三話 異世界生活
「本当に夢じゃなかったんだな……」
異世界生活、二日目。
カーテンを開けると、目に飛び込んできたのは昨日と変わらぬ異形の原生林。窓の向こうに広がる異世界の景色に淡い希望を打ち砕かれつつも、俺は大きく深呼吸をして腹を括った。
「落ち込んでる暇はない。まずは使える手札を全部確かめるんだ」
朝食の食パンを口に咥えたまま作業着に袖を通すと、重い足取りで玄関を出てガレージへと向かった。
ガレージのシャッターをガラガラと音を立てて押し上げると、朝の光の中に浮かび上がったのは、父さんが休日のたびにピカピカに磨き上げていた愛車――漆黒のボディが光る国産SUV。
これが俺の切り札であり、頼みの綱だ。
高圧洗浄機が大木を薙ぎ払うレーザーになり、ナイフやスコップが豆腐のように地面を切り裂いたのだ。ならば、この1.8トン超えの重量を誇る鋼鉄の塊、そしてガソリンで動く現代文明の結晶であるSUVなら一体どうなってしまうのか?
バンパーからビームでも出るのか、はたまた重力を無視して空でも飛べるようになるのか。最悪でも、巨大モンスターにも負けない攻防一体の要塞にはなってくれるはずだ。
「頼むぞぉ~。お前がいてくれれば、この世界の探索範囲が一気に広がるんだ」
祈るような気持ちで、スマートキーを握りしめて運転席のドアに手をかけた。懐かしい新車の匂いと本革シートの感触が、一瞬だけ地球の記憶を呼び覚ます。
指先に力を込め、エンジンスタートボタンを力強く押し込む。
ルルッ……ブォォンッ!!
低く重厚な排気音がガレージ内に心地よく響き渡った。メーターパネルの液晶が鮮やかに立ち上がり、ガソリンは頼もしくも満タンを示している。
「いくぞ……異世界初ドライブだ!」
ギアをドライブに入れ、サイドブレーキを解除。アクセルペダルをじわりと踏み込み、漆黒のSUVをガレージから外の広場へとゆっくりと発進させた。
「さあ来い! 空を飛ぶのか!? バリアが張られるのか!?」
全身の筋肉を硬直させ、いつ大爆発や浮遊が起きても対応できるよう最高潮に身構えていた俺だったが――車体は何の音も立てず、ぬるりとバリア外の未開の森へと滑り出ただけだった。
「あ、あれ……? 何も起きない……?」
変形もしなければ、光の翼が映えることもない。
アクセルを踏み込めば普通に加速し、ブレーキを踏めば普通に止まる。ライトをつければ普通のLEDが前方を照らし、クラクションを鳴らせば「プッ」と間抜けな音が響き、カーオーディオからは父さんお気に入りの歌謡曲が流れるだけ。
何なら異世界のゴツゴツした悪路の凹凸を吸収しきれず、車内がガタガタ揺れて早くも酔いそうだ。
「はっはーん。さては防御型だな? 攻撃力や特殊能力じゃなくて車体の耐久値が跳ね上がってるんだな?」
試しに電柱ほどの太さがある異世界の木に向かって徐行で軽くぶつけてみる。
ガッ!
鈍い衝撃がステアリングを通して伝わり、木はベキベキと音を立ててへし折れた。
……が、それだけだ。フロントバンパーにはうっすらと擦り傷がつき、車内にはただの事故のショックが残る。これならナイフで切りつけた方が遥かに切断力も威力も上である。
「いや、贅沢言っちゃダメだけどさ! 木をへし折れるだけでも十分チートなんだけどさ! なんかこう、もっと男のロマン溢れる変形機能とか期待しちゃったじゃん! これじゃ探索に使えないじゃん!」
高圧洗浄機や工具が見せたあの圧倒的な異能を期待しきっていただけに、完全な拍子抜けだった。
「機械だから駄目なのか? いや、高圧洗浄機だって機械だし……もしかしてガソリンが尽きないとか、空調が完璧とか、オートメンテナンスとか、車自体の性能がアップしてる?」
あり得なくはない話だ。他の道具も本来の用途が強化されていた。
いずれにしても、遠出して現地人や新たな食料資源を探す快適ドライブプランは、あっけなく潰え去ったのだった。
「つ、次だ、次っ!」
がっくりと肩を落としながらも、俺はガレージから次の候補を引っ張り出してきた。
手に取ったのは、草刈り用のナイロンカッター付き草刈り機。チェーンソーが凶悪な武器になるのなら、この高速回転するナイロンコードだって絶対にヤバい兵器に化けているに違いない。
混合ガソリンを補給し、スターターロープを勢いよく引っ張る。甲高い排気音とともにエンジンが勢いよく吹き上がり、先端に取り付けられた太めのナイロンコードが、目にも留まらぬ速度で円を描いて高速回転を始めた。
「よし! いけっ!」
当然ながら周囲の雑草は問題なく刈れた。俺は身構えながら、近くにあった大人の拳ほどの大きさの岩の表面へ、回転するナイロンコードをそっと撫でるように接触させてみた。
チュインッ!!
甲高い摩擦音とともに、ナイロンの糸が触れた瞬間、岩がまるで温めたバターのように滑らかな断面を残して一瞬で真っ二つにスライスされた。
「おおっ! やっぱりスライス能力は本物だ!」
一瞬だけテンションが跳ね上がった俺だったが、すぐに深いため息をつくことになった。
確かに岩を切り裂く切断能力自体はある。しかし、武器として考えるとあまりにも使い勝手が悪すぎた。
安全カバーが邪魔をして攻撃角度が極めて限定される上に、本体がズッシリと重く、緊急時にとっさに振り回すことなんて到底不可能。おまけにエンジンをかけて回転数が上がるまでにタイムラグがあり、貴重な混合燃料を消費する。そもそも安全装置が働いて一瞬しか切れない。
「うーん……包丁の方が軽くて、ノータイムで振れて、威力も段違いで強いな……」
総合的に見ると、手間とリスクに見合わない残念な結果だった。
チート化の法則に期待しすぎた俺は、重い草刈り機を肩から外し、地面へと静かに置くのだった。
「……なるほどな。直接手で使う道具は、ダイレクトに能力が跳ね上がるんだ」
車のように人間が乗り込んで移動するものとは異なり、手に持って使うツール類はどれもこれも一線を超えた異能を発揮している。
それが、手持ちの道具を片っ端から試した俺の導き出した結論だった。
手応えから察するに、限界のラインはおそらく高圧洗浄機あたりだ。水流の圧力という単純な原理を手持ちのガンで制御するからこそ機能したのだろう。散水ホースの水流やオモチャの銃でも似たような現象が起きるはずだ。
「そうとわかれば話は早い。要するに、複雑な機械任せにするよりも、直感的で単純な道具を俺の手で振るう方が、この世界では遥かに凶悪で頼もしい兵器や万能ツールに化けるってことだろ」
手元で完結するツールならまだまだ家の中やガレージに山ほど眠っている。
足元に転がる切り落とされた岩の断面と、手の中にある無骨な道具達を見つめながら、俺はニヤリと不敵な笑みを浮かべるのだった。
「ルゥ……」
「あ、ど、どうも……」
背後から漂ってきた圧倒的な覇気と、枯れ葉を踏みしめる重厚な足音に振り返ると、そこには昨日の銀狼が佇んでいた。俺はすかさずへらへらと愛想笑いを浮かべる。
襲いかかってくる気配はない。どうやら俺を害のない同居人くらいには認めてくれたらしい。
神々しい黄金色の瞳は、そんな俺のへっぴり腰と地面に散らばった道具達を、呆れたように見下ろしていた。
「う、うるさかったですか? すいません、検証中だったもんで……あ、ちなみに今日は獲物の持ち込みとかはないんですよ」
俺は手元に何もないことを証明するように両手を広げてみせると、銀狼は興味を失ったように鼻息を吹き出し、プイッと背を向けた。
「あ、そうそう! 敷地の境界線付近に防護柵をいくつか仕掛けといたんで、狩りに役立ててください!」
俺は家の方を指さしながら、ここぞとばかりに恩を売った。
本来は俺自身の安全のために設置したものだが、こいつの狩りにも役立つはずだ。それなら「あなたのために設置しました」と言い切った方が絶対にウケが良い。
あの鉄のような杭と、チート化されたロープの強度なら、この森の巨大害獣といえど引っかかればただでは済まないだろう。
銀狼は俺の指さす方をチラリと見やると、尻尾をブンッと一往復させた。
了解という意味だろうか?
(もしこいつが家の周辺を美味いメシが拾えるテリトリーと認識してくれたら、用心棒兼後処理係として末永く活躍してくれるに違いない。頑張って友好関係を築いていこう)
夕闇の迫る草原で、去り行く銀狼のフサフサとした大きな後ろ姿を見送りながら、俺は新たな異世界サバイバルの生存戦略に確かな手応えを感じていた。
それからの二日間は、拍子抜けするほど平和な時間が流れていた。
日中はスマホ片手にサバイバル知識を蓄え、家の周りの視界を広げるために森の開拓に勤しむ。家庭菜園から収穫して料理を作るなど、一見すると理想的なスローライフを満喫しているようにも思えた。
時折、森の奥から獣の咆哮が聞こえることもあったが、バリアと新設した防護柵のお陰で、我が家への影響は皆無だった。
銀狼はどうやら俺の目論見通り、我が家を美味いメシが拾えるテリトリーと認識してくれたらしく、朝と晩の決まった時間に現れては害獣を駆除して去っていく、最高の用心棒となってくれた。
仕掛けた罠で怪我して狩りやすくなっているのも、彼のお気に入りポイントなのかもしれない。
だが、俺の心の中は若干の焦りが生じていた。
(……このままだと間違いなく飢え死にする)
食料自体はまだ残っている。だが、冷蔵庫の生肉や日持ちしない食材はあっけなく底をついた。
徐々に減っていくという事実は、日を追うごとに鋭い刃となって俺の精神を削り削り、生殺しにされているような恐怖を植え付けてくる。
手袋や靴などは防具と呼べるほど頑丈ではあったが、バリアを張っていたりはなく、押し潰されれば簡単に死ぬ。生身の部分を攻撃されてもアウト。
そんな状況で森に入る勇気などあるはずもなく、最近では銀狼が食べている謎肉に手を出すか、本気で葛藤するようになっていた。
「こ、これは……っ!」
そんな焦りと検証作業の最中、とうとう俺は異世界産の食材第1号を発見した。
家から十メートルほど離れた、切り倒した巨木の幹の空洞。その湿った暗がりに、俺の手のひらほどもある立派な黄色いキノコが三本、にょっきりと生えていたのだ。
匂いを嗅いでみると、まるで高級ナッツのような香ばしく甘い香りが漂ってくる。見るからに美味そうだ。
などと思った瞬間、俺の脳内に天使と悪魔が降臨した。
『派手な色のキノコは毒というのが常識です! 食べてはいけませんよ!』
『何言ってんだ。食料なんていつか尽きるんだぞ? 今のうちに食えるものを増やしとかねえでどうする。ビビってないで食っちまえよ』
『まだ備蓄は残っています! 焦る必要はありません。他の動物が食べるか観察してからでも遅くはないでしょう。この状況で毒に当たって病気になったら致命的です』
『むしろ食料と体力がある今だからこそチャレンジするべきだ。万が一があっても食いつなげる。追い詰められてから毒キノコに当たったらそれこそ詰みだぞ。それにこんだけ切り開いて初めての食料だ。家を襲う獣が多いのもこの辺に食料が不足してるからに違いない。今食べないと絶対後悔するぞ』
『……確かに!』
(俺の天使、弱いなぁ……)
まぁ欲望と理性のパワーバランスなんてそんなもんか。
天使はいつだって善人面をしているだけで、言っていることは保身ばかり。世間体を気にして具体的な解決策も示さず、ただやめろと否定するだけ。こうなると、論理的に状況を突破しようとしてくれる悪魔さんの方がよっぽど味方に思えてくる。
「ルゥ」
ちょうどそこへ、銀狼がやってきた。
「お、いいところに。なあ、このキノコ美味そうなんだけど、お前食うか?」
試しに小さく千切ったひとかけらを投げてやると、鼻先を近づけてフンフンと匂いを嗅ぎ――嬉々として口に入れた。さらにもっと寄越せと言わんばかりに残るキノコを見つめてくる。
(これは……イケる!)
頭では警戒しつつも、サバイバル動画を観まくった弊害か、あるいは男としての冒険心が猛烈にくすぐられてしまったのか。もしもの時のために食えるものを増やしておくのはサバイバルの基本だと自分に言い聞かせ、俺はパッチテストを開始した。
まずは腕の内側の柔らかな肌にキノコの汁を塗り、数時間置いて発疹や痒みが出ないかを確認。
次に唇に少しだけ触れさせ、最後に微量を口に含んで味と痺れの有無を確かめる。
サバイバルサイトで学んだ手順を慎重になぞってみたが、刺激も違和感も一切なし。
念のため銀狼に毒見……もとい残る二本も少し分けてやり、万全を期してさらに数時間様子を見たが、腹痛も体調に変化もなし。
「よし、食べみるか!」
完全に毒なしと判断した俺は、さっそく黄色いキノコを採取し、ルンルン気分でキッチンへと持ち込んだ。
フライパンを火にかけ、オリーブオイルを引く。刻んだニンニクを投入すると、すぐにパチパチという心地よい音と共に香ばしいかおりが立ち上った。そこへ、手で豪快に割いたキノコを投入する。
ジュワアアアッ!
一気に弾ける、食欲を激しくそそる煙。キノコがオイルとニンニクの旨味を吸い込み、しんなりと艶を帯びていく。
「仕上げに塩コショウと少量の醤油を回しかければ、『異世界キノコのガーリックソテー』の完成!」
熱々のキノコを箸で持ち上げ、ハフハフと息を吹きかけてから口の中へ一気に放り込む。
「んん~~っ! うっま!!」
噛んだ瞬間、コリコリとした極上の歯ごたえと共に、濃厚なバターとナッツを混ぜ合わせたようなジューシーな旨味が口いっぱいに弾けた。地球のエリンギや松茸が霞む美味さだ。
「やばい、これ白飯が無限に進むやつだ!」
丼に盛ったホカホカの白米と一緒に、夢中になってあっという間に平らげてしまった。
「これは害獣も食用の視野に入れた方がいいかもな~」
記念すべき異世界食材第1号は大成功。食生活のバリエーションが広がる手応えに、俺の異世界スローライフへの野望はますます膨らんでいくのだった。




