七話 豊作
「なんじゃこりゃあああああ!?」
異世界生活、七日目。
畑の成長具合を確かめるべく、外へと飛び出した俺を待っていたのは、すくすくと立派に育った農作物――なんて言葉では到底収まりきらない、緑のジャングルだった。
「いやいやいや! 一日でここまでなる!? いくらなんでも育ちすぎだろ!」
昨日まで土がむき出しだったはずの区画から、無数の植物が空へ向かって伸びている。
葉、茎、実。すべて見慣れた野菜のパーツであるはずなのに、存在しているスケール感があからさまにおかしい。
「……と、とりあえず、比較的まともなところから確認するか」
現実から目を逸らすように呟き、俺は仕込んでおいた四つの実験区画を順番に見ていくことにした。
まずは一つ目『異世界の土&水なし』。
「……お?」
昨日埋めたニンジンのヘタや種から、小さな緑色の芽が顔を出している。土をほんの少しだけ持ち上げ、朝日に向かって一生懸命に葉を伸ばしていた。
「うん。これは……まあ、普通だな」
一般的な感覚からすればこれでも十分に恐ろしい生育速度だが、常識がことごとく崩壊した異世界においては、まだギリギリ常識の範囲内と言える。
農作物単体の能力はこんなものか。
続いて二つ目『異世界の土&チート水』。
一気にサイズが跳ね上がる。水をたっぷり吸い上げた大根の芽は手のひらサイズまで葉を広げ、土の表面からは丸々とした頭が見えていた。
「昨日に発見したゴミ捨て場の急成長と似てるな。あの時は生ゴミの水切りが不十分だったか、他の野菜の水分を吸い上げてあの現象が起きたってことか」
俺はそのすぐ隣に生い茂る、植物系モンスターの巣窟と化した魔境から必死に目を逸らしながら、平静を装って分析してみせる。
四つの区画のうち、農地として認識できるのはここまでだった。
俺はゴクリと唾を飲み込むと、意を決して足を進めた。
三つ目『地球の土&水なし』。
肥料入りの園芸用土をたっぷりと混ぜ込んだその区画では、ニンジンや玉ネギの茎は人間の腕ほども太く成長し、その根元には地球産の三倍はあろうかという特大サイズの実が鎮座していた。
大根に至っては、どこかの農業コンテストで優勝を狙うために数カ月間大切に育て上げられた特大モンスター級のサイズ。
「これ……本当にニンジンだよな?」
恐る恐る手を伸ばし、フサフサとした巨大な葉を掴んでみる。
「……いや、やめておこう。今力任せに引き抜いたら腰と腕をやりそうだ」
慢心、駄目、絶対。
一度も水を与えていないにもかかわらずこの有様(?)だ。地球から持ち込まれた『土』という物質そのものが持つチート能力が、遺憾なく発揮されている動かぬ証拠だった。
そんなものからあのニンジンを引き抜こうなんて、ショベルカーでも無理かもしれない。
そして――問題の四つ目『地球産の土&チート水』。
「どうなってんだよ!? 加減ってものを知りなさいよ!?」
目の前に広がる悪ふざけのような光景に、俺は全力で突っ込まずにはいられなかった。
まず土と作物が見えない。
巨大化しすぎた葉っぱや太いツルをかき分けて、ようやく奥の確認に成功する。
「ト、トマト……? これ、トマトなのか……!?」
目の前にぶら下がっていたのは、サッカーボールと見紛うほどに巨大で、真っ赤に熟したトマトだった。しかも一個や二個ではない。枝が悲鳴を上げて折れそうなほど、無数にたわわに実っている。
周りを見渡せば、大根は丸太、ニンジンは大の大人、スイカ畑には軽自動車サイズの縞々模様がズラリ。他の作物もことごとく数十倍に巨大化している。
さらには「さすがにこれは無理だろう」とダメ元で埋めておいた紙パックの果汁100%ミックスフルーツジュースの区画ですら、10cmほどの謎の芽が生えている始末だ。
「もしこれが本当に果実だとしたら、もう遺伝子とか関係なく、成分が含まれてたら何でも良いんじゃね? 肉とか魚を植えたらクローン生物でも誕生するんじゃね?」
期待と不安に胸を躍らせながら、とりあえず味を確かめてみることに。
大半の野菜は育ち過ぎたら大味になってマズくなるのが相場だ。それじゃあ意味がない。求めているのは数百人が生きていける大量の食料ではなく、数人分の美味しい作物なのだ。
ガレージから持ってきた大きなプラスチックカゴを脇に置き、まずはハンドボールサイズのプチトマトを収穫してみる。
「プチトマトの重さじゃねえんだよな……これ一個で満腹になるぞ……」
両手でしっかりと抱え込むようにしてもぎ取ると、そのままガブリと丸かじりしてみた。
「……っ!? う、うまぁぁぁぁぁぁい!?」
口の中に広がったのは、圧倒的な濃厚さを持った甘みと酸味のシナジー。水っぽさなんて欠片もなく、極限まで濃縮された極上の完熟フルーツのような味わいだった。
いい仕事してますねぇ~。我が家のチート土と水。
「ふぅ~、食った食った。朝食はもうこれでいいや」
すっかり腹いっぱいになりながら完食し、満足の溜息をつく。
すると背後から、ザクッザクッという重い足音とともに、シルヴィアが鬱蒼とした葉をかき分けてやってきた。
「あ、シルヴィア。おはよう。見てくれよこれ、昨日仕込んだ野菜がえらいことになって――」
「ルゥゥ~~♪」
ご機嫌な鳴き声をあげた相棒は、黄金色の瞳を輝かせるやいなや、甘い香りに惹きつけられるように特大フルーツ群へダイブ。手当たり次第に貪り始めた。
「あーっ!? 俺の実験作物がーッ!」
俺の悲鳴もどこ吹く風。シルヴィアは赤ん坊の頭ほどもある特大イチゴを丸呑みし、口内でジュワッと弾ける果汁の甘さにうっとりとした表情を浮かべる。
すっかり味をしめた彼女は、お次は巨大スイカに頭突きをかまして叩き割った。赤く瑞々しい果肉と果汁が撒き散らかされる中、頭を豪快に突っ込んでシャクシャクと凄まじい音を立てて爆食い。
顔全体を甘い果汁と真っ黒な種でデコレーションしながら夢中になっているその姿は、可愛くないと言えば嘘になるが、これじゃあ実験も何もあったもんじゃない。
「まあ、そんなに幸せそうに食ってるならいっか。どうせこの畑、明日にはまた無限に生えてくるしな」
呆れ半分、諦め半分でその豪快な食べっぷりを眺めつつ、俺は散らかったスイカの種を拾い集めるのだった。
「……ん? なんだあれ」
いくら食べても底が見えないシルヴィアを放置し、生い茂る緑のジャングルを見回っていた俺は、見慣れない物体に気付いて足を止めた。
巨大植物に隠れて見えなかったが、畑のすぐ隣に、なにやら鏡のように朝日の光を反射させる巨大な領域が存在していたのだ。
近寄ってみると、そこにあったのは単なる水溜まり――いや、浴槽十個分はあろう巨大な『池』だった。
「なんでこんなところに池が……? まさか昨日の散水で?」
散水時に地面がえぐれるほどの勢いはなかったし、池ができている場所も畑から離れている。あまりにも無関係だが、他に原因になりそうな出来事が何一つ思い当たらない。
「まぁ高圧洗浄機が水流レーザーになり、釣り糸が切断機になり、金槌が重機以上の砕岩ハンマーになったんだ。ホースから放たれた『本来の用途が強化された水』が、地中深くの水脈を刺激して新たな湧き水を呼び覚ましたとしても不思議じゃない……か?」
無理矢理脳内で理屈をこじつけ、自分を納得させていると、フルーツを満足ゆくまで食い荒らして口の周りを真っ赤に染めたシルヴィアが、のっそりと姿を現した。
「なぁシルヴィア、どうも昨日の散水で作られたっぽいんだ。これ、飲めそうか?」
俺がそう尋ねるよりも早く、彼女は豪快にその巨躯を躍らせると、バシャーンと凄まじい音を立てて池の真ん中へとダイブした。
「うわあぁぁっ!?」
津波のように押し寄せた大量の冷たい水飛沫を真正面から派手に浴び、俺は瞬く間に頭からつま先までビショビショの濡れ鼠に変身させられた。
一方、気持ちよさそうに水面にポッカリと浮かんだシルヴィアは、俺のことなどお構いなしで「ルゥ、ルゥ」と楽しげに喉を鳴らしている。
「やれやれ……さては、ここに池ができてること知ってたな? とっくの昔に試飲済みだな?」
袖で顔の水分を拭いながら問いかけると、シルヴィアは「ガルゥ」と誇らしげに鼻息を吹き出し、濡れた銀毛を朝日にキラキラと輝かせながら得意気な顔をしてみせるのだった。
シルヴィアが突如として耳をピンと立てた。
それまで楽しそうに池の中で水浴びをしていたというのに、その動きがぴたりと止まる。
「……シルヴィア?」
呼びかけても、返事の代わりに低い唸り声が返ってきた。静かな動作で池から地上へと這い出てくると、全身の美しく濡れた銀毛を逆立て、黄金色の瞳が森の深い闇を鋭く見据える。
その直後。
バキバキバキィッ!!
森の奥から、巨木がなぎ倒される凄まじい音が響いた。
ズシン……ズシン……と大地を揺らす足音が近づくたび、足元から嫌な振動が伝わってくる。俺は生唾を飲み込み、思わず息を呑んだ。
そして、倒れた木々の向こうから、黒い巨体がぬっと姿を現した。
「……なんだよ、あれ」
体長は三メートルを優に超えている。全身を覆う漆黒の毛並みは、ただの獣の毛とは思えないほど分厚く、朝日を受けて鈍い金属光沢を放っていた。丸太のように太い四肢と、盛り上がった凶悪な筋肉の塊。頭部からは鋭利な一本角が生えている。
熊のような姿をしているが、俺の知っている熊とは別次元の怪物だ。
その真っ赤に血走った目が捉えたのは、朝日に照らされて煌めく池と、甘く芳醇な香りを放つジャングルだった。
「くっそ! 食料が狙いかよ!」
考えてみれば当たり前のことだった。干上がった森の中にこれほど濃密な生命力の源泉が爆誕すれば、腹を空かせた狂暴な獣達が惹き寄せられないはずがないのだ。
「ガルアアアアアッ!!」
俺の叫びに応じるように、角熊は耳をつんざくほどの雄叫びをあげると、地面を激しく削りながら猛然とこちらへ突進してきた。
「ガウッ!」
シルヴィアが爆発的な速度で地を蹴った。濡れた銀毛からキラキラと水飛沫を撒き散らしながら、一瞬で角熊の死角となる側面へと潜り込む。
ドガァァンッ!!
シルヴィアの巨大な前脚から繰り出された一撃が、角熊の側腹へと容赦なく叩きつけられた。三メートルを超える巨体が力任せに吹き飛ばされ、激しく地面を擦ってよろめく。
だが、角熊は強靭な体躯と凶悪な膂力を生かして強引に踏み止まると、即座に体勢を立て直した。頭部のねじれ角を低く構え、槍のように真っ直ぐ突き出すと、シルヴィアへ向かって突撃を仕掛ける。
「ルゥアッ!」
シルヴィアは持ち前のしなやかな身体能力を発揮し、バネのように軽快に空へと躍り出た。巨躯の頭上をすれ違う凶悪な一本角を紙一重の差で軽々と躱してみせる。
――その着地の瞬間だった。
水飛沫によって足元がぬかるんでいたせいで、着地した右前脚が一瞬だけズルりと滑って沈み込む。
体勢を崩したわずかな隙を、角熊は見逃さなかった。地を薙ぎ払うような角熊の太い腕が振り抜かれ、シルヴィアの背中を強かにかすめ打つ。
ザシュッ!!
「クゥンッ……!」
肉を切り裂く嫌な音が響き、美しい銀毛が真っ赤な鮮血に染まった。
「調子に乗ってんじゃねぇぞ、このクマ公がああぁぁっ!!」
相棒の血を見て、俺の頭の中で何かがぶち切れた。
腰に差していた金槌の柄を引っ掴むと、恐れも忘れて一直線にダッシュ。傷ついたシルヴィアへ追撃を加えようとしていた角熊の前に立ちはだかり、全身の体重を乗せて金槌を振り下ろした。
パンッ!!
爆竹を耳元で破裂させたかのような乾いた破壊音が響き、チート金槌の直撃を受けた角熊の巨体は、半分ほど弾け飛んだ。
「はぁ……ッ! はぁ……ッ!」
心臓がうるさいくらいに暴動を起こしている。両手がガクガクと震えている。全身から激しい冷や汗が噴き出してくる。
でも、今はそんなことどうでもいい。
「シルヴィア! 大丈夫か!?」
俺は血に塗れた金槌を放り出すと、シルヴィアの元へ駆け寄った。
「ル……ゥ……」
横たわるシルヴィアの脇腹からは、今も鮮血がダラダラと滲み出ていた。荒い息を吐き、黄金色の瞳も辛そうに揺れている。
「くそっ、どうすれば……そうだ! バリアの中なら傷の回復が早くなるんじゃないか!? 薬だって家の中にたくさんあるし、あそこなら絶対に安全だ!」
地球産の土、地球産の草、そして地球産の空気。我が家の敷地内はあらゆるチート補正が満ちている。少なくとも、こんな危険な森の中に放置するよりは何倍も傷の治りが早いはずだ。
「シルヴィア、ちょっと痛むかもしれないけど我慢してくれよ」
俺は服が血で汚れるのも構わず、シルヴィアの巨大な身体の下へ強引に肩を入れた。
想像以上に重い。ズッシリとした圧力が押しつぶしてくる。だが、歯を喰いしばって腕に全身の力を込める。
俺自身が強くなったわけでもない。治せる保証もない。異物を入れることで地球に戻れなくなるかもしれない。復元がなくなるかもしれない。インフラが消えるかもしれない。
それでも、目の前で血を流している大切な相棒を置いていく選択肢は、一ミリだって存在しなかった。




