二話 襲撃
画面の前にかじりつき、夢中で動画や記事を漁ること数時間。
罠の仕掛け方、野生動物と遭遇した際の対処法、さらには野草の知識まで、サバイバルの基礎を一通り頭に叩き込んだ俺は、勢いよく立ち上がった。
「さーて、基本的な知識も身につけたことだし、家の周囲を確認しに行きますかね!」
いつまでも引きこもっているわけにもいかない。食料は着実になくなっていっているのだ。
異世界(?)で地球の知識がどこまで通用するかは未知数だが、学んだという事実そのものが俺の背中を力強く押してくれている。
それに、ガレージに設置された防犯カメラの映像を定期的にチェックして、敷地周りの安全が確認できた。あとは実際に見て、触れて、散策するだけ。むしろ座学はその間の暇つぶしだった。
俺は洗面所とキッチンを往復し、万が一に備えたサバイバル装備(農業用のゴム手袋、長袖長ズボン、運動靴、キッチンから持ってきた万能包丁)を身につけ、玄関へと向かった。
いつもよりずっしりと重く感じる玄関ドアを開けると、むせ返るような青く濃い草木の匂いと、生暖かい風が押し寄せてくる。
お世辞にも頼もしいとは言えない装備で外へ出た俺を迎えたのは、完全なる未知の空気。しかし、恐る恐る敷地内へと足を踏み出すと、足元の光景はいつもの見慣れた我が家そのものだった。
「ラッキー。追加で食糧ゲットだぜ」
一家で丹精込めて育てていた家庭菜園も何事もなかったかのように存在していた。
我が家の家庭菜園は割と広い。もはや畑と言って差し支えない規模だ。春先に土を耕す時は近所の農家から耕運機を借りるほどだし、草刈り機だって自前のものがある。
真っ赤に熟したトマト。ツヤツヤと光るナスやピーマン。当面のビタミン補給や貴重な新鮮野菜として十分すぎる収穫だ。今後何かを植えるにしても心強い。
安堵の息を漏らしながら母屋の隣にあるガレージへ進む。
シャッターの横にある通用口のドアを開けると、独特のオイルと金属の匂いが鼻をついた。
薄暗いガレージの中には、二台の自家用車。そして壁際の棚には、園芸用品や父さんが趣味で集めていた日曜大工の工具類、キャンプ道具が所狭しと並んでいた。
これまで「また父さんの無駄遣いが始まった」と笑っていた代物ばかりだ。しかし、今の俺にとってはどれも喉から手が出るほど欲しい超強力な資源だった。
「まさかこんな形で役に立つとは思わなかったよ、父さん……」
苦笑しながら、棚の中身をひとつひとつ手に取って確認していく。
ソロキャン用の小型テント、超高輝度のLEDランタン、ずっしりと重いサバイバルナイフ、頑丈なトラックロープ、厚手の軍手、そして電動工具の数々。
思わぬ宝の山を前に、頼もしさとほんの少しの希望が胸に湧き上がってくるのを感じていた。
「ブモオオオオオオッ!!」
「――っ!?」
突如、ガレージの外から、鼓膜をぶち破らんばかりの凄まじい雄叫びが轟いた。
脊髄を恐怖が駆け抜け、心臓が跳ね上がる。俺は反射的に身を縮めると、積み上がった段ボール箱の影へと滑り込んだ。
ズシン、ズシン、と地面を揺らす重い足音がすぐ近くで響き渡る。
(そ、そうだ、防犯カメラ……!)
シャッターの隙間から直接外を覗き込む勇気なんて、とてもじゃないが出ない。かといって、この開けたガレージから無防備な庭を突っ切って母屋へ走り戻るのもリスクが高い。
俺は震える指先でスマホの画面を何度もタップし、敷地外を映している防犯カメラのモニタリングアプリを起動した。
(イ、イノシシ……?)
画面に映し出されたのは、丸々と太った茶色いイノシシだった。サイズも普通。牙や角も生えていない。
これなら放っておいても問題ないだろうと胸を撫で下ろしかけた、その瞬間。イノシシは血走った眼で我が家を睨みつけると、明確な敵意をもってフェンスへと一直線に突進してきた。
(ちょ、ふざけんなよ!?)
「プギィィ!?」
猛スピードで突っ込んできたイノシシだが、フェンスにぶつかる直前、バチィッとスパークのような光が弾け、見えない壁に弾き飛ばされた。イノシシは哀れな悲鳴を上げて地面をゴロゴロと派手に転がる。
(うおおおおお! バリアあった!)
家ごと転移したなら敷地を包み込む『何か』があるに違いないと思っていたが、案の定だ。しかも今なお機能して、異世界の脅威から絶対不可侵の力で守ってくれている。
「ブモオオオ!」
起き上がったイノシシはさらに目を真っ赤に血走らせ、荒い鼻息を撒き散らしていた。どうやら諦める気はなく、突撃を繰り返すつもりのようだ。
(いくらバリアがあるとはいえ、こんな巨体に何度も突っ込まれたら、いつ壊れるかわかったもんじゃない! てか絶対エネルギー消耗してる!)
ここは、何があっても死守すべき俺の唯一の安らぎの地でありライフラインの要。こんなイノシシ一匹に脅かされてたまるか!
腹をくくった俺は、このイノシシを撃退するべく、ガレージの棚へと視線を走らせた。
(包丁じゃ間合いが詰まりすぎて危険だ。もっと遠距離から、かつ一撃で怯ませる武器は……あった!)
掴み取ったのは、父さんが愛用していた洗車用の高圧洗浄機。
ホースをガレージ裏の水道口へ素早く繋ぎ、蛇口を全開にする。ガレージの小窓を少しだけ開け、イノシシにノズルの照準を定めた。
「食らいやがれッ!」
トリガーを力いっぱい引き絞る。
バシュゥウウウウッ!!
手に伝わったのはいつもの洗車時と同じ軽い反動。
だが、ノズルから噴き出したのは、ただの水流などではなかった。
青白く激しく輝き、空間を切り裂く――超高圧のウォーターレーザー。
水流はイノシシの体をあっさりと貫通し、さらに背後にそびえ立つ巨木を軽々と薙ぎ払っていった。切断された巨木数本がズズゥンと重低音を響かせて倒れる。
「…………え?」
俺は自分の手に握られたノズルと、外の惨状を交互に見比べた。
ただの家庭用高圧洗浄機である。電源コードはガレージのコンセントに繋がっているし、ホースも普通の水道の蛇口に繋がったままだ。
なのに、眼前で起きたのはSF映画に登場する光学兵器の破壊劇。
「ハハ……生存率が一気に跳ね上がった気がするぞ」
呆然と立ち尽くす俺だったが、同時に強い安心感が胸にじわじわと湧き上がっていた。
この圧倒的な威力を誇る武器があるのなら、万が一の時でも自分の身と家を守り抜くことができる。
少し呼吸を整えてから、ガレージの小窓越しに敷地の外でピクリとも動かなくなったイノシシを見つめる。
「色々試したいところではあるけど、まずはあの死骸を何とかしないとな」
放置しておけば腐臭を放つし、何より匂いにつられた他の野獣を呼び寄せてしまう危険がある。かといって、流石にこれを捌いて食べる気にはなれない。サバイバル動画で解体手順は学んだものの、未知の異世界生物を口にするのはリスクが高すぎる。
「穴でも掘って埋めるか。このチート効果が高圧洗浄機以外にも付与されてるのかも試せるし」
ガレージから園芸用のスコップを引っ張り出し、意を決してバリアの外へ出た。
周囲を警戒しつつ、乾いた土にスコップを突き立てる。
「おおっ!? 掘れる、めちゃくちゃ掘れるぞ!」
力なんてほとんど入れていない。軽く体重をかけるだけで、スコップの刃が吸い込まれるように土を切り裂いていく。すくい上げた土も綿あめのように軽い。
ならばと、腰に差していたサバイバルナイフ(こっちの方が強そうと万能包丁と交換した)を抜いてイノシシの皮に軽く突き立ててみると、これまた抵抗なくスッと刃が通った。
「どうやら地球産の道具が全部超強化されるみたいだな」
俺が扱うもの限定という可能性もあるが、試す相手もいないし、結果が同じなら何だっていい。
そんなことを考えながら作業を進めていると、あっという間に深さ1メートルほどの穴が完成した。
「よし、あとはこのイノシシを叩き込めば――」
「ルゥ……」
「――っ!?」
空気が、一瞬で凍りついた。
首の関節が軋む音を聞きながらゆっくりと横を向くと、森の濃い陰からぬっと姿を現したのは、神々しいまでに美しい銀色の巨大狼だった。
(ゆ、油断した……! もっと周囲に気を配っておくべきだった!)
体長は優に馬を超える。その銀狼は、貫通痕の残るイノシシの死骸を一瞥したかと思うと、スコップを握りしめる俺を、深遠な金色の瞳でじっと見つめてきた。
心臓が早鐘のように打ち鳴り、全身の毛穴から冷や汗が吹き出す。
手元にはチート化したスコップ。腰にはサバイバルナイフ。バリアの敷地までは目と鼻の先。ガレージに戻れば高圧洗浄機もある。戦おうと思えば戦えるかもしれない――が、俺が出した決断は超現実的なものだった。
「あ、こ、これ食べたい感じですか? どうぞどうぞ! 遠慮なさらずご自由にお召し上がりください!」
俺は速やかにスコップを投げ捨て、へこへこと揉み手をしながら後ずさりした。
銀狼は一瞬「え?」というように拍子抜けした顔を見せたが、俺に敵意がないことを悟ると、悠々とした足取りでイノシシの死骸へ歩み寄った。そして巨大な顎でガブリと咥え上げると、最後にもう一度俺を一瞥してから、森の奥へと去っていった。
「……うん。勝てるかどうかわからない相手とは戦わない。これ大事」
チート武器? いやいや、俺自身がワンパンであの世に行ったら意味ないでしょ! 服や手袋まで強化されてる保障はないし、それ以前にあんなバケモノとタイマン張るとか正気の沙汰じゃない。
命は一つしかないんだから、慎重すぎるくらいでちょうどいいのだ。
銀狼の気配が消え、森が元の深い静寂を取り戻したのを見計らって、俺は慎重にバリアの外へ足を踏み出した。向かう先は、先程高圧洗浄機の水流で呆気なく薙ぎ払った巨木だ。
「うわ……近くで見るとマジでデカいな……」
周囲にそびえ立つ木々がどれも規格外に大きすぎて感覚が麻痺していたが、足元に横たわる丸太は、地球なら間違いなく観光名所になっているレベルの巨木だった。
表面には、竜の鱗のようにゴツゴツとした分厚い樹皮がびっしりと覆い被さっている。
「硬っ……!? なんだこれ、金属か!?」
幹に触れた瞬間、およそ木とは思えない冷たく硬質な感触が手に伝わってきた。
叩いてみるとキンキンと金属のような澄んだ音が返ってきた。爪を立てても傷一つつかず、表面の質感を確かめれば確かめるほど、それは植物というよりも頑丈な鉄そのものだった。
「ってことは、この世界の木や生物が柔らかいんじゃなくて、あの高圧洗浄機の威力が異常すぎるだけか……」
これほどの火力があるのなら、もしあの銀狼が敵意を持って襲ってきたとしても、返り討ちにすることは十分可能だろう。しかし一歩間違えば我が家や自分自身まで容赦なく貫く兵器。取扱注意にも程がある。
それに、そもそも俺はあいつを敵とは思っていない。
この調子で倒した外敵を放置しておけば、ここを餌場と思って定期的に遊びに来てくれるかもしれない。そうなれば、俺が何もしなくても勝手に外敵駆除してくれる用心棒の誕生だ。
「そのためにも、まずは防衛力の強化だな!」
いくら強力なバリアがあるとはいえ、今日のように猛突進されたら生きた心地がしない。家を囲むフェンスを補強し、二重三重の砦にしておくに越したことはない。
鉄よりも硬い木。普通なら加工すら不可能な代物だが――。
「今の俺には『これ』がある!」
腰から抜いたのは、ガレージから持ってきた何の変哲もないサバイバルナイフ。
目の前の丸太に押し当ててみると、期待通りスルスルと刃が入っていく。抵抗ゼロ。ナイフをひと振りするだけで、巨木が綺麗な断面を持った角材へと姿を変えた。
そのまま先端を尖らせた杭を大量生産。
続いてスコップでフェンスの外側に沿って深穴を掘っていく。そこに杭を突き立てて土を固め、トラックロープでガチガチに固定すれば、害獣の突撃を阻む防護柵の完成だ。
ロープが足りないところは杭でバリケードを作る。斜め45度の角度で突き出された無数の木杭は、先端が槍のように尖鋭化され、襲撃者の肉を容赦なく突き刺すことだろう。
「はぁ、はぁ……つ、疲れた……やっぱ俺自身の肉体には何の強化も入ってないのね……」
俺は完成した柵の横で、泥だらけになりながらその場にへたり込んだ。
腕はパンパン、背中はバキバキだ。いくら簡単に加工できたって、それを持ち上げて穴に突き立てるのは自前のひ弱な筋肉である。穴掘りも繰り返したら足腰への負担が半端ない。
運動不足な身体は悲しいくらい何も変わっていなかった。
「でもこれで、とりあえずの防壁はできたな」
金属並みの強度を持つ木材だ。ちょっとやそっとの突進くらいなら、バリアに届く前にこの杭に串刺しになって自滅するはず。
馬鹿なら獣なら銀狼の餌になり、賢い獣なら引き返して俺の平穏に貢献することになる。なんと完璧なシステム。
汗と泥をシャワーでさっぱりと洗い流し、簡単な夕食を取った俺は、そのまま泥に沈むように布団へと潜り込んだ。
波乱万丈すぎた異世界生活の初日は、こうして終わりを迎えたのだった。




