九話 ゆずれないもの
「これなんてどうだ? 妹のお古で悪いけど、サイズは合うはずだ」
いつまでもダボダボのポロシャツ一枚というのも、目のやり場と理性の保ち方に困る。
俺は小春を引き連れて二階にある妹の部屋へと向かうと、押し入れの奥深くに仕舞い込まれていたプラスチック製の衣装ケースを引き出した。
防虫剤の独特な香りがふわりと漂う衣装ケース。綺麗に畳まれて保管されていた衣類の中から、小春の小柄な体型に合いそうな薄手のアウターと膝上丈のフレアスカート、そしてシンプルなホワイトのカットソーを選び出し、手渡す。
「……まさか、こんな幼い頃から妹の服を密かにコレクションしてたとは思わなかった。和樹の業は根深い」
「してねぇよ! これは母さんが物持ち良く取っておいてくれたやつ! 意地でも俺を変態に仕立て上げようとするその精神は何なんだ!?」
衣装ケースの中で最も小さい、妹が小学校低学年の頃に着ていた服を手に取った小春が。冷めた目を向けてきたので、俺は全力で否定した。
対象が実の妹というだけで変態度がMAXに近いのに、幼少期とかもはや救いようがない。しかも自室ではなく本人の部屋に置いておくなど、いつ見つかるかわからないスリルやここで過ごしているというシチュエーションまで妄想に盛り込もうとする超弩級の変質者ではないか。
「冗談。あまりにも探す手際が良すぎるのと、明日香がまだ実家で暮らしてると思わなかっただけ。早く一人暮らしして自由になりたいって口癖みたいに言ってたから」
「まぁ、明日香はまだ高校生だしな」
とはいえ、大学を選ぶ条件に『実家から通える範囲』を入れていた彼女が、家を出ていくとは考えにくい。一人暮らしがしたいというのも、単なる大人への憧れとか、家族への憎まれ口だったのだろう。
ちなみに俺の手際が良かったのは、この世界に転移した初日にお菓子を隠してないか探した際、偶然見つけただけ。日頃から姉や妹の衣類をクンカクンカしているわけではない。
「……みんな、今でもここで暮らしてるんだね」
部屋の中で鼻をピコピコと動かし、残香を確かめていた小春が、ふと感慨深そうに呟いた。
「わかるのか?」
「ん。秀樹も香澄も亜弥も明日香も、みんな元気そうで何より」
家族全員の名前を一人ずつ慈しむように呟き、小春は愛おしそうに目を細めた。
父さん、母さん、姉ちゃん、そして妹。自己紹介したわけでもなければ、日常的に名前を呼んでいたわけでもないのに、しっかりと覚えてくれていたらしい。
「……まあ、お前が死んでからも、うちは相変わらず賑やかだったよ」
懐かしい我が家の思い出に浸り、少しだけ目元を緩めながら、俺はしみじみと呟く。
「つまり三人とも絶賛実家に寄生中」
「エモーショナルをぶち壊すなよッ! あとその悪意に満ちた言い方やめろ! 俺も姉ちゃんも社会人として毎月ちゃんと家に金を入れてるし、高校生の明日香ですらバイト代から自分の食費出してるわ! 何なら日頃から家事や畑仕事も率先してやってるわ!」
間髪入れずに放たれたあまりにも辛辣で身も蓋もない言葉に、俺は血を吐くような勢いで弁明した。
「いいか、よく聞け! そもそも田舎ってのは車社会だ! 仮に一人暮らしをしたところで車は絶対購入する! なら通勤時間が二、三十分増えたとしても、実家で暮らした方がコスパ良いだろ!」
一人暮らしなんて、世間体と社会経験以外マジでメリットがない。
それにしたって実家を出なくてもどうにでもなる概念だ。生まれてこの方一度も実家を離れたことがない俺が、こうして異世界でたくましく生き延びている時点で説得力は皆無である。
「恋人が呼びづらいという問題だって、一家全員労働の現代では昼間に誰もいないことの方が多いし、夜や休日はドライブデートに出掛ければ一発解決だ。そもそも気にしないやつも多い。特に兄妹持ちは明日は我が身なので、気を遣って出掛けたり、イヤホンつけて自室に引きこもる。それに頻度にもよるけど、家賃を毎月払い続けるよりたまにラブホ代を払う方が遥かに安上がりなんだよ。外食が準備や後片付けをしなくていいから楽ってんなら、これだってそうだろ? 楽から一人暮らしのやつや夫婦も利用するんだろ? ラブホを絶対に利用しないという極端なやつ以外、実家暮らしと一人暮らしのコスト差は縮まらないからな?」
「なるほど。ここなら人目を気にしなくていいから、私と子づくりしたいと」
「ぜんっぜん違うから服を脱ごうとするな! 俺はただ実家暮らしの合理性を説いてるだけだ!」
ポロシャツをたくし上げようとする小春の手を制止しながら、俺は色んな意味で心臓の鼓動を早めつつ説得兼説教を続ける。
「日ごと週ごとで分担すれば一人暮らししてるも同然! むしろリアルな夫婦分担生活の予行演習になる! 慣れてるから結婚した途端にパートナー任せになったり、二人分の献立考えたり作るのが面倒だからとサボったり、そもそも自炊せずに外食やレトルトばかりなんてことにはならない! 実家で料理や各種手続きのやり方を教わってるやつの方が絶対結婚生活上手くいくぞ!? あと一人暮らしを推奨してる奴等は親の老後や急病をどう考えてるんだ!? 家の処分には数百万掛かるし放置したら税金取られるのに、それでもなお社会経験のためだけに家賃、光熱費、駐車場代で毎月十万以上ドブに捨てろってか!? その他諸々買い揃えて貯蓄切り崩せってか!? 誰かと暮らすだけで出費を何分の一に抑えられて、買い物の手間だって減らせるのに! それで金がない時間がないと嘆いてたら世話ないぜ!」
息もつかさず一気に捲し立てる。
一人暮らし大いに結構。
だが生活が苦しいなら身の丈に合わない一人暮らしなんて今すぐやめるべきだし、実家暮らしを見下す風潮も意味がわからない。親に甘えていて何もできない連中のことを非難したいんだろうが、ちゃんと生活してる人間まで巻き込むな。家族を大切にする精神を馬鹿にするな。「実家暮らしなのに家事やってて偉い!」と他人を褒められる社会であれ。
「たぶん現代の一人暮らし至上主義は、不動産業界や賃貸利権が顧客を増やすためにゴリ押しして、都会に憧れる一部の人々がまんまと共感したことで作り出された、クリスマスやバレンタインみたいな商業主義の産物だよ。それをどうしても肯定したくて実家暮らしはダサいって言ってるだけ」
「とりあえず和樹に将来を考えてる恋人がいないのはわかった」
「うるせええええっ! お前は知らないだろうが、今は三十歳になってようやく結婚を考え始める時代なんだよ! それまで恋愛経験ゼロのやつもザラにいる! むしろそれが大多数になりつつあるんだ! 結婚しないやつも多い! 今年二十八になる姉ちゃんも別に焦ってないしな!」
俺や姉ちゃんが結婚できていないのは実家暮らしだからではない。まだする気がないだけ。
一人暮らしをしようとしていたのも、一度ぐらい経験しておきたかったから。転勤の募集が掛かったからちょうどいいと思ったのだ。学生時代から貯蓄していて資産は十分。結婚したら実家暮らしするつもりだし、相手だって『実家暮らしがOKか』を条件に探すつもりだ。
まぁ異世界で色んな意味で完璧な一人暮らしをしてるから、もう十分だけど。
そして現状一人暮らしのメリットは感じていない。やっぱり俺は家族とワイワイ過ごす方が好きだ。田舎寄りだけど決して不便ではなく、近隣住民がみんな温かい、あの場所が好きだ。
「だから地球に戻るために協力してくれ。俺はあそこでの生活が気に入ってるんだ」
「それはいいけど、身内に自分より悲惨な人がいるから安心する精神はどうかと思う。そんな歪みきった現実逃避で自尊心や世間体を保っても辛いだけ。下じゃくて上を見るべき」
「真面目な雰囲気に戻そうとしてるんだから弄るなよ! 別に安心もしてねえよ! むしろ趣味も仕事も充実してて人生謳歌してる姉ちゃんを心から羨ましがってるよ! というか、週に一度安い店まで車を走らせてまとめ買いしてたからこそ、今この異世界で優雅な生活が成り立ってるんだぞ!?」
俺の熱弁は止まらない。小春の冷ややかな視線を真っ向から受け止めながら、ビシッと人差し指を突き立てて叫び続ける。
「もし俺が都会で一人暮らししてたり、近所にコンビニやスーパーがあるからと油断して買い溜めしてなかったら、食料は四日も持たずに復元が起きる前にジエンドだったんだぞ!? それどころか高圧洗浄機や工具もないから最初の段階で詰んでいたかもしれないんだぞ!?」
たぶん薬箱なんて常備しないからシルヴィアを治療することもできなかったし、今まさに小春に着せようとしているこの妹のお古だって物持ちの良い母さんが押入れの奥に大事に保管してくれていなければ存在しなかったのだ。
「つまり! この圧倒的な生存能力は、実家の圧倒的な備蓄力と豊かなライフラインの恩恵なのだよッ!!」
俺はふんすと胸を張り、実家暮らしの正当性と歴史的勝利を誇らしく宣言するのだった。
「和樹の苦しい弁明はともかく――その服は無理」
「……はい? そこは実家の素晴らしさに感涙して、俺の先見の明に感謝の言葉を述べつつ、有難く受け取る流れじゃないの?」
小春は俺の渾身の反論……いやさ正論を右から左へ聞き流すと、悪びれもせずわがままを言い始めた。
「小春時代もシルヴィア時代もお腹、胸、股には毛がほとんどなかった。だから全身覆われると窮屈で仕方ない。構造的には逆バニーみたいな服が理想」
「いい加減俺の黒歴史を掘り返すのやめてもらえません!?」
一時期、とあるゲームの影響で猛烈にハマり、スマホの検索履歴と画像フォルダをその手の衣装で埋め尽くしていたことがあった。
この妙に察しが良くてドSなお犬様のことだ。そんな衣装を着て「ほらほら和樹の大好きな逆バニーだよ~」とでも言いながら、煽り散らかしてくるところが容易に目に浮かぶ。
そして悲しいかな、昔ほどではないにせよ好みの衣装ではあるので、「悔しい……でも欲望には勝てない……!」と敗北感を覚えつつもガッツリ目の保養にしてしまうに違いない。
男の性欲とは、神の気まぐれによる祝福であり、死ぬまで逃れられぬ悪魔の呪いなのだ。
どれほど相手の年齢が若かろうと、あるいは成熟していようと、どんな容姿であれ、どんな立場や関係性であろうと、理性や倫理の壁を軽々と跳び越えて興奮できてしまう。
そのあさましくも強烈な本能に、男という生き物はいつだって抗えないのだから。
「ま、まぁ、たしかに? 露出度と皮膚の接地面という意味では、人間の服では逆バニーが一番動物の毛皮に近いのかもしれないけど? 慣れない体で無理させたくないし?」
「揺らぐの早い」
「じょ、冗談ですやん……。そんな服はこの家にはないし、裁縫スキルが中学生レベルの俺に作れるわけもないから諦めてくれ。服の締め付け感にもそのうち慣れるって」
一瞬だけ欲望の肯定に走りかけた思考を無理やり引き戻し、俺は動揺のあまりエセ関西弁を交えながら必死に否定した。汗が噴き出しそうだ。
「自分だけズルい」
小春はぷくっと頬をわずかに膨らませると、不満たらたらといった様子でジト目を向けてきた。
「さっきの実家暮らしの件か!? それとこれとはまったく話が違うだろ!」
「違わない。和樹は『実家暮らしは合理的』って主張して自分の好みを正当化した。私も『逆バニーは毛皮に近くて合理的』って主張して自分の快適さを追求してるだけ。構造はまったく同じ。和樹だけ自分の主張を通すのはズルい」
「うっ……!」
たしかに、言われてみればどちらも合理性を盾にした個人の趣味嗜好の話だ。
言いくるめられそうになる自分をなんとか踏みとどまらせる。
「で、でもほら、服を着ないと草木で擦り傷つくったりして怪我するぞ? 虫に刺されたらめちゃくちゃ痒いぞ? それに裸で外を歩いてたら日焼けで肌がボロボロになるし、寒暖差で風邪ひく。毛皮っていう天然のプロテクターがない人間にとって、服こそが防具であり安全性なんだよ」
「平気。私の体は丈夫」
実用性と安全面を強調してどうにか説得を試みるも、彼女の圧倒的なスペックによって一蹴されてしまった。八方ふさがりだ。
こうなったら――もうプライドもへちまもない。
「あ~、服を着てる可愛い小春を見たいなぁ~。着てくれたら俺すっごく嬉しいなぁ~」
俺は一転して下手に出て、甘えるような情に訴えかける作戦に切り替えた。
「む……」
ピクッと銀色のケモ耳が跳ねた。
効いてる!?
「実は俺、全裸よりチラリズム派なんだよなぁ~! 見えそうで見えないギリギリのラインこそが至高の萌えっていうか、隠れてるからこそ想像の余地があって興奮するっていうか!」
つい勢いに任せて口走ってしまった己の性的癖嗜好。
ハッと我に返った時にはすでに遅く、小春の氷のように冷ややかな、しかしどこか生温かいジト目が俺の全身を射抜いていた。
「……なるほど。和樹がただの変態から、より高度で厄介なフェチズムを拗らせた変態に進化していたことはよくわかった」
「こ、これは健全な男のロマンの話であってだな――」
「でも」
俺の言葉を遮り、小春は手に持っていた薄手のアウターとフレアスカートを静かに見つめた。
「和樹が……その方が喜ぶなら……着てあげなくもない」
ぽつりと落とされた言葉。
ほんの少しだけ顔を背け、ぴくぴくと照れくさそうに揺れるケモ耳。無表情を装っているが、尻尾はぶんぶんと千切れんばかりに振られている。完璧なまでのツンデレ反応だった。
心底よかった、と俺は胸を撫で下ろす。
衣類を着てくれることもだが、もしも母さんや姉ちゃんが隠し持っていて「え? タンスの三段目に入ってるけど?」なんて言われた日には、どうしようかと思った。家探ししてる時に結構アレなものは見つけているので、可能性がゼロと言い切れないのが恐ろしいところだ。




