
でも――
今になって思えば。
あれが最初だった。
白石凪が、
俺しか知らないはずのことを知っていたのは。
――100日目まで、あと99日。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
ここから、湊と凪の「100日間」が始まります。
凪はなぜ100日という期限を決めたのか。そして、なぜ湊のことを知っているのか。
少しずつ明らかになっていく二人の物語を、最後まで見届けていただけると嬉しいです。




