六話 農業
異世界生活、六日目の昼下がり。
今日も今日とて調査を兼ねた森の開拓作業に汗を流していた俺は、家の裏手にひっそりと作っておいたゴミ捨て場の光景に、我が目を疑った。
「……これ、昨日捨てた大根やニンジンだよな?」
敷地内だと四日周期の復元で更地に戻ってしまうため(実際、抜いた雑草は元通りに生え、生ゴミ用に掘った穴も消えていた)、異世界で野菜が育つか実験的な意味も込めて、日々の料理で出た野菜の端切れや皮を埋めていた場所だった。
埋めたのは復元発生後――つまり昨日。
にもかかわらず、ニンジン特有の繊細でフサフサとした緑の葉が茂り、盛り上がった土の隙間からは丸々と太った大根がひょっこりと顔を出していた。
毎日欠かさず見回りをしているが、昨日の夕方には影も形もなかったはず。
それがたった一晩、わずか十数時間の間にここまでの急成長を遂げている。
試しに大根を一本引き抜いてみると、ズッシリと重く、瑞々しい水分をたっぷりと含んでいた。土を払えば虫食い傷一つない、まさに農家が丹精込めて育て上げた極上の採れたて野菜そのものだ。
「肥料どころか、水やりすらしてないのに……」
まさか、地球から持ち込まれた野菜の生命力までチート化しているのか、それともこの異世界の土壌と太陽光に凄まじい育成の魔力が秘められているのか。
どちらにせよ、これが何を意味するかは明白だった。
「決めた! 今日の午後は急遽『異世界農園開拓計画』に変更!」
目の前の無限の可能性にテンションを爆発させた俺は、収穫したての野菜達を両手に抱え、種や野菜の端切れをかき集めるために家中を駆け回るのだった。
「シルヴィアさーん! いますかー! ちょっと手伝ってほしいことがあるんですけどー!」
俺は大農園開拓に向けた助力を求めて、すっかり彼女の専用住宅と化した旧資材小屋の扉を叩いた。
もちろん広大な土を掘り返す力仕事を手伝ってもらうためでもあるが、害獣が襲来しない日であっても彼女に美味しい食事を献上し続け、友好関係を維持するのが一番の目的だ。
ただ与えるだけではなく、一緒に汗を流したり作業を手伝った対価としてご馳走を受け取れば、この拠点に対する愛着も一層湧くはず。そうなればここに住み続けたいと心から思ってくれるに違いない。
「あっれ~? いないのかな?」
何度呼びかけても返事はなく、静まり返った小屋の中を覗き込んでみたが、主の姿はどこにもなかった。
「今のうちに置き去りになってる物資を回収しちゃいたいところだけど……後でバレたら絶対ブチギレるからなぁ……」
目の前のお宝に伸ばしかけた手をグッと引っ込め、俺は一旦小屋の外へと引き返した。
その時だった。小屋の裏手に広がる鬱蒼とした森の木陰から、何やらガッツンガッツンと重苦しい不穏な金属音が響いてきた。
「――っ! 敵か!?」
俺は慌てて旧小屋の中に飛び込み、床に転がっていた金槌へ手を伸ばした。
「うわっ!? なんだこれ、ヌルヌルでベタベタだ!?」
グリップを握ると、謎の生温かい液体で濡れていて思わず引きつった声をあげてしまう。シルヴィアが味見でもしたのだろうか。
涎であろう液体を作業着の裾で拭いながら、音のする木陰へそっと視線を向けた。
「……なんだシルヴィアか」
そこにいたのは敵ではなく我が相棒だった。
彼女は目の前の木に向かって、頭を勢いよく振って何かを叩きつけていた。よく見ると、口には金槌が咥えられている。片面が釘抜きになっている箱屋金槌だ。
ガツンッ!!
澄んだ硬い音が森に響くも、木肌に浅い傷がつくだけ。この森の中では比較的小さめとはいえ、直径1メートル近い鉄骨をへし折るには力が足りないらしい。
シルヴィアは不思議そうに首を傾げると、今度は「ルゥッ!」と気合を入れて、さらに強く叩きつけた。
(な、何やってんだ……? 筋トレ? それとも俺の開拓作業手伝ってくれてるとか?)
などと考えていると、木がまったく折れないことにイラ立ったのか、シルヴィアは牙を剥き、巨大な前足の爪で一両断してみせた。
(あんな芸当ができるなら道具使う意味ないな。じゃあなんで……あっ、そういうことか! シルヴィアは全部見てたんだ!)
俺は物陰で膝を打ち、これまでの彼女の不審な行動のすべてを理解した。
高圧洗浄機で大木を薙ぎ払い、ナイフやスコップで地面や木を豆腐のように切り裂いていた俺の姿を見た彼女は、あの道具には凄まじい力が秘められていると勘違いしたのだろう。だから運び込まれたタイミングで小屋ごと奪い、使いこなす特訓をしているのだ。
それなら、この金槌のグリップが唾液でベタベタだったことも辻褄が合う。
(夜中のうちに試したけど、発動しなかったから別の金槌を試してるんだな)
「ルゥー! ルゥー!」
どうしても諦めきれないのか、シルヴィアは金槌を咥えたまま上空高くへ首をブンブンと振り回し、まるで破壊の呪文を唱えるかのように咆哮してみせる。
しかし、どれほど必死に振るおうと、金槌からは一筋のスパークすら飛び出さない。
「ぶっ……くくっ……ハハハハ! 残念だったな、シルヴィア! その金槌は、俺が使って初めてチート性能を発揮するんだよ! お前が振るってもただの重い鉄くずでーす! 貴重な情報どうもでーす!」
あまりの愛らしさと勘違いに腹を抱えて爆笑しながら、俺はここぞとばかりに物陰から躍り出て、指をさしてドヤ顔で煽り立てるのだった。
「ッ……!?」
腹を抱えて笑う俺の姿を目にした瞬間、シルヴィアの全身の毛が逆立ち、黄金色の瞳がつり上がった。
必死にハンマーを振り回していた恥ずかしい姿をバッチリ観察され、あからさまに腹を抱えて馬鹿にされたと悟ったのだろう。彼女のプライドは今、完全に砕け散っていた。
「グルルルルル……ッ!!」
口からポロリと落ちた金槌が地面へ転がるのと同時に、地の底から響くような地鳴りのごとき唸り声が森の空気を震わせる。
金色の瞳に宿る怒りの炎は、さっきまでの愛らしい試行錯誤が嘘だったかのように、猛獣の威厳を取り戻していた。
「あ……やば……」
俺の顔から笑いが一瞬で吹き飛んだ。
調子に乗りすぎた。比較対象が現れてくれたお陰で、地球の道具は俺しか使いこなせないとわかって、つい優越感と余裕が生まれてしまった。
「ガアアアアッ!!」
激怒したシルヴィアが、空気を爆破するような咆哮とともに突進してきた。馬ほどもある巨大な銀色の巨躯が凄まじい勢いで迫ってくる。
「ひええええええっ!? ごめんなさい冗談ですッ!!」
俺は脱兎のごとく踵を返すと、新築の大倉庫へとダッシュした。
背後から迫る凄まじい風圧と、バキバキと踏み折られる枝の重苦しい音。死の恐怖に背中を追われながら、間一髪のところで倉庫の頑丈な二重扉へ飛び込み、内側から閂を打ち込んで鍵をかけた。
ドゴォォォンッ!!
直後、激しい衝撃が倉庫全体を襲った。
シルヴィアの頭突き(あるいは飛び蹴り)を喰らった扉が大きく揺れ動く。しかし、単管パイプを地中深くまで打ち込み、チートビスで寸分の隙もなく組み上げたこの要塞倉庫は、ミシミシと嫌な音を立てつつも完璧にその一撃を受け止めてみせた。
「ふ、ふははは! 見たか! これが本物のチートの力だ! いくらお前でも、この二重扉は破れまい!」
扉の隙間に設置した小窓からこっそり外を覗くと、鼻先を激突させたシルヴィアが「ガルル……」と悔しそうに鼻息を吹き出し、前脚の鋭い爪でガリガリと扉を引っ掻いていた。
しかし怒りはすぐに収まり、倉庫の前からいなく――ならない!
五分ほどジッと息を潜めて粘ってみたものの、扉の外から漂う圧迫感と気配は一向に遠ざかる様子がない。どころか、ご立腹のまま扉の前で座り込み、完全に持久戦の構えに入っている。
誰だよ怒った時は6秒堪えてみようなんて言ったやつ。ピーク過ぎるどころか腰据えちゃったじゃん。
「あ、あのですね、シルヴィア様。私も心から反省しているんです。どうか怒りを鎮めてはいただけないでしょうか。もし農園の開拓作業をちょっぴり手伝っていただけるなら、今夜はあの黒毛和牛の残りを大サービスしちゃおうかな〜なんて思うんですけど……いかがでしょうか?」
扉越しに怯えと焦りが混ざりきった営業スマイルで提案してみると、外のガリガリという爪立てる音がピタリと止まった。
金色の大きな瞳が、小窓の隙間からじーっとこちらを覗き込んでくる。
「あ、興味持った? 地球の極上和牛、お腹いっぱい食いたい?」
さっきまでの世界を滅ぼさんばかりの激怒はどこへ行ったのやら、黒毛和牛の魔力の前に、彼女の耳がピコピコと実にわかりやすく揺れ始めていた。
「しかも今なら冷たくて美味い水と、採れたて極上野菜もセットで食べ放題!!」
「ルゥ!?」
野菜という言葉には若干疑問符が浮かんだようだったが、美味い水と肉の食べ放題という魅惑のコンボに食いつかないはずがなかった。
「よしっ、契約成立だな! じゃあドア開けるから、絶対噛みついたり引っ掻いたりしないって約束してくれよ? 頼むぞ?」
恐る恐る閂を外し、重厚な二重扉をゆっくりと開くと、そこにはお行儀良くお座りをしたシルヴィアが待っていた。
さっきまでの逆立った銀毛はすっかり収まり、フサフサの尾が地面の落ち葉をシャッシャッと忙しなく掃いている。目は「肉! 肉をくれ!」と全力で訴えかけていた。
「よしよし、いい子だ。じゃあまずはあの裏手の雑草と固い土を一緒に耕しに行くぞ!」
俺は倉庫にあった鍬を手に取ると、現金な相棒とともに、異世界大農園の開拓へと乗り出すのだった。
「そこだシルヴィア! そのまま一気に行けっ!」
「ルゥアッ!!」
俺の威勢の良い掛け声に応え、シルヴィアが凄まじい脚力を込めて前脚の鋭い爪を地面へと叩きつけた。
バリバリバリッ!!
地響きのような豪快な音とともに、長年この地に根を張っていた巨大な樹木の根っこや、カチカチに固まっていた手強い岩盤が粉砕され、黒土ごと掘り返されていく。
「す、すげぇ……! さすが異世界! やっぱ道具なんて頼らなくて良いじゃん!」
俺も負けじと、チート化された鍬を両手に握りしめ、掘り返された土塊へと振り下ろした。
ザクッ! サクサクッ!
本来なら何度も踏み固められた土を耕すのは重労働だ。しかし、鍬の刃先が土に触れた瞬間、粘土質の硬い土壌はサラサラの腐葉土へと姿を変えていく。
広範囲を耕せたり、体力が減らないということはないが、十分すぎる性能だ。
休憩を挟みながら三時間ほど没頭した結果、一人と一匹の息の合った超絶プレイによって家の裏手一面を覆っていた草木は跡形もなく消え去り、広大な耕作可能エリアが出来上がっていた。
「ふぅーっ! 完璧だ! これなら客が何十人来ても大丈夫だな!」
俺は美しく並ぶ広大な畑を見渡し、感無量の声を漏らした。
「成長の違いを調べたいから、いくつか条件を変えて区画を分けてっと……次は種撒きだな。まずは定番の玉ネギとニンジン、大根、それと果実の皮も試してみよう。地球では無理でもこっちなら芽を出すかもしれないし」
早速、かき集めた端切れや種を、均等な間隔で撒いて、土を被せていく。
「んで最後は水やりだ」
もちろん使うのは、我が家の最終兵器である高圧洗浄機……ではなく、ごく普通の庭の散水用ホースノズル。
外壁の蛇口にホースを繋ぎ、手元のダイヤルを『シャワー』に合わせる。土が跳ね返らないよう水圧を弱めに調整し、ゆっくりとレバーを握りしめると、きらきらと午後の日差しを反射する細かなミストが、黒々とした畝へと優しく降り注いだ。
「…………」
「ん? どうしたシルヴィア? 水がそんなに珍しいのか?」
ふと横を見ると、シルヴィアが驚いているような怯えているような、はたまた歓喜しているような、何とも言えない表情を浮かべたまま硬直していた。
そういえば昨日、和牛と一緒にボウルで出してやった水にも、彼女は一切口をつけなかった。
ただ喉が渇いていないだけかと思っていたが、もしかするとこの世界の水とは見た目や匂いが違うのかもしれない。土地が干からび、木々は鋼鉄のようで、川なども見当たらないこの森の惨状を考えれば、水が超貴重なものの可能性すらある。
「まぁ一口飲んでみりゃわかるって」
俺はノズルからとめどなく流れ出る水に手を当て、そこに溜まった透明な水に口をつけた。ゴクゴクと音を立てて飲み干すと、喉を鳴らして「ぷはっ」と息をつく。
「ほら、全然大丈夫だろ? 冷たくて美味いぞ」
そんな俺の動作を、シルヴィアは未知の儀式でも見るかのように固唾を飲んで注視していた。その耳が緊張と興味でピクピクと小刻みに揺れている。
俺は同じように手のひらにたっぷりと水を溜めてから、怯える彼女の鼻先へとそっと差し出す。
「ルゥ……?」
恐る恐る首を伸ばしてきたシルヴィアは、湿った鼻先を近づけてヒクヒクと匂いを嗅ぐ。未知の液体から漂うあまりにも清冽な気配に戸惑いつつも、やがて意を決したようにピンク色の大きな舌をペロリと伸ばし、その水面を舐めとった。
「ガ、ガルゥゥゥーーーッ!!」
「うわっ、落ち着けって! そんな飲みたければノズルから直で飲めばいいから!」
歓喜の咆哮をあげ、俺の手のひらに顔を押し付けて、ガブガブと激しい勢いで水を貪るシルヴィア。
あまりの勢いに俺の手から溢れた水が地面へと零れ落ちるが、彼女はそれを一滴たりとも逃すまいと、地面に染み込む前に必死で舌を動かす。
慌ててノズルを彼女の口元へ向けてやると、シルヴィアは子犬のように喉を鳴らしながら、夢中で純水を口に含み続けた。
獰猛な獣ですら一瞬で虜にしてしまう、地球産の水。
満足いくまで水を飲み干し、口元をびしょ濡れにしながら誇らしげに鼻息を荒くする相棒の姿に、俺は「やっぱりこの水もバグってるな」と苦笑いを浮かべるのだった。




