四話 復元
異世界生活、五日目。
未知のキノコを食した翌朝ということもあり、念のため目覚めとともに腹のあたりをそっと撫でさすってみたが、激痛どころか違和感すら皆無。体調はいたって万全、すこぶる快調だった。
「まあ、ステータス上昇とかスキル習得みたいなファンタジーなオマケもないけどな」
苦笑しながらも、喉から手が出るほど欲しかった食料調達ルートが確保できた安心感は計り知れなかった。
パンッと両手で頬を叩いて気合を入れ直し、ベッドから起き上がる。朝食の準備に取りかかるため、俺は足取りも軽やかに1階のキッチンへと向かった。
「…………は?」
朝日が差し込むキッチンに立ち、いつものように冷蔵庫のドアを開けた瞬間、俺の思考は停止した。
何故なら冷蔵庫の中身が増えていたから。
一番上の段には、一昨日に全部使い切ったはずの特売の黒毛和牛パックが何事もなかったかのように鎮座している。ドアポケットには、昨晩のカレーと今朝の水分補給で綺麗に飲み干したはずの牛乳パックが、未開封の状態で二本並んでいた。さらに卵ケースを見れば、オムレツで消費して残りわずかだったはずの卵が十個満タンに詰まっている。野菜室を覗いても、とっくに消費したはずのキャベツやネギが瑞々しい姿で復活していた。
食品庫の中も同じ。ここは賞味期限が長いレトルトや缶詰ばかりで、ほとんど手を付けていなかったのでわかりづらいが、米袋の中身が増えている気がする。
逆に、昨日までパンパンに膨らんでいて処理をどうするか悩んでいたキッチンのゴミ箱の中身は、跡形もなく消え去っている。
「て、転移した日に……戻ってる……!?」
まさか時間そのものが巻き戻ったのか!? これまでの四日間の出来事や、あの激闘も、すべて夢だったというのか!?
俺は半ばパニックになりながら玄関へ走り、サンダルをひっかけると、外へ飛び出した。
目の前に広がっていたのは、泥だらけになりながら汗と筋肉痛の果てに完成させた、鋼鉄の木材による頑丈な防護柵。サバイバルナイフや高圧洗浄機で切り開いた森の風景もばっちり残っている。
「よ、よかった~! 時間が巻き戻ったわけじゃない! 戻ったのは家の中だけだ!」
俺は我が家を見上げ、胸を撫でおろしながら深く息を吐き出した。
だが、そこで俺の脳裏に、一つの疑問が浮かび上がった。
「……待てよ? これ、家から持ち出したものはどうなるんだ?」
例えば、ガレージの棚にあったトラックロープ。俺は昨日、それをガレージから外へ持ち出し、防護柵の杭を固定するために使った。
敷地内にある消耗品や食材が転移した時の状態へ戻ったのだとしたら、外で使ったあのロープはどういう扱いになるのだろう?
「柵を固定したまま外に残ってる? それとも外のロープは消滅してガレージの棚に戻ってる? もし外で使った分はそのまま残って、敷地内だけ元通り復元されるんだとしたら――」
俺は弾かれたようにガレージへ向かって走り出した。扉を力任せに押し開け、薄暗いガレージの中へ滑り込むと、一直線に棚へと駆け寄る。
「あるっ!!」
そこには、昨日俺が持ち出したはずの頑丈なトラックロープが、新品同様の綺麗な束になって整然と収まっていた。
震える手でそっと触れてみる。冷たくて頑丈なナイロンの編み目の質感。手のひらに伝わる重み。目の前にあるのは、紛れもなく本物のロープだ。
ガレージから飛び出した俺は、心臓がバクバク鳴るのを感じながら、防護柵の元へ全力疾走した。
荒くなった呼吸を整えるのも忘れ、柵の根本で膝をつき、地面に突き刺さった杭の根元を覆うよう結び付けられたトラックロープを凝視する。
――ある。消えていない。
「はは……ハハハハハッ!!」
抑えきれない笑いが、喉の奥から込み上げて溢れ出した。
「無限に食える! 肉も、野菜も、卵も、米も! 消耗品も使い放題! それだけじゃない! 物資を増やせるし、バリアやインフラも復元対象に含まれるなら絶対尽きないってことだ!」
家の中の物は使っても元通りに復元され、外に持ち出した物は新しく補充される。
あまりにも破格、あまりにも規格外なチート性能に、俺は突き抜けるような青空を見上げて天を仰いだ。
サバイバルにおいて最も恐ろしい飢えと渇きの恐怖。そして、いずれ訪れるはずだったインフラと消耗品の途絶という絶望。異世界に放り出されて以来、俺の胸をしつこく押し潰そうとしていた二大懸念が、跡形もなく綺麗さっぱりと吹き飛んだ瞬間だった。
「ビィィィーーム!!」
バシュゥウウウウッと激しい水流音が森の静寂を切り裂く。
高圧洗浄機のノズルから放たれた極太の青白いウォーターレーザーが、鉄のように硬い巨木達を面白いように両断していった。
おそらくこの復元は四日に一度起きる。そこでこの頑丈な木々で敷地外に資材保管小屋を作り、食料や工具、生活用品を運び出して無限増殖しようという算段である。
物資を車に詰め込んで外に放置しておく方法も考えたのだが、復元の細かい周期や上限などが判明していない以上、一発勝負のような冒険は避けるべきだ。あの巨体が森の獣を興奮させてしまうかもしれない。車も物資も、万が一盗まれたり壊されたりしたら立ち直れない。
細かな条件はこれからじっくり検証するとして、まずは確実にできる資材小屋の設営から。
舞い上がる土煙の中、俺はふうっと息を吐きながらノズルを下ろした。
「まったく、いつ見てもおかしい火力だな……」
目の前の惨状を見つめながら呟く。
本来なら大型重機を何台も投入しなければならないレベルの整地作業だが、ものの数分でテニスコートほどの平地が完成してしまった。
水道と電源。この致命的な二つの弱点がなければ、このチート兵器を引っ提げてこんな森は早々に脱出できていただろうに。
「所詮こいつは四天王の中でも最弱。水道ホースとコンセントコードが届く範囲でしか活躍できない悲しき固定砲台よ」
ニヒルな笑みを浮かべつつ高圧洗浄機を片付けると、俺は腰に差した鉈とスコップを手に、加工作業へと取りかかった。
俺が最初に選んだのは直径2メートルを超える巨木。チート化された鉈を豪快に振り下ろすと、ズバァンッという鈍く心地よい音とともに一刀両断された。数回振り下ろすだけで、丸太は人間でも運べる大きさの角材となった。
「はい、一本目完了。次はスコップの番だな」
続いてスコップを手に取る。
これを建築道具として使うのは我ながら斬新な発想だと思うが、試してみるとこれが意外と使える。スコップの先端部分は真っ直ぐで平らなので、木材の表面を削ったり平面を作ったりするのに最適なのだ。
信じられない速さで作業が進み、わずか三時間後には、がっしりとした四本の柱と数十枚の板材が出来上がった。
「よっし! あとはこれを組み合わせて資材置き場を……ん?」
切り出し終えた板材を何本か集め、土台と柱用に並べてみたところで、ピタリと俺の手が止まった。
「ズ、ズレてる……」
遠目には綺麗な直線に見えていた板材だったが、いざ重ね合わせようとすると、大きな隙間ができてしまっていた。
目測と感覚だけで大雑把に切り分けたツケが、ここに来てはっきりと目に見える形となって現れたのだ。
どんなに道具の性能が良くても、動画で得た知識があっても、扱う俺はDIY素人。切り口が歪んでいれば、当然それ等を組み上げた時にグラグラの欠陥建築になってしまう。
「うーん、どうしよう。正直そこまでちゃんとしなくても、雨風さえ防げればいいっちゃいいんだけど……」
顎に手を当てて唸る。
本命は、ガレージの奥に眠っている単管パイプで組む本格的な小屋だった。
数年前までガーデニングの棚に使っていた金属製の単管パイプとクランプ類。金具をボルトで締めるだけで接合できるあれを使えば、素人の俺でも垂直で頑丈な本格的資材小屋が作れるはずだ。
ガレージに残っているパイプの数だけでは小屋を建てるには到底足りないという問題があったが、それも復元のお陰で解決している。
パイプとクランプを一旦すべて外へ運び出しておき、四日後にリセットが来たら、新しく棚に補充されたパイプをまた運び出す。それを二、三回繰り返せば、ガレージ並みに強固な鉄骨資材倉庫だって簡単に作れてしまう計算だ。
「せっかく作るならちゃんとしたものにしたいしなぁ。かといって数が揃うまで何もしないのも、数回分の増殖チャンスを損するみたいで勿体ない。何かいいアイデアないかなぁ」
俺は唸りながら家へ引き返すと、リビングのソファに腰掛けてスマホで検索を開始した。
異世界に来てからも、自宅のWi-Fiとネット環境が完璧に繋がっているのは本当にありがたい。
「ほう! 墨つぼとな!」
画面をスクロールしながら感嘆の声を漏らす。
墨汁を含ませた糸を木材の端から端までピンと張り、指でつまんで弾くと、木肌に一瞬で狂いのない直線が引ける伝統的な大工道具らしい。
「でも惜しいな。問題は真っすぐの線が引けないことじゃなくて、俺の腕じゃ真っすぐ切れないことなんだ。それにガレージの工具箱で見かけたのは釣り糸だし」
サイトには『釣り糸に使われてるPEラインは墨がつかないので無理』と、わざわざ書いてあった。
ため息をつきながら別の方法を探しかけた、その時。俺の脳内に電撃のような閃きが走った。
「……待てよ? 糸で直接切断できるんじゃないか? なにせ地球産だし! 墨つぼって威力がないだけでやってること切断機だし!」
万能包丁も、園芸用スコップも、地球産の道具はすべて凄まじい能力を獲得していた。もしも、釣り糸がチート化しているとしたら、パチンと弾くだけで、鋼鉄すら寸分の狂いもなく一瞬で直線に切り落とせるかもしれない。
思い立ったら即実行。
俺はソファから跳ね起きると、ガレージへダッシュして父さんの釣り具箱を開けた。ゴソゴソと奥を探ると、目当ての代物があっさりと見つかった。投げ釣り用の強力なPEラインだ。
「よし、これで試してみよう」
定規と油性ペンも持ち出し、ガタガタだった角材の側面の寸法を測って小さな印をつける。どうせ一直線に切れるはずだ。目印は両端の二箇所だけで十分だった。
そして、切り出した緑色の釣り糸の片端を、近くの頑丈な立木にしっかりと縛り付けて固定。もう片方の端を右手の食指にうっ血するほどきつく巻きつけた。
「……頼むぞ」
ぐっと力を込めて糸を引き伸ばすと、ピンッと高い金属音のような緊張音を奏でた。
印をつけたガイド線の上に、寸分の狂いもなく糸を重ね合わせ――左手の親指で勢いよく弾いた。
パッチン、と乾いた心地よい音が森に響き渡る。
直後、木屑すら飛ばずに角材の先端が重力に従ってポロリと地面へ落ちた。
「うおあああああっ! マジで成功しちゃったよ!」
俺は思わずその場にしゃがみ込み、切断面を凝視した。
そこにあったのは、研ぎ澄まされた鏡のように平滑な木肌だった。指先で撫でても一切の引っかかりがない。寸分の狂いもない完全なる垂直の直線。どれほど熟練した大工が精密な電動丸ノコを使ったとしても、これほど美しい切り口は作れないだろう。
「これは……建築したくなっちゃいますなぁ……」
もはや大工道具不要。必要なサイズの木材をその場で切断できるのだ。しかも超高速で。
大工が顔青ざめるチート性能を手に入れた俺は、興奮に震える手で釣り糸を握り直し、次なる資材の加工へと取りかかった。




